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2018年6月

2018年6月30日 (土)

歌集『鉄の蜜蜂』 岡井隆   角川書店

昨日、東区千早で見かけたアガパンサスの花。

この花はふつうオーシャンブルーが一般的で、ブルー系あるいは

薄紫色が多いのであるが、昨日見たのは真っ白であった。


アガパンサスですぐ思いつくのは岡井隆さんの第34歌集『鉄の蜜蜂』で、

アガパンサスの花が3首おさめられている。

このことに気付いたのは、今年4月の「第56回 北九州芸術祭短歌大会」

の講演のために『鉄の蜜蜂』を読み込んだためである。ちなみにその時の

講演タイトルは「短歌と人生」であった。


岡井さんって、アガパンサスの花が好きなんだなと思った。

アガパンサスは、ギリシア語のagape(愛)とantnos(花)が語源となり

「愛の花」とも呼ばれている。

別名は、紫君子蘭(むらさきくんしらん)ともいわれ、英語ではアフリカンリリー

である。



      アガパンサス今年の花はたくましい折られまいと蔭で咲く奴もゐる

      むらさきのアガパンサスは咲きそめぬ折られむがための生も

      あるんだ

      この本のゆゑに離れゆく友どちのあらむ アガパンサスを折りつつ



3首とも「折」の字が入っている。

「折られまいと」「折られむがため」「折りつつ」。

こうして読むと岡井さんがアガパンサスの花を詠む動機というか、心理も

些かではあるが、わたしにはわかるような気がする。



アガパンサスの花茎は高く、その花を見ていると折りたくなってしまう

ことがある。

岡井さんの根底にある〈愛〉、それをアガパンサスの花茎に

託していると思うのは穿ち過ぎであろうか。


それにしても、アガパンサスの花をただ愛(め)でる歌でなく、そこに作者の

精神を仮託する手法は、やはり、岡井さんならではのものである。


アガパンサスの花の白色は、シルバーベイビーとかアルバやアフリカヌス

などがあり、涼しげな花色がこの季節の鬱陶しさを払拭してくれる。


                                                   2018年1月25日 初版発行

                                2600円+税



 

2018年6月29日 (金)

『光の庭』 伊藤一彦   ふらんす堂

「この歌集は、ふらんす堂のホームページに、二〇一七年の一年間、

一日一首発表した短歌作品を収めたものである。(略)」

                         「あとがき」より

        六月二十七日(火)

        人言へる声の大きさ酒の強さ九州男児か肝(きも)小さけれど

           東京の学生時代、出身を聞かれて宮崎だというと、九州

           男児だなとよく言われた…(略)

        七月二十七日(木)

        花咲けば養分すべて使ひ果たし枯るる竜舌蘭のロゼット

           日南海岸を行くと、フェニックスがまず目に入る。…(略)

 

        八月二十七日(日)

        長崎と宮崎の人似てゐると書きし本ありオホラカやノンビリが

           博多から長崎新幹線で長崎へ。…(略)

一日一首、欠かさず発表し続けることは、並大抵のことではない。

エネルギーが必要だったことだろう。

体力・気力、そして持続力を己に課して。


伊藤一彦ファンには打って付けの短歌日記となっている。

歌もだが、その詞書には、伊藤さんの日常が窺える。



1首目「肝(きも)小さけれど」と、うたわれているけど、ほんとうかしらん。(笑)

2首目、この歌集には竜舌蘭や檳榔樹などが詠まれており、その描写には

    独特の味付けがある。たとえば、「老いるほど肌(はだ)つやつやして

    くるは人間ならず檳榔(びらう)樹の話」など。


3首目の詞書の「長崎新幹線」って知らなかった。もう完成してたの ?


