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2018年7月

2018年7月30日 (月)

世尊(バカボン)と吉祥天    

『短歌往来』(ながらみ書房)2018年8月号の巻頭作品に、高野公彦さんの

「鰥・寡・孤・独」21首が掲載されている。

高野さんの歌はいつも啓発されるものがあるのだけど、今回はまたまた

その語彙力というか、造語に魅了された。


       媼ゐて優先席に眠りゐる若き世尊(バカボン)を眠らせて佇つ

 


優先席に眠っているのは、若い人、男性  ?   

はたで見ていても癪に障るのだけど、高野さんはあからさまに「このバカ」

とは、仰らない。「世尊(バカボン)」ときた。「このバカ」より、きつ〜い

怒りの人称のようでもある。


     向かうから歩きスマホのだんまりの吉祥天が来たので避(よ)ける




駅のホームなどで、放送しているけど「歩きスマホ」は、他人に迷惑を

かけるし、本人だって危ない。きっと妙齢の女性だったのだろう。

高野さんは女性に甘い(笑)。「吉祥天」と名付けるとは。

吉祥天といえば、衆生(しゅじょう)に福徳を与えるものなのに……


高野さんは自身のことをどのように名告るのかといえば、

     水面を裏より突(つつ)きしんしんと目高泳げり鰥夫(やもを)のほとり

     怒りやすしまた泣きやすし忘れやすし茫としやすし翁童(をうどう)

     われは


夫を亡くした人や、自分のことを「寡婦」ということばでうたった作品は

稀にあるが、妻を亡くした男性は自分のことを「鰥夫(やもを)」とは、なかなか

うたわない。(うたえないのか ?  )

「翁童(をうどう)」 は、造語かしら。




そういえば、『歌壇』(本阿弥書店)8月号の「定綱が訊く ぶっかり

インタビュ|ー」で、高野さんが語っていたことを思い出した。

             死んだ言葉を生かす

     (略)死んでいる言葉ですから辞書の中にしかないけれど、それを

      短歌の中で生かして使うと、少なくとも歌人たちが読んでくれる

      可能性があって、…(略)





佐佐木定綱さんのインタビューでは、「雀隠(すずめがく)れ」や「日(ひ)の

辻休(つじやす)み」が話題になっている。

かように言葉に執するというか、「死蔵されている言葉をぼくが引っ張り出

して、生かして使って、うまくいけばそれがリレーされていく。」と、日本語を

見据えている。




ところで、

島田修三さんの1ページエッセイにも触れたかったけど、時間切れ。

機会があればお手にとって、読んでください。

タイトルは、「或る受賞式」。

      (略)かくして人も私も老いてゆく。若い人たち、ご迷惑をおかけ

      すると思うけれども、まあ、君たちも、いずれそうなるんだぜ。

 

2018年7月29日 (日)

