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2017年12月13日 (水)

歌集『そらみみ』 宇田川寛之  いりの舎

2000年から2015年の作品、415首を収めた第一歌集。

それにしても「短歌人」に入会したのが20歳のとき、と「あとがき」に

書いているので、およそ10年間の作品は一部を除いて、削ってしまった

ようである 。

      青年を自称したれど木の芽どきからだの芯から傾いでをりぬ

      さくらさくら誰のものでもなきさくら今年のさくら見ず逝きし人

      労働は石のごとくに冷たかりいきなり風邪をひくこともある

      いきなりの別れのあとはどしやぶりになればいいのに、取り

      残されて

      毀誉褒貶なきもさびしき、表現の岬にわれは取り残されて

      参道をひとはあふれて去年よりわづかに大きな熊手を買ひつ

      仕事場の契約更新ありにけり変はり映えなきことをよろこぶ

      ねこじやらしを我に教へてくれし子と木陰の歩みしばしゆるめぬ

      平凡に生きて平凡に死にたいとおもふ二月の雪の舞ふなか

      ゆとりなき暮らしはつづきかたはらに猫を飼ひたいといふ声のあり



ナイーブな若者の心情が淡々とうたわれている。

高揚感といったものはあまり伝わって来ない。従って、作品が騒がしくなく

常に一定の温度を保って、一人の世界(家族もいるが)が、うたわれている。








3首目、4首目と偶々結句が「取り残されて」の同じフレーズになって

しまったが、その意識はかなり根強いのでは、ないだろうか ?

6首目、7首目と仕事に関する歌、ことに6首目には1年ごとに前年よりも少し

大きめの熊手を買うという経営者ならではの姿勢が窺える。

「生活即短歌」ということなどを想起してしまうほど、この歌集は演技性 ? 

皆無である。わたしはそのことをとても尊く思っている。

30代、40代はまだまだ「エエカッコ」したいと思うのだが、その片鱗さえもない。

着実なのだ。



10首目の歌など、さしずめ近代短歌の流れを組むような1首でもある。

そういえば、近代歌人たちの歌には、このようなシチュエーションの歌が

多くあった。みんな貧しく、子だくさんで、子どもに玩具の一つも買って

やることが出来なかったのだ。

時代は、現代。

子は(妻かもしれないが、いや、この場合は子よりも妻の方がいい。笑) 

猫を飼いたいと言う。

猫を飼うためには、ペット禁止のマンションなどでは飼うことが出来ない。

妻にしてもこころなしか、寂しいのであろう。

いずれにしても「ゆとりなき暮らし」が現状である。









作者は「短歌人」所属であり、編集委員でもある。

作歌を始めて四半世紀、短歌という自己表現があったこと、その短歌を

作り続けたということは「取り残されて」では、断じてなく、むしろ自信を

持っていいのでは、ないだろうか。









                   2017年12月15日   2500円+税

 

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