伊藤さんには「若山牧水」というライフワークがあり、その牧水が本集にも

たびたび登場する。現歌壇ではもっとも活躍している伊藤さん。

素敵な「うたびと」の生を邁進していて、ただただ遠くよりそのご活躍を

仰ぎ見るのみである。


                                   2018年6月9日

                                   2000円+税


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朝から竜巻注意情報が3度入る。

これから出掛けないといけないのに、鹿児島本線は「運転見合わせます。」

とかじゃないよね。遅延はしょっちゅうあるけど……

今日で4日連続のお出掛け、疲労がたまりつつある。 (AM: 9:45)

 

2018年6月23日 (土)

映画「万引き家族」  是枝裕和監督

第71回カンヌ国際映画祭で最高賞受賞の映画ということで、

やっぱり観に行った。


先日、朝日新聞で角田光代さんがこの映画のことを考察していたが、

難しいことは抜きにして、リリー・フランキーがどのような父親を演じて

いるのかが、わたしのいちばんの関心だった。



その関心もさることながら、改めて、角田さんの文章が思い起こされたのは

なんとも想定外であった。

「よく理解できないこと、理解したくないことを線引きをしカテゴライズすると

いうことは、ときに、ものごとを一面化させる。--略」 

               「理解できぬ世界は悪か」 角田光代  朝日新聞



家族とは、

居場所とは、

生活するということは、



なんともしれぬ重いものを背負いこんで観終えた。

それにしても、安藤サクラさんって、スゴイ。

演技などと思えないほど、自然体で役になりきっていた。


リリーさんも勿論、摩訶不思議なる父親を演じていた。




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20:40     月に木星が寄り添っている。heart01

2018年6月21日 (木)

「アカンサス年々」  『命運』 近藤芳美  砂子屋書房

本日は近藤先生の祥月命日です。

2006年6月21日に帰天なされた先生を偲んでいます。

     アカンサス吾とまた老い逞しき花茎の数咲く年々に

     アカンサス庭埋め埋めて群立つに花を咲き綴るみどり濃き中

     アカンサス或いは自らの丈に倒れ咲き次ぐ花のつねに雨過ぎて

     凛として卑しきを寄せぬ静けさに長(た)くるアカンサス花の極まり

     こうこうと啼きて渡れば白鳥の天のまぼろしアカンサス夜さえ

                『命運』  「アカンサス年々」より

                2000年5月5日発行  砂子屋書房


近藤先生の22冊目の歌集の「アカンサス年々」の章からその名前の入る

歌を、5首挙げてみました。

先生の22冊目にあたるこの『命運』は、発行日が87歳の誕生日の日付に

なっています。この発行日のことも、歌集題も先生の思いがしっかり込め

られているようです。




今年1月上京した折に埼玉の聖地霊園を訪れました。

霊園はしんかんとしていました。


その時、なぜか先生に教えていただいた天満敦子の

「BaIaDa〈望郷のバラード〉」のことが浮かびました。


今日はそのCDを聴きながら、静かに過ごしたいと思います。

2018年6月18日 (月)

歌集『海に鳴る骨』 髙野 岬   角川書店 

「塔」短歌会、所属の第一歌集。

都心から、神奈川県の小さな半島に移住した著者。

従って、おのずと海の歌が多い。

     海にだけ淡き水色(みづいろ)配されて夫(つま)の港の絵が卓にあり

     君の亡きあとも浜辺を歩くだらうその日も鷗が飛び立つだらう

     青空に芯はあるかと目を凝らす 一体誰が死んだのだらう ?

     我が犬を抱きゐしときの手触りをどのやうにして覚えておかむ

     助手席から見てゐる空に飛行船が浮かんでゐたんだけれど

     言はない

     常にゐし犬の存在うしなひて私達はもう喧嘩をしない

     また誰かが話し出すまで我ら皆卓の向かうの海を見てをり

     誘導灯またたく中を着陸す また東京が嘘ついてゐる

     求めなくなつたからなのだ死んだ犬がその気配さへ消してしまつた

     のは

     天井の白みてゆけりこの朝がきのふにつづくけさであること




こうして書き写していると、胸のあたりがせつなくなってくる。

この作品の透明感は、わたしが失ってしまった清澄さであろうか。

1首目に「淡き水色」を配した海の絵がうたわれているが、この歌は本集の

巻頭のうたでもあり、『海に鳴る骨』を、総括しているようにも思える。




淡彩の絵画を眺めていると、心が穏やかになってゆく、そんな感じの一集で

ある。たとえば、マリー・ローランサンの絵を思い浮かべる。

猥雑さや、喧騒が微塵も感じられなく、7首目にあるように、「卓の向かうの

海を見てをり」なのだ。



6首目・9首目の「犬の存在」。

常に生活の傍らにいた犬が死んだことによって、次は……という懼れ。

喪失を予感するような懼れ、とでもいおうか。



                    栞文 加藤 治郎

                        川野 里子

                        三井  修

                    2018年5月25日 初版発行

                            2600円 税別

 

 

2018年6月17日 (日)

「基本的歌権(かけん)」って、なんなの ?

