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2017年10月11日 (水)

歌集『夏の領域』 佐藤モニカ  本阿弥書店

第22回歌壇賞受賞の佐藤モニカの第一歌集。

Ⅲ章によって構成され、Ⅰ章は東京時代の歌、Ⅱ章は沖縄へ移住

したのちの歌、Ⅲ章は妊娠から出産後の育児の歌を収めている。

沖縄に移住したことによって、沖縄の問題がこの歌集では大きな位置を

占めている。と、同時に本歌集では、妻から母親へとうたう素材も広がり、

生きてゆく〈いのち〉への賛歌ともなっている。




       一つ残しボタンをはづすポロシャツは夏の領域増やしゐるなり

       海ぶだう口に転がしガラス扉の向かうに沈む夕日見てをり

       いもうとより深夜のメール届きたり二段ベッドの会話のやうに

       夕暮れの商店街にまぎれたし赤きひれ持つ金魚となりて

       バランスがうまくとれない妻といふ字のなかの女(ひと)時々転ぶ

       沖縄の縄といふ字が気になりぬいつもなにかに縛られたれば

       三賢母の一人モ二カの名をもちてわれはいかなる母親になる

       さやさやと風通しよき身体なり産みたるのちのわれうすみどり

       次々と仲間に鞄持たされて途方に暮るる生徒 沖縄

       片栗粉溶きて混ずればなじみゆくやうにはゆかぬものなり基地は

1首目は、歌集題になった歌。

2首目は沖縄での歌であるが、観光で訪れた際のものであろう。

後年、この沖縄に移住することになるのだが、ブラジルにルーツを持つ

佐藤モ二カにとって「沖縄とブラジルは少し似ている気がします。」と、

あとがきに記している。






4首目、5首目は、精神的に定まらないような揺れを感じる。その精神の

軋みが歌の器にうまく収まっている。わたしはこの4首目の歌がことに

好きである。頼りないような、身の置き処のなさを「赤きひれ持つ金魚と

なりて」商店街に紛れたいとは、あやういが文学的にはとても大事なように

思う。そういえば、彼女は小説も書くし、詩では山之口獏賞を受賞している。







8首目は、初めての子どもを産み終えた、安らかさと穏やかさがただよう。

いっときの幸せ感、手放しの至福の時であろう。

9首目、10首目は、沖縄の歌。

沖縄が抱えている問題を、生徒を借りて「次々に仲間に鞄持たされて

途方に暮るる」沖縄なのだととうたう9首目。

10首目の基地の問題も料理の片栗粉という具体を通してうたっている。




1974年生まれの佐藤モ二カ。40代前半の歌集にしては重くれの短歌で

あり、歌と作者と作中主体とが密接に響き合い、共鳴している。

そのことをわたしは嬉しく思っている。そして、また

又吉栄喜氏が書いていた下記の言葉が印象深い。

     ーー略なんと言ったらいいか、現実と精神と表現がつなぎ目が

     全くないかのごとく…日本と沖縄とブラジルにつなぎ目がない

     ように…癒着している。ーー略     又吉栄喜 (栞文より)




                帯文 佐佐木幸綱

                栞  又吉栄喜 ・ 吉川宏志 ・ 俵万智

                                                      2017年9月18日   2600円+税

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