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2017年12月 7日 (木)

歌集『猫は踏まずに』 本多 真弓  六花書林

『猫は踏まずに』がやって来た。

ネコポスで届いたのは年鑑だったけど、この『猫は踏まずに』は、どうやって

わがやに来たのだろう。

それにしてもなんと愉しいタイトルなのだろう。

愉しいタイトルで、歌も愉しいのが沢山あるのだが、おしまいまで読んで、

再び、読んで、なんだか泣けてきた。

そうか、本多さんってわがやの愚息くらいの年齢なのかと思ったら、また、

泣けてきた。

     わたくしはけふも会社へまゐります一匹たりとも猫は踏まずに

     三年をみなとみらいに働いてときどき海を見るのも仕事

     漢字なら偏と旁のやうなもの手をつながずに歩くふたりは

     さくらちるさくらちるとてわたくしは小金を稼ぎ新聞を読む

     祖母よりも母よりも手は美しい 消費することのみゆるされて

     ふれられてひかるからだがあるころにわたしあなたに出会ひた

     かつた

     死ぬまでにつかひきれないぐらゐあるわたしの自我とハンドソープは

     いまはただ沼と呼ばれてをりますがむかしわたしは湖でした

     ししくしろ黄泉で待つとや待たぬとやくづれはじめるまへにあひたい

     休日の身分証明書(アイディカード)をぶらさげぬわたしの首のこころ

     もとなさ







①首目、 「猫は踏まずに」って、他に何か踏むことがあるのかな。

  「猫踏んじゃった♪」の軽快な曲とは裏腹に、禁忌を課しているような

  決意を感じる。

③首目の「手をつながずに歩くふたり」を〈偏〉と〈旁〉に譬える発想は新鮮。

  その体験がないと浮かばない発想 ?  であることよ。

⑤首目の下句は実感だろう。むかし、妹がつくづく言っていた言葉「消費する

  ばっかりで、生産したことがないってのは、せつない。」が思い出された。

⑥⑦⑧首目の歌は、自虐と自愛のこもごも籠る歌であり、本多さんの肩を

  抱いて、「よし、よし」って、労わってあげたくなった。

⑨首目の「ししくしろ」は、「黄泉」に掛かる枕言葉。他にも「あからひく」

  などの枕言葉が遣われていた。「くづれはじめるまへにあひたい」なんて、

  悲しいではないか。わたしが男だったらすぐさま逢ひに行くのだが……

⑩首目の歌、「身分証明書」を下げている時だけが、存在証明(アイデンティ

  ティー)を得ているような、会社人間なのだ。

 

働くことが好きな会社人間なのだが、それだけでは埋められない隙間が

ある。それは何なのか。

体力だったり。若さだったり、産むという性だったり、一つだけでない、複合的

なものかも知れない。

アラフォーの独身女性の優雅な ? 歌集なのだという先入観で読みはじめた

のだが、いろいろな意味で考えさせられた歌集だった。

 

                                     解説 岡井 隆

                 栞  花山多佳子・穗村弘・染野太朗

 

                                    2017年12月14日 初版発行   2000円+税

 

 

 

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