「歌壇」2018年7月号を読んでいたら、珍しい言葉に遭遇した。

「定綱が訊く 第2回 ぶっかりインタビュー」の斉藤斎藤さんの回なの

だけど、終盤になって、超(ちょう)、 驚く発言があった。

「基本的歌権(かけん)」 だって…


「基本的人権」とか、「著作権」とかは馴染みだけど、「基本的歌権(かけん)」

って、いったいなんなの ?


そもそもこの言葉は、「心の花」の120周年記念号の座談会で出てきた

言葉らしい。以下、斉藤さんの談をかいつまんで記す。

     略ーー 歌会で〈消えさった予知能力を追いかけて埠頭のさきに鍵を

     ひろった〉(佐々木朔)という歌に、「いいところでいいものを拾い過ぎ

     じゃない ? 」 みたいなことを穂村さんが言ったら、寺井龍哉さんに

     「今はそういう批評はナシなんですよ」と言われたと。基本的歌権

     みたいなものがあって、歌の言葉はそのまま読み取るべきだと。

     だから、ここはもうちょっとこうしたほうがいいみたいな批評はしない

     で、歌の言葉を尊重して、それを効果的に読み取って行くのが今の

     歌会のマナーなんですみたいなことを言われて、びっくりしたそう

     なんです。--略                   斉藤斎藤 談


定綱さんも「基本的歌権、そんなのがあるのかなあ。」と語っていたけど、

わたしも定綱さんや斉藤さんの言う「この一首はこの言葉が機能してないん

じゃないか、みたいな批評はアリだと思う。」に、賛意を表したい。







そこまで、掘り下げるのが歌会だと思うのだけど、どうかしら ?

寺井さんの意見は、なんだかなぁ……(笑)

其の伝でいけば、わたしなんぞいっつもマナー違反ばかりしているみたいだ。

 

2018年6月16日 (土)

『水中翼船炎上中』 穂村 弘    講談社

スリーブに印刷されている「17年ぶりの新歌集」が、この歌集の

キャッチフレーズかな ?

そのスリーブ箱の中から歌集を抜きとると、出てきたのは瀟洒な装幀の

かっちりした歌集。(穂村さんの気合の入れ方がびんびん伝わってくる。)







この装幀が9パターンあるというのも異例では。

ちなみに手許の歌集は、表 Bパターンで、裏は aパターン。

装幀の在り様が話題になるのも目論見(笑)通り。

ともあれ、贅を尽くして ? いる。

 

    コンビーフはなんのどういう肉なのか知ろうとすれば濡れた熱風

    電車のなかでもセックスをせよ戦争へゆくのはきっと君たちだから

    夕闇の部屋に電気を点すとき痛みのようなさみしさがある

    約束はしたけどたぶん守れない ジャングルジムに降るはるのゆき

    生きたいように生きなさい ほほえみに隠れてしまうちちははの顔

    母のいない桜の季節父のために買う簡単な携帯電話

    今日からは上げつぱなしでかまわない便座が降りている夜のなか

    ゆめのなかの母は若くてわたくしは炬燵のなかの火星探検

    瓶詰のアスパラガスのなんだろうこの世のものではないような味

    真夜中のスマートフォンに囁いている基地からの距離を知るため



11章にわかれているが、冒頭の1章と巻末の11章は「現在」の歌を収録。

2・3・4章は「子供時代」を回想してうたっている。

この回想の章が好きな人もいるだろうが、個人的なわたしの好みとしては、

1首も上記に取り上げていない。



2首目の歌の過激さ。それでいて、現代社会を考えさせられる。

5・6・7・8首目の歌、穂村弘の〈人生〉を感じさせられる。

母親を亡くしたのちの息子の情動が具体を通してうたわれている。

ことに、6首目の「父のために買う簡単な電話」など、泣きたくなってしまう。

連絡手段としての携帯電話を父親に持たせる息子である作者。


穂村さんも50代半ば、人生の悲喜を、艱難を、その身に添わせている。

斬新な歌はそんなに多くなく、むしろ、しみじみと味わえる一集となっている。


                        『水中翼船炎上中』メモ 穂村 弘

                        2018年5月21日 第一刷発行

                        2300円 税別


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自主活動となった「陽だまり短歌会」で、『水中翼船炎上中』を資料として