歌集『つららと雉』 黒﨑 聡美    六花書林

2009年から2018年までの388首を収めた第一歌集。

「短歌人」所属。

      わたしたち何かがきっと足りなくて流されそうな草を見ている

      春雨は沼のにおいを漂わせ大人ばかりの家へと帰る

      こんな夜に星を見ようときみは言うきみが夫でよかったと思う

      恋人と妻のちがいはどこだろう鏡のなかの太い二の腕

      ひだまりにカステラの味思い出す関係をひとつ壊してしまった

      きみよりも祖父の体にふれる日々こうして家族になってゆくのか

      最初から夫のような人だった手をつながない散歩は続く

      やもりのような気配を持って家かげに停車しているパトカー一台

      待合室はさいしょに暮れてさかさまに戻されていた雑誌を直す

      少しずつ点が小さくなるようなきみとの暮らしにあかりを灯す



なんともまぁ、初々しいというか、「ひたすらさ」の伝わってくる第一歌集で

ある。

結婚して夫の家族との同居 ?   そのなかで夫を見詰め、夫との暮らしを

築こうと努力している健気な作者像が浮かんでくる。


1首目、2首目には、あやうさが心持ち伝わってくる。そのあやうさに作者は

気付いているのだろう。


3首目は「三月十一日」の章の、一首中の一首。

「こんな夜」とは、東日本大震災の起きた日を指している。


8首目、9首目はわたしの好きな歌。

好きなというより、こんなかたちで嘱目や日常をうたってゆけばいいのにと

思う。違和感や齟齬が自然に表出されていて、好ましい。


読後、つらつら思ったことは、幸せな結婚生活を営んでいるのだけど、

どことなく、不安定な、居場所を確保できていないような不安感が

そこはかとなく漂うことだ。そこが詩でもあるし、作歌するには

好都合なのだけど、……どうかしら。



小池光の栞文のタイトルは「期待の人」。

わたしも同じく「期待の人」だと思う。


                     栞文  米川千嘉子

                          穂村  弘

                          小池  光

                     2018年7月30日 初版発行

                         2200円+税

2018年7月28日 (土)

『祝祭』 中村重義句集  文學の森

昭和6年生まれ、現在「寒雷」「天籟通信」同人の第三句集。

句歴70余年、60000句ほどの中から選び抜かれた句を収載。


          花時計いま爆心地指す時刻

          俳号も擬態のひとつ黒揚羽

          爆心地の向日葵無口で押し通す

          帝王切開めきて西瓜に刃を当てる

          ガン宣告、供花は野牡丹だけでよい

          法名を決めて炎暑をたぢろがず

          子規といふ仕掛け花火のやうな人

          父の日は黙つて父になつてゐる

          あの世よりこの世が大事稲の花

          初御空句を詠むことは生きること



2句目の「俳号」だけど、中村重義は俳号ではなく、本名のようでもある。

しかし、俳号を持つ人は、俳句の上では「擬態」を装っているのかしら。

実人生の作者と、作品上の作者とかけ離れている人も、いるには居る

ような気もする。(短歌の世界でも…)


1句目、3句目の「爆心地」。原子爆弾を投下された8月6日、8月9日、

広島、長崎がただちに思い浮かぶ。


4句目は不思議な句。帝王切開をしたことのある医師ならばともかく、

西瓜に刃を当てる時にそのような連想がゆくところが、ユニーク。


5句目、6句目。詞書によると、大腸癌手術をしている。他の句の詞書にも

胆のう切除手術をしている。6句目の「法名を決めて」もむべなるかなと。

この炎暑さえ「たぢろがず」のおひとなのだ。



9句目、10句目。「この世が大事」と思うのも、命があればのこと。

命さえあれば、終生、句を詠むことが出来るのだ。


俳句って、人生を詠むことが出来るんだと改めて思った次第。


                         平成30年6月3日

                          3000円+税

2018年7月25日 (水)

歌集『午後四時の蟬』 竹内 文子  砂子屋書房

かつて「ゆにぞん」という短歌グループが名古屋(豊橋)にあった。

先鋭的なグループで、竹内文子・浜本芳子などを中心とした短歌誌で

ある。(この時期、羨望のまなざしで遠く眺めていたものだ。)



