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2017年9月 3日 (日)

歌集『風のおとうと』 松村正直  六花書林

40歳から44歳までの505首を収めた著者の第4歌集。

付箋を貼った歌はことごとく、

妻(君)、子、父、母とごく限られた人間関係をうたった歌が多くなってしまった。

著者にとってもっともだいじな家族、その家族の様相をうたった歌に哀感が

滲む。そういえば帯の文章も「歳月の濃淡のなかで、ゆらめく家族の日常、

言葉から滲み出る哀感。」と、すてきな的を得たことばであった。

    


    隣室に妻は刃物を取り出してざくりざくりと下着を切るも

    朝が来るたびに目覚めて君と会う白い皿にはパンが置かれて

    六十三個今朝は咲きたるあさがおがこの家のなかでいちばん元気

    子のためと言ってわれらがなすことのおおかたは子のためにはならず

    気軽に電話かけてきてよと父に言う掛けてくることなきを知りつつ

    叱りつけてわれの壊ししブロックを拾い集めて子の日曜日

    お母さん、お母さんと言って君は泣くわたしの方に背中を向けて

    つないでて欲しいと言われた右の手をいつ離ししか 覚めて思えり

    喪主である母を支えて立つ兄を見ており風のおとうととして

    母とともに暮らししはわずか二十年、二軒長屋に建て増しをして







1首目は、元気なころの妻であろう。古くなった下着をウエス(?)などに利用

      するために鋏を入れている。それだけなのに作者としては、

      居心地が悪いのだろう。夫と妻の緊張感が伝わってくる。「刃物」

      なんて、物騒な表現をせず「鋏」とすればいいのに。(よけいなこと

      だけどわたしは妻の味方 笑)



2首目は、「妻」でなく「君」の表記になっている。つらつら思うのだが、この

      作者が「妻」を「君」と表記している時は、妻を庇護する対象として

      みているようだ。「君」とうたった時の歌の方が優しさを感じる。

      「妻」という表記の時は単なる夫婦(?) で、〈情(じょう)〉が、

      伝わって来ないような。

            


4首目、そう、おおかたは子のためにはならない。むしろ、わたしなど後年、

     子どもから文句を言われたりした。「ぼくは、●●●音楽教室は

     行きたくなかった」などと。

7首目、8首目は、「曼殊沙華」の章の2首。

     この章は、クライマックスとでもいうべき章で、胸がドキドキして

     せつなく、悲しかった。17粍か20粍か知らないけど、母(妻)の体の

     異変を「おできのようなものだ」と子に教える作者。

     だけど、子どもだって事態の深刻さは受け止めていたことだろう。

9首目は、歌集タイトルになった歌。

      「風のおとうと」は作者自身らしい。この象徴的タイトルはどういう

      意味なのだろう。風にもいろいろあるし、台風はイヤだな。熱風や

      北風もパスしたいし、薫風とか涼風がいい。

10首目、「母とともに暮らししはわずか二十年」って、みんなそんなもの。

     高校を卒業して東京の大学に行ってしまえば、20年にも満たない。

     一緒に長く暮らさないから、労わり合えるということもありそうな……







と、いうことで、作者の歌もすごくいいけど、うたわれた対象の妻(君)を

応援したくなってしまった歌集だった。そういえば、彼女には1度だけ

遠見したことがある。

それはさておき、10首のなかに入れなかった私の好きなとっておきの

1首を紹介しよう。

     

    ねえ阿修羅まだ見ぬひとに伝えてよ今日ここにいた私のことを

                  


                          2017年9月3日  2500円+税

 

 

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