取り上げることになった。

皆さんはどのような反応をしてくださるか、タノシミ。

そういえば、先日その会のNさんから頂いた、あじさいの花が玄関にも

リビングにも、飾っていて、豊かな気持ちになる。

今朝はそのあじさいの水切りをしなおした。

まだまだ元気。





         

19:45 月と金星がランデブーしている。heart01

 

 

2018年6月11日 (月)

合歓(ねむ)の花

合歓の花で真っ先に思い浮かぶのは、芭蕉の句。

       象潟(きさがた)や 雨に西施(せいし)が ねぶの花

芭蕉さまが「奥の細道をゆく」旅での象潟の1句。

合歓の花を、中国の悲運の美女の「西施」に準えるとこなんて、ニクイ。




さて、さてわたしは唐津街道を南下して平戸へ行ったのだが、

前原〜 唐津〜 松浦 〜 平戸への道中で目についたのは、

合歓の花だった。

茶筅を大きく広げたような合歓の花。

薄いピンクからショッキングピンクの花の先端。




あいにくの梅雨晴れ間(笑)のために、雨中の合歓の花ではなかったが、

夢幻の色合いを見せていた。



今日は、朝から雨が降っている。

きっと、あの合歓の花はいまごろ雨に濡れていることだろう。

2018年6月10日 (日)

田平(たびら)天主堂     長崎県平戸市

9日の土曜日に田平天主堂を訪れた。

お天気も上々で、海を眺めながら平戸大橋を渡った。

この教会は、1886年(明治19年)以降、黒島と外海から移住して来た

信者たちが造りあげた。黒島も外海も潜伏キリシタンが多かったが、

明治になってカトリックに復帰したフランス人神父が常駐して教会も

建てられた。




1918年(大正7年)、5月14日、歴代の信者たちの血の滲むような努力や

献身的な労働奉仕によってレンガ造りの聖堂が献堂された。

今年は丁度100周年にあたり、先月、祈念式典が行われ、天主堂の前庭に

記念碑が建てられていた。



わたしは信徒でもないのだが、堂内に入り、神に祈りを捧げた。

内部のリブ・ヴォールト天井をつくづくと仰いだ。




この教会を訪れる前に「焼罪史跡公園」を歩いた。

この公園はイタリア人宣教師のカシロ・ユンスタンツォ神父が禁教時代に

火刑に処された場所。

小さな公園で、ウグイスの声がきこえる静かな場所だった。

海を眺めながら、ウグイスの声をしばらく聴いていた。



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長崎から帰宅して新聞を整理していたら、9日付けの朝日新聞の夕刊に

「与助の教会に魅せられ」と大きな活字が目に飛び込んだ。


なんという偶然か、田平天主堂のことも記事の中にあった。

天主堂は勿論、鉄川与助が設計施工している。


今回は、「隠れキリシタン」と「潜伏キリシタン」の違いを学習することが

できた。今迄、総称として「隠れキリシタン」と呼ばれていたが、厳密には

隠れキリシタンとは、禁教を解かれたのちもカトリック教会に戻ることなく、

日本的な独自の民族宗教を信仰している人たちを指すそうで、平たくいえば、

アレンジしている ?ことらしい。(間違っていたら、ごめんなさい。)



今年夏の世界遺産登録を目指しているのは「長崎と天草地方の

潜伏キリシタン関連遺産」。きっと登録は成ることだろう。


田平教会で絵ハガキを買ったので、M さんに書く。

「恵まれた者、喜びなさい。主はあなたとともにおられます」 ルカ 1・26

2018年6月 7日 (木)