このたびの歌集で知ったことだが、「ゆにぞん」とは、岡井隆の歌集名

『斉唱』からとられている。音楽用語では「斉唱」は「ゆにぞん」なので、

浜本さんがこの方が響きが柔らかいうえ、どこかしゃれている、と提案した

そうだ。岡井さんも「うん、いいね。それにしよう。」と賛意を示している。



岡井隆という指南者が名古屋にいて、当時、名古屋は熱い風が吹いていた。

九州からも名古屋詣でをする人がいたくらいだ。


そんな訳で「竹内文子」という名前はわたしの頭の中にしっかりインプット

されていた。このたびの第四歌集を読んで先ず思ったことは、岡井さんも

この歌集の刊行を喜んでいるだろうな、ということだった。

読んだ歌に付箋を貼っていくたびに思ったことは、岡井隆の薫陶を受けて

いたことが随所に感じられたことだ。


     ちはやぶる秋の天使が降りて来る梯子をかけたままの林檎樹

     東京と三河の蟬では鳴き方がたしかに違ふと幼が言へり

     極楽も地獄もどつちつかずの身才太郎畑(さいたらばたけ)に

     鍬ふるわたし

     進歩なしさりとて退歩なきひと日夕凪どきは喘いでゐたり

     こねこねになつてしまつた会議ではをとこをみなも所詮は同じ

     脳機能は年相応の老化です。吹きつさらしの屋上庭園

     わたくしは雲でも富士でもとりあへずやたらと甘いもろこしを喰ふ

     窮極のやんちやキャラつて文具店の前に落ちてる消しゴムみたい

     熱中症にやられたわれにそんなことあつたのかよとカナカナが鳴く

     だんご虫にもいろめいろありて高貴なるやからはどれもだんご作らず


わたしが拙い感想を綴るより、どうぞ、味わってほしい。

「あとがき」に喜寿の後期高齢者です、などと書かれているが、どうして

どうして、この洒洒落落(しゃしゃらくらく)たるさま。

作者の〈生〉の充実ぶりが伝わってくる一集である。

3首目の「才太郎畑(さいたらばたけ)」などという言葉に初めてまみえた

     衝撃(笑)

5首目の「こねこね」という関西弁 ? の面白さ。

最後の歌の「だんご虫」の歌は、あるいは社会批判になっているやも知れま

せぬ。

                         2018年7月18日初版発行

                                3500円+税


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朝出の玄関でのいつもの会話

         「クーラーはつけなさいよ」

         「ハイ、ハイ、ハイ。」

         「返事は1度っ pout 」

         「はあ〜い」




つまり、奴の思惑は「トシヨリ」は暑さを感じないから、

クーラーをつけない、と思っているみたい。


             

暑いよ、ホントに暑いよ。

だけど朝の9時からクーラーなんて付けるのは、世の中の

人に対して申し訳ないような……

2018年7月24日 (火)

暑気払い

陽だまり短歌会が終わって。暑気払いということで

皆さんと飲み会。

暑いので、コミュニティバスで移動。

お寿司屋さんでの会食。


Sさんが事情あって欠席だったため、飲み方もおのずと

冴えない ?     わたしは生ビール1杯しか飲めなかった。



でも、みなさんとの団欒はすこぶる楽しいものであった。

「オレオレ電話」の撃退法や、同窓会のあれこれなど、年齢にふさわしい(笑)

話で、盛り上がった。

同窓会は「女性は幸せな人が出席し、男性は夢を求めて出席する。」には

なるほど、なるほどと納得。


お寿司屋さんのコース料理は、一品一品丁寧で洒落ていて、

何より美味しかった。


そうそう本日は、竹内文子さんの第四歌集『午後四時の蟬』(砂子屋書房)を

教材にした。

この人の歌は実にいい。皆さん、こんな歌が詠みたいと声を揃えて

言っていた。

この歌集のことは、明日にでも改めて紹介したい。

2018年7月23日 (月)

念力のゆるめば死ぬる大暑かな    村上鬼城

セミの成虫の寿命は1週間、ではなかった。

7月11日に初蝉の鳴き声を聞いて、今日は23日。

今朝もジイ、ジイと大合唱である。

街のなかの住まいとはいえ、近くのビール園の木々や街路樹で

鳴いているようだ。

セミは暑さに弱く、ストレスにも弱いらしい。

それで、昼間は鳴かないんだ、ね。(念力を使い果さないように。)


土用の丑の日にうなぎは食べなかった。

かわりにことしは、頂き物の、久喜の「うなぎおこわ」を食した。

うなぎの蒲焼きを「おこわ」にのせて、押し寿司風にしたもの。

それほど大きくはないのだが、「おこわ」なので2つも食べたら

おなか一杯。





そういえば、このところお米が減らない。

朝、2合炊いてお弁当を1つ作って、夕ごはんを食べても余る。

4月の健康診断以後、食生活を見直したことにもよるけど、2キロの体重減。

まぁ、いつまで続くことやら。(リバウンドがコワイ(笑))

        わが晩年などと気取りてあぁ暑し     池田 澄子

                           『思ってます』 より




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P・M  9:00    なんだか月が赤く見える。

        見ていて怖くなった。

        この赤さはなんなの ?

