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2018年5月 1日 (火)

短歌は人生 ? それとも表現 ? 「短歌人」 2018年5月号

当、ブログのタイトルの「短歌は人生 ? それとも表現 ?」 の特集が

「短歌人」で、企画されており24ページに亘って論じられていた。

時宜に叶ったテーマだと思ったのは、このところ私自身が「短歌は人生」に

関心があったためともいえる。

総論を菊池孝彦氏が「人生派と表現派の行方」として考察していた。

「人生派」・「表現派」の各々の執筆も具体的に論じられており、読み応えが

あった。





       ‥‥略 やはり、私の短歌は私の人生から逃れられないのだと思う‥

    ‥‥略 表現派の歌人と思われる人であっても、自身の人生から

          逃れることはできないのだ、という思いを深くした。

                    「わが実作を語る 人生派」 加藤隆枝




加藤さんの「人生派」の意見に私はもっとも近いかもしれない。

一方、「表現派」を標榜する文章を読むと、なるほどなるほど‥‥



    ‥‥略 作者個人のもろもろの情報を取り払ってもなおそこに存在

          する言葉、言葉だけがいつまでも輝いている、そんな歌に

          出逢いたいし、自分でも作りたいと希っている。「よみ人

          しらず」の歌を作ることが作歌の究極の目的であると言い

          換えてもよい。‥‥略

                  「わが実作を語る 表現派」 大谷雅彦



大谷さんの希望 ? する「言葉だけがいつまでも輝いている」歌。

わからない訳ではないけど、1首だけ勝負(笑)の時はそれでもいいけど、

歌集単位で読むと、どうなのだろう。

言葉だけがキラキラと輝いていても、その言葉に添うニンゲンが伝わって

こないと虚しいような気もする。

いずれにしても、みんな色々と考えているんだ。




大室ゆらぎさんが「‥‥略 短歌は人が書くものだけれど、それを作者の

『人生』と混同してはいけないし、作者や作品を『人生』という『物語』として

消費することは何より厳しく戒めなければならない。」って、書いていたけど、

そんな〜と、反発もしたくなる。





十人十色、いろいろあってもいいじゃない。



「消費することは」など、書かれたら、消費している積もりもない、わたし及び

「人生派」の人が泣くよ。








cat     cat

ところで、全然違う話だけど「編集室雁信」で、藤原さんの書いていた

「重要なお願い」のこと。




やっぱり、そういうことがあったのですか。




つい先頃、S・T  さんから聞いたばかりの話。

「出そうと思った原稿がくしゃくしゃになつたので、アイロンをかけたの。

そしたら書いていた文字がみ〜んな消えてしまったの」






笑い話よ、って笑ってやった。

あのフリクションのボールペンはペンの後ろに付いているラバーの

摩擦熱で消えるの。熱に弱いのよ。

アイロンなんてかけたら最悪。

でも、戻す方法があるのよ。マイナス20度まで冷やすと復元できるらしい。

(そんなことわたしはしたことはないけど。)



だいじな原稿や公文書にはフリクションのボールペンで書かないこと。


これから、暑くなるし、ね。

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