「眩暈」 森本直樹    未来 2018年6月号

「未来」6月号を読んでいる。

シリーズ「今月の一人」は、森本直樹さん。

彼は、2017年度未来年間賞を受賞している。

その時の(2月号掲載)作品を改めて読みなおしたけど、

8名の推薦を受けて最高点だっただけに、作品がいい。

「いい」なんて、馴れ馴れしく言うのは憚れるが、若者の姿が

気負わず、自然体でうたわれていると思った。



     寂しいかと問われればきっと寂しくて身体は風を受けいれぬかたち

     洗剤をぶちまけて床磨きゆく雪の予報の京都のまちで

     フライパンの端のあたりで痩せていくよつ葉バターの長方形は

            静かに、静かに     森本直樹   「未来」 2月号




そして、今号(6月号)の9首。

森本スタイルは以前と変わっていない。

森本さんの歌は安心して(笑)読めるような気がする。

一つには、たぶん周囲の若者たちの歌に右顧左眄していないことだ。

作品に添えたエッセイで「今、私のうたは。自分自身でもいまいちぴんと

きていない。ーー略」と、書いているけど、無理に背伸びすることはない。

今の森本さんの歌が、森本さんなのだから…

 

 

     ローソンのおにぎりの棚がからっぽでなんだか午後を笑って過ごす

     歩くことに飽きてしまえば渡月橋のたもとで食べるみるくジェラート

     数回のまばたきの後に沈みたるカフェラテの泡にのせた砂糖は

     川底を桜が満たす空想のなかでゆっくり眩暈している

     露天風呂に吊るされているランタンの金具の錆を見上げるばかり

               眩暈       森本直樹  「未来」 6月号







ところで、岡井隆さんが休詠しているので、さびしいったらありゃしない。

月集欄のトップに掲載されていて、読むのがたのしみだったのに。

昨年の12月号の6首目の歌、あんな歌をふたたび読みたい。


     人生つて闘争でせう、仇敵との。さう言ひながら微笑んでゐた

             歌集は冬草    岡井 隆  「未来」 2017・12月号

2018年6月 6日 (水)

ツルハナナスの花が咲かない

去年の6月に通販で取り寄せて植えた「ツルハナナス」の苗。

今年はネット一面に蔓が伸びて勢いが良いのだけど、

いっこうにツボミも付かず、花が咲かない。

ツボミが出来ないと、花も咲かないよね。


あれこれ検索して調べているのだけど、やっぱり1年くらいでは

無理なのかな ?

白色の可愛い星型の花で、薄青色も混じる。

ナス目ナス科ナス属の「ツルハナナス」。

毎朝、窓の向こうにはったネットを見上げるのだけど、今年はダメそうだ。







ミニトマトを今朝数えたら、22個ついていた。

今年は「イエローアイコ」を植えている。プラム形で色はイエロー。

まだ色づいていない。




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M さんより「桃ジャム」と「豊の香ジャム」をいただいた。

そして、わたしの晩酌(笑)の梅酒もくださった。

だいじにだいじに抱えて、久留米より直行で帰ってきた。

でも、あまり飲んでもいられない。

280ページの本がまだ三分の一残っている。これを今夜中に読んで

しまうつもり、つもり、つもり……

2018年6月 1日 (金)

季節の便り⑨  菩提樹の花   恵光院(福岡市東区) 

菩提樹の花がほぼ満開。

ことしは「ほぼ満開」の花を観ることができた。

恵光院に足を踏み入れると、その薫りがただよう。

そして、花の周りには蜂が蜜を吸っているのだろうか。

ブウン、ブウンと羽音がする。

       菩提樹の花を直ちに指さしぬ   後藤夜半




中国に野生するシナノキ科の落葉髙木で、日本では寺院や神社の境内に

植えてある。花は薄黄褐色の薫りのある小花を鈴なりに開く。


恵光院は筥崎宮のそば。

本日は花を観に訪れた人たちで大入りだった。





「菩提樹まつり」は3日の日曜日かな ?




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菩提樹の花を堪能したあとは、筥崎宮の「あじさい苑」にも寄った。

入苑料は300円。

こちらも人出が多かった。


柏葉あじさいの花毬が重たそうであった。

日差しに真っ白の花が耀いて、目が眩むようであった。

青い花のハワイアンブルーと、真っ白なウェディングドレスに目が止まる。

淡いピンクのコットンキャンディも気に入った。


あじさい苑の開苑は6月30日までの予定らしい。


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