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2018年7月 2日 (月)

歌集『孤影』 江田浩司  ながらみ書房

歌集『まくらことばうた』を出したのが2012年、そして、歌集『逝きし者の

やうに』は、2014年であった。いずれも北冬舎から刊行されていた。

精力的に弛まず活動している江田さんのこのたびの歌集はあとがきに

よると「(略)この歌集の形態が、現在(いま)の私の必然であり実験なのです。」

と記されている。

     やはらかき光りをかへす頬の肉みずの現(うつ)そ身ならむわが身か

     うすぐらい闇のむかうに雪がふる 弱さが武器になることもある

     火の中にむち打つ音を聞きながらあゆみゆけるは孤影なりけり

     鉄橋のひびきはるかに聞こえくる青葦をふく風は澄みたり

     グールドのバッハ流るる書斎からメール送りぬ水の詩人に

     起きなさいもう十年がたちました 葦の入江の眠りは如何に

     父と生きし五十二年の歳月にいくたび苅りし麦の穂やある

     人間であるゆゑ重き幸福がぬれたる桃のごとく置かれぬ

     残雪のとける遅速に思ひをり『古今和歌集』貫之の歌

     夏空に雲あらざれば空(むな)しきかわがうたの道うつす影なし



1首目、「みずの現(うつ)そ身」は、「みづ(水)」の誤植でなければ、4首目の

     「青葦」や6首目の「葦の入江」などから想像すれば、湿った原野や

     川沿いに群生しているイラクサ科の一年草の「ミズ」であろうか。

     (その植物の「ミズ」であれば、表記は正しい。) 

     「みづ(水)の現そ身」だと、ありきたりの表現になるが、イラクサ科の

     「ミズ」であってほしい思いが強い。(個人的には)

3首目は、歌集題になった歌で、「孤影」は作者自身。自らを「孤影」と認識

      せずにはいられない心の在処を思う。

              帯の惹句の「憂愁の影を曳きながら歩む一人の…」姿が浮かぶ

       ようではないか。

6首目は、『まくらことばうた』を上梓して10年経過の心持ちを詠んでいる。

      もう、あれから10年がたちましたよ、と。

      葦の入江での眠りだった10年をかえりみている。自己励起の歌と

      いえそうだ。

9首目、貫之のどの歌を指すのか、いや、貫之のすべての歌に関心が

     あるのか。正岡子規が「貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ

     集に有之候。」の冒頭の言葉のみが独り歩きしてしまつたが、

     どうして、どうして、貫之大好き歌人は多いことだろう ?

最後の歌を読むと、江田さんの焦燥感が思い遣られる。

しかし、「歌人未満の男が(略)」などという歌はうたってほしくない。

(作者自身のことであれ、第三者のことであれ、言葉が美しくない(笑))


試行錯誤ののちに辿り着いた ?  と思えるこのたびの『孤影』は、きっと

江田さんにとっては分岐点というか、転機になるのではないだろうか。

得るものの多い歌集だったと、作者自身も思っているように

思えるのだが……


沢山の付箋の中からとりあえず10首のみを選んでみた。

                           2018年6月20日発行

                           2400円+税

 

 

 

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