                 酔ってはいない筈なんだけど……

2018年7月20日 (金)

不思議な縁(えにし)

水町京子は、大正・昭和期の歌人。

尾上紫舟の指導を受け、「水甕」に参加。のち古泉千樫の門に入り

青垣会に参加。大正14年「草の実」創刊。

昭和10年より「遠つびと」を主宰。

歌集に『不知火』・『遠つびと』・『水ゆく岸にて』などがある。

明治24年生まれ、昭和49年に亡くなっている。



その水町京子が櫻美林学園で国語教師をしていた昭和30年代の

教え子がTNC西日本文化サークルの教室に来ている。

S さんは、17歳頃に水町京子から「源氏物語」を習っている。

当時は水町京子が歌人ということも知らなかったようだ。

Sさん宛のハガキには本名の「甲斐みち子」としたためている。

当時のハガキや創作社発行の「創作」(若山牧水追悼號)のコビーを、

本日はお預かりした。




「牧水さんをおしのびして」と題した追悼文は、牧水の人柄を活写している。

「年の若い叔父さんにでも對するやうな気持でおすがりしてをりました」とも

書かれている。



1枚のハガキ、何年なのかはインクが薄れて判読できないが、5円であり、

現在のハガキの大きさより一回り小さめである。

S さんが大事に保管していたのだろう。

まさか自分が後年、短歌を作るようになろうとは思いもしなかったこと

だろう。


一葉の写真の裏には、「昭和31年頃 櫻美林学園校庭にて」とあり、

写真には甲斐みち子先生(水町京子)と S さんら15・6・名が並んで写って

いる。白黒写真なのだがSさんの凛々しい、賢そうな顔。

甲斐先生はゆったり優しそうなお顔である。


Sさんが「源氏物語」を習った甲斐先生が水町京子という歌人であったこと、

きっと S さんは不思議なえにしを感じているのではないかしら。






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本日の福岡の気温38℃。

出かける前にシャワーを浴び、帰宅して真っ先にシャワーを浴びた。

まだまだこの暑さは続くようだ。ひぃ〜



今夜は上弦の月。

P・M 10:30   西の空に輝いている月。

                   月の前方(左側)には木星が呼応するように

         瞬いている。



2018年7月19日 (木)

「希望」が見えた。

P・M 8::40過ぎ、南南西の空に「希望」(国際宇宙ステーション)が、

肉眼でしっかり見えた。

今夜のISSは東北東の空に消えてゆくまで5分以上あって

ゆっくりたのしめた。

西の空には、上弦まえの月が見える。

夜になっても暑さは衰えないが、こうして空を見ているひとときは、

心が穏やかなのだろう。




そうそう昨日のブログの、

           「終わった人」の帰りは早い。

の意は、映画「終わった人」をもじって書いたものだ。

館ひろし&黒木瞳主演の映画を観たのだが、上映はすでに終わっている。

バタバタと過ごしていてブログに書き込むのを怠っていた。









映画は、

定年を迎えた田代(館ひろし)は、一日中、家でぐうたらとしている。

一方、妻(黒木瞳)は、自分の美容院を持つべく張り切っている。

夫と妻の隔たり ?   

