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2018年9月24日 (月)

歌集『何の扉か』 春日真木子  角川書店

「(略)九十歳を九〇歳と記せば十〇度目の零からのあらたな出発です。‥」

と、あとがきに記す著者の第十三歌集。

読みながら、背筋が真っすぐ伸びるような、いえ背筋を伸ばさないと

いけないような、著者の気骨がひしひしと伝わってくる一集である。

     潔く辞めむと言ふ父潔(いさぎ)わるく続けよと宣らす尾上柴舟

     さくら散る時間の光を曳きて散る 何の扉か開くやうなる

     昼月の浮力をわれに引き寄せむ杖ふりあげて今日の背伸びは

     花桃のひらきてわれは九〇歳 ああ零(ぜろ)からの出発の春

     投稿歌の「蝉」は自由に鳴かすべし「蝉」より「蟬」へ直しつづけつ

     雨か霰もしくは雪といふ予報されば出掛けむ槍と死降らねば

     はさはさと春の羽搏き鳩寿なるわが新春の胸を打つなり

     治療室のベッドは高くのぼれざり然(さ)らば背面跳びの術(すべ)にて

     法案の強行採択戦(をのの)きて坐る丸椅子 あ、背凭れがない

     降りたちて雀は歩く二歩三歩芋虫まるくころがしながら


こうして、書きうつしながらも、己の弱さや甘えが恥ずかしくなる。

3首目、「杖ふりあげて」って、凄くない? 。いつだったか歌会で Tさんが

「杖ふりあげて蜘蛛の巣払う」っていう歌を出していたのだけど、いっぺんに

Tさんが好きになった。おうちの玄関先の木々に蜘蛛が巣を張って邪魔に

なって通れない。手に持っていた杖で蜘蛛の巣を払ったのだって。Tさんは

やむにやまれず「杖ふりあげて」なのだけど、春日さんの「杖ふりあげて」は

健康志向だ。


4首目、「零(ぜろ)からの出発の春」なんて、うたえるのも気概。

そして、九十を「鳩寿」とうたう7首目、なるほど「キュウジュ」だ。この歌は

『短歌』の2017年の1月号に掲載されていた歌でしっかり覚えている。

なぜって、昨年の4月、北九州芸術祭短歌大会で「鳩寿の胸」の一連について

講演したからだ。この年の1月号は『歌壇』に8首、『現代短歌』に25首、そして

『短歌』に10首掲載。なんとまぁ精力的な90歳かと畏れいったものだ。


5首目、わたしも「蝉」と表記した歌があると、注意する。「蝉」は、口を二つ

付けてください、と。春日さんの「自由に鳴かすべし」のユーモアに笑って

しまった。


6首目は、槍か死が降らなければ「雨」だろうが「霰」だろうが「雪」だろうが、

出掛けるという気丈さが頼もしい。


8首目の「背面跳びの術(すべ)」も、おそろしい(笑)。わたしにはできない。

なんて、甘えてはいけないんだ。



9首目、10首目は何より好き。

「あ、背凭れがない」とか、「芋虫まるくころがしながら」なんて、そのまんま

だと思うけど、それが凡人には歌に出来ない。




そして、そして、掉尾の「長歌」、これが実にいい。

父君の「松田常憲」を偲び、丈高く、情感を込めて吟じている。

    反歌   ひと夏を父の食みにし鰻(うなぎ)らよ長歌百首に

          光添へませ




心が折れそうなひと、わたし高齢だからなんて弱音を吐くひとほど

この『何の扉か』を読んでほしい。

読めば、きっと、立ち直れる。


わたしも泣き言いうのは、やめなくちゃ。


                         2018年9月10日 初版発行

                         2600円+税

 

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