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2017年11月21日 (火)

『酔風船 Q氏のいたずら日記』 千々和久幸 ながらみ書房

「短歌往来」誌に2009年3月号より2018年1月号に亘って連載した、

エッセイ107篇のうち100篇をほぼ原文のまま収めたものである。

(2018年1月号は未刊)


「短歌往来」誌では1ページエッセイとして、前の方に組まれてあり、本が

届いたら、いつも真っ先に読むエッセイだった。このたび1冊になって読み

返していると、下記のように書かれていることに気がついた。

        




        --略

         ついでに老婆心ながら、本誌で「酔風船」を真っ先に読むような

         読者は、この業界における「出世」はまず見込みないことを

         承知されよ。ーー略

かように、身も蓋もない書きようである。率直過ぎるというか、あからさまで

ある。しかし、そこがまた面白いともいえる。

「酔風船」とは、著者の造語らしい。「風船は風まかせ気分まかせの浮遊物。

その風船が酔っ払っているのだから、もはや何をか言わんやである。」(「百回

目の休日」より」

どこから読んでもよく、目次のタイトルを見て、好きなところだけサーフィンして

読むのもいい。「本当の(私)と仮構の(私)の間には境界線が」ない、と言う

著者の考えを述べた章などは、真面目に考察している。

        一般に文芸作品では、作者と作品の語り手と作品上の人物は

        別々の筈だが、この業界では作者=作品上の(私)=ホンモノの

        (私)と読まれてきた。このような捉え方の根には、ホンモノの

        (私)が作品のリアリティを保証するとする事実尊重の歴史が

        あった。ーー略            「どの顔が(私)か」より

 

時々、ギクリとさせられ、身の縮む思いを味わうのも一つの効用であり、

愉しみと化す。たとえば「紙と鉛筆」や「歌集という罪」など、そのまんま私の

つぶやきでもある。「紙と鉛筆さえあれば気軽に歌が作れますよ」なんて、

今後は禁句だね。

著者の千々和久幸氏は詩集『ダイエット的21』などの詩集を3・4冊も出して

いる詩人でもある。それかあらぬかその発想が詩人的 (?) 様相を帯びる

ことがある。たとえば「アンドロメダの抒情ですね」と鑑賞した藪内亮輔の

作品。なるほど、なるほどと唸った。「ああ、バーツ(部分的なフレーズ)が

面白いですね、」。


などと、言いよんしゃー、よ。(笑 ここは、私の博多弁。)

                       

                        2017年11月15日   2000円+税

 

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