しかし、夫もこのままで良いとは思っていなく、あれこれと手を出してみるが、

いかんせん、立派な学歴と職歴がかえって足を引っ張る。

カルチャーセンターに通いはじめ、そこの受付の女性との恋 ? が勃発。

そのご、I T 企業への再就職はしたものの……シリアスな状況となってゆく。

はたして、この夫婦はそのご…(結末は書かないでおこう)

原作、内館牧子。







と、いうことで「終わった人」とは、定年を迎えた人という意味で使った次第。



昨日の久留米は38℃だったらしい。

明日の福岡の予報は36℃。お出掛けが思いやられる。

とにかく、この暑さを乗り越えなくちゃ。

2018年7月18日 (水)

イエローアイコと曜白アサガオ

朝夕の水やりが欠かせないプランターの植物たち。

毎朝たっぷり如雨露で水をやる。

おかげさまでイエローアイコ(ミニトマト)は、毎朝5コくらいの収穫。

サラダに添える。


今年は曜白アサガオのピンクの花が小さい。

花弁の中心から筋条に白い模様の入った花。わがやのはピンク。

ゴーヤは4本下がっている。食べるのは勿体ないので鑑賞用 ?

黄色い小さな花は沢山咲いている。風が吹くとはらはらと零れる。



本日は久留米行きだったが、弁当持参。

終わって西鉄特急電車で福岡天神へ。天神町には浴衣姿の女の子たちが

ちらほら。どこかで花火大会があるのかしらん。男の子(と、言っても青年)が

浴衣を着て、女の子と手をつないで歩いている。(いいな、いいな。)

役所に行き、約束のものを頂いて、その足で丸善へ。

あいにく探している品物がなくて、新天町の復古堂へ。

さすがぁ、此処には在庫があった。







そんなこんなで帰宅するとすでに連れ合いはご帰還(笑)

「終わった人」の帰りは早い。

プランターの水やりはしてくれていたけど…

すでにビールの空き缶が……

P・M 8:40  今夜の月はだいぶん太ってきている。

金星は遠く離れて、もう沈んでしまう。







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本日の歩数、7449歩。距離、5.0km    活動量 1.5Ex    

    消費カロリー 143Kcal   脂肪燃焼量 10g

    ふぅ〜

2018年7月16日 (月)

歌誌「月光」 2018年5月号 №55

福島泰樹主宰誌が届いていたのだが、積ん読(笑)をしていた。

本日はゆっくり拝読。

本号の特集は「福島泰樹第三十歌集『下谷風煙記録』」。


伊藤一彦、藤原龍一郎、加藤英彦、東直子、田中綾、岡部隆志ら各氏の

評が読み応えがあった。


    (略)残された者にできるのはひたすら詠い続けることだけなのだと…(

    (略) なぜ、死者を呼び戻すのか。それは時代が失ってしまった

    大切なものを奪い返すためだろう。

                    渉れ、悲嘆の河を    加藤 英彦

    (略)死を悼み、魂を鎮めるための仕事を一貫して続けておられることの

    原点は、母の死にあることは間違いないのではないかと思う。

            残酷なこの世に漂う/魂のための集大成   東 直子

    (略)死者たちが思い残したであろう思いを、生き残った私は債務として

    負ったということである。(略)

             『下谷風煙録』を読む     岡部 隆志   
 



この『下谷風煙録』 のことは、当ブログの2017年11月10日に歌を引用し

わたしの個人的感想を詳細に記している。従って、本日は歌を5首のみ

参考のために以下に記す。


     この俺の在所を問わば御徒町のガードに点る赤い灯である

     御徒町大原病院ぼくを生んだ同じベッドで母ゆきたまう

     昭和十九年三月 ぼくは祖母に抱かれ遺骸の母を見ていたのだろう

     ふかぶかと夢をみていた生まれ来て死にゆくまでのあいうえおせよ

     死はやがてあまたの生を呑みこんで蕩けるようにやってこい俺に


そういえば、この「月光」№55は、「第五回黒田和美賞発表」となっている。

受賞者は佐久間章孔さん。なつかしいお人である。むか〜し、「未来」に

いて活躍していた。受賞の言葉のなかに「大病を得て入院し、気力・体力が

衰えた時、私小説というものをあらためて知ったのである。ー略ー」と記す。

この人の上にも重い人生が横たわっていたのだ。

 

 

 


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このところ「福岡市熱中症情報」が毎朝届く。

本日は、午前9時にはやくも29℃で厳重警戒。12時は危険。

15時に厳重警戒で、18時より21時まで警戒である。

「熱中症」になるのは怖いので、エアコンを付けて読書三昧(笑)


P・M 8:30      月の下(背中) ?   の方に金星が寄り添っている。

         昨夜と反対の位置。

         素敵な月のかたちだ。





2018年7月15日 (日)

『片山廣子』 古谷智子 本阿弥書店

「心の花」の歌人・片山廣子の評伝。

441ページもの大冊であり、著者の渾身の力がこもる一書。


明治11(1878)年生まれの片山廣子は、与謝野晶子と同年ながら、

その歌も言動も晶子に比べると世の認知度が低い。

しかし、優れた近代歌人であり、松村みね子名のアイルランド文学の

翻訳者でもあった。




著者の「はじめに」の文中に「廣子は生来の立ち位置を少しもずらすことなく

一点に立ち、時代を見据え、静かな知的変革をはかった。(略)」と、書かれて

いる。


この書で知った、芥川龍之介との接点に少なからず興味が湧いた。

Ⅲ部の「匂い立つ思慕」は、廣子が芥川に送った手紙を引用しながら

筆を進めている。

42歳で夫・貞次郎に逝かれた廣子にとって、芥川との出会いは、その後の

文筆生活のみならず全余生を彩ったことだろう。しかし、その思慕は芥川の

自死によって実ることはなかったし、廣子の自分自身を律する姿勢は変わる

ことはなかったのだろう。



    (略)わたくしたちはおつきあひができないものでせうか

    ひどくあきあきした時におめにかヽつてつまらないおしやべりが

    できないものでせうか あなたは 今まで女と話をして倦怠を

    感じなかつたことはないとおつしやいましたが わたくしが女で

    なく 男かあるひはほかのものに、鳥でもけものでもかまひませんが

    女でないものに出世しておつきあひできないでせうか これはむり

    でせうか                 大正13年9月5日付


     



14歳年下の芥川との出会い、適齢期の子を持つ節度と自制、そして懊悩。

男と女という関係でなく、知性を磨きあい、深めあう関係を欲っしていたとも

とれる。


まだ、全ページ読み終っていないのだが、短歌作品を少し紹介したい。



     うつせみは木より石よりさびしけれ此ますぐなる性(さが)を捨てばや

     我が世にもつくづくあきぬ海賊の船など来たれ胸さわがしに

     よろこびかのぞみか我にふと来る翡翠の羽のかろきはばたき

     いくたびか老いゆくわれをゆめみつれ今日の現在(うつつ)は夢

     よりもよし

     動物は孤食すと聞けり年ながくひとり住みつつ一人ものを食へり


                        平成30年7月7日 第一刷

                           3800円+税



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P・M 8:00      細い細い月が、金星に「おいで、おいで。」をしている

         みたいだった。

 

2018年7月10日 (火)

「誌上大歌会」  角川『短歌』 2018年7月号

『短歌』7月号の特集、「誌上大歌会」が面白かった。

結社も世代も越えた5名が自由詠で一人3首出して、選歌する方式。

勿論、無記名だから、誰の歌かわからない筈。

点盛り結果の一覧表を掲載。

そして、何よりその批評の読みの深さやこまやかさが参考になった。

参加者は、小池光(短歌人)、栗木京子(塔)、坂井修一(かりん)、

小島なお(コスモス)、服部真里子(未来)の5名だった。

最後に「作者一覧」として、歌と名前を発表している。




本日、わたしの関係している教室で皆さんがたの歌を無記名で

披露してみた。(ごめんなさい)

点が沢山入ったのは小島なおさんの歌で2首。「ほんとうのさみしさからは

ほど遠く樗(おうち)の下に逆さまのバケツ」と「のりしろのような時間が

ほのひかる葉桜の下をパトカー過ぎる」だった。

坂井修一さんの「夜の底わたしくたくたあめふらし進むも引くも

しよつぱい春だ」は、男性に人気があった。



小池さんが、なおさんの歌を2首選んでいたのが、さもありなん(笑)と

思ったことであった。たぶん、下の句に惹かれたのでしょう。

それにしても、みんなの意見は「小島なおさんって歌が上手いねぇ、」

だった。











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北部九州も昨日、梅雨明けした。

電車の窓から見た雲の峰。

ああ、ほんとうの夏がやって来た。

         積乱雲つねに淋しきポプラあり    金子兜太




ことしの夏の訪れはことのほか淋しい。

せつない夏だ。



2018年7月 9日 (月)

季節の便り⑩  シマトネリコの花

歯科の診察台に座ると窓の向こうにシマトネリコの白い花が

見える。わたしにとってシマトネリコといえば歯科と結びつく。

那珂川に沿った道路の街路樹はシマトネリコで、どういうわけか

いつもこの花季になると歯科通いをしている。

煙がくすぶったように見えるスモークツリーと花は似ているが、

シマトネリコは、雌雄別称の高木で雄の木は花が咲かない。

シマトネリコは、香りのある白い小花が密生して咲く。

羽状複葉(うじょうふくよう)といって、2枚1組で生える葉である。



それはさておきテレビを観るのも、新聞を読むのも、怖い。

このたびの豪雨の被害は日を追うごとに死者や行方不明者の数が

増えてゆき、その数を思うとからだが震える。

日常が日常でなくなることの怖さ。

何か自分でも出来ることをしなければと思う。






今朝、と言っても夜中の2時40分頃、からだが揺れる感じで目覚めた。

あ、これは地震だととっさに思った。

震源は福岡地方で、わたしの住むところは震度1だった。

震度1くらいで飛び起きる臆病者である。



それから眠られず、3時50分過ぎ、再びの地震だった。

2度目の地震の方が大きく、佐賀県南部が震源地とか。当地は震度2で

あった。




このたびの豪雨のことを思うと、震度1や2くらいの地震でオタオタしている

自分が恥ずかしい。

こんな臆病者のわたしがよくぞ今日まで生きてこれたものだと、

思ったりしている。

2018年7月 3日 (火)

身は秋の  山下 翔   8日で800首キャラバン

昨年の8月はじめ、山下翔さんが1日100首製作のキャラバンに

出掛けることを知った。

8日間で800首作るとのこと、なんと無謀なと溜息が出た。

でも、若い彼ならやるかもしれないな、と、半分期待していた。

「道中、無事でありますように。元気で博多に帰ってくることが基本です。」

と、メールを入れた。

キャラバンに出掛ける直前に肺炎になった ?   と知り、いよいよその

キャラバンのことが気がかりだった。

ことし5月の末にそのキャラバンの冊子が届いた。

              身は秋の           150首

              重いやうな軽いやうな   400首

              胸をゆらして         800首



読みながら、涙が出て、先にすすめなかった。

なんでこんなに感情移入してしまうんだろうか、と。

たぶん、わたしは、私自身の息子のことを重ねて読んでいたからなのだろう。

働いて、働いて、唯一の楽しみが旅行のわが息子。

つれない母親であるわたし。


山下さんが、肺炎を押してキャラバンに出掛けた。

そして、その歌は、病を押して旅をしていた〈長塚節〉にも重なってみえた。

なるべく楽しい歌を引用したいと思いつつ、さて、どうだろうか。

 



   もうだれとも会はなくなつて草の匂ひ金属バットの匂ひなつかし

   サンダルの底の穴よりしみてくる京都の夜のぬたぬたと濃き

   まぶしさは秋の日差しにゆれてゐる風の感じの西本願寺

   風ゆれる米原駅のホームには大垣行きをひとつ見送る

   いつのまにかわたしもとんぼ揺れながらただよふ旅に逢ひたさは来る

   列車ひとつ発ちたるのちのホームにはわが身ひとつの身を伸ばしをり

   いまわたし太陽フレア駅前に木々の葉は揺れ陽はゆらぐかも

   秋の風おもひでふかく母呼べばちよつと待つてとなかなか出てこず

   唐揚げを食べてしまひし皿の上(へ)に塩はのこりぬ唐揚げはなし

   感情つてかういふことか秋の雲はとほくになるのにわが胸にもある

   母を呼び出し母を立たせて秋風にふるへる草とわれと見てをり

   力おとろへてゆるくなりゆく夏の雲だんだん視力うしなふやうな

   好きだつたマクドナルドもこのごろは行かなくなればかなしきものを

   風がむすんでゐた秋の雲ほどけつつうすいゆふやみのただなかに居り

   坂はいつも脚がおぼえてゐるものだ背中から陽のあたる坂みち




ことしも彼はキャラバンに出るのだろうか。

その前に(それよりも)第一歌集が読みたいよ〜

 

 

2018年7月 2日 (月)

歌集『孤影』 江田浩司  ながらみ書房

歌集『まくらことばうた』を出したのが2012年、そして、歌集『逝きし者の

やうに』は、2014年であった。いずれも北冬舎から刊行されていた。

精力的に弛まず活動している江田さんのこのたびの歌集はあとがきに

よると「(略)この歌集の形態が、現在(いま)の私の必然であり実験なのです。」

と記されている。

     やはらかき光りをかへす頬の肉みずの現(うつ)そ身ならむわが身か

     うすぐらい闇のむかうに雪がふる 弱さが武器になることもある

     火の中にむち打つ音を聞きながらあゆみゆけるは孤影なりけり

     鉄橋のひびきはるかに聞こえくる青葦をふく風は澄みたり

     グールドのバッハ流るる書斎からメール送りぬ水の詩人に

     起きなさいもう十年がたちました 葦の入江の眠りは如何に

     父と生きし五十二年の歳月にいくたび苅りし麦の穂やある

     人間であるゆゑ重き幸福がぬれたる桃のごとく置かれぬ

     残雪のとける遅速に思ひをり『古今和歌集』貫之の歌

     夏空に雲あらざれば空(むな)しきかわがうたの道うつす影なし



1首目、「みずの現(うつ)そ身」は、「みづ(水)」の誤植でなければ、4首目の

     「青葦」や6首目の「葦の入江」などから想像すれば、湿った原野や

     川沿いに群生しているイラクサ科の一年草の「ミズ」であろうか。

     (その植物の「ミズ」であれば、表記は正しい。) 

     「みづ(水)の現そ身」だと、ありきたりの表現になるが、イラクサ科の

     「ミズ」であってほしい思いが強い。(個人的には)

3首目は、歌集題になった歌で、「孤影」は作者自身。自らを「孤影」と認識

      せずにはいられない心の在処を思う。

              帯の惹句の「憂愁の影を曳きながら歩む一人の…」姿が浮かぶ

       ようではないか。

6首目は、『まくらことばうた』を上梓して10年経過の心持ちを詠んでいる。

      もう、あれから10年がたちましたよ、と。

      葦の入江での眠りだった10年をかえりみている。自己励起の歌と

      いえそうだ。

9首目、貫之のどの歌を指すのか、いや、貫之のすべての歌に関心が

     あるのか。正岡子規が「貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ

     集に有之候。」の冒頭の言葉のみが独り歩きしてしまつたが、

     どうして、どうして、貫之大好き歌人は多いことだろう ?

最後の歌を読むと、江田さんの焦燥感が思い遣られる。

しかし、「歌人未満の男が(略)」などという歌はうたってほしくない。

(作者自身のことであれ、第三者のことであれ、言葉が美しくない(笑))


試行錯誤ののちに辿り着いた ?  と思えるこのたびの『孤影』は、きっと

江田さんにとっては分岐点というか、転機になるのではないだろうか。

得るものの多い歌集だったと、作者自身も思っているように

思えるのだが……


沢山の付箋の中からとりあえず10首のみを選んでみた。

                           2018年6月20日発行

                           2400円+税

 

 

 

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