« 「罠と伊予柑」   竹中優子 | トップページ | 『北冬』 № 018 北冬舎 »

2018年12月 3日 (月)

「現代短歌新聞」  12月号  現代短歌社

現代歌人協会主催の第41回現代短歌大賞を受賞した春日真木子さんの

受賞インタビューが1面に掲載されていた。

その写真を眺めながら〈眼力(めぢから)〉のあるかただなぁ、とつくづく

見詰めた。

インタビューの中での言葉「(略)短歌は自己の存在証明ですから。」に

すこぶる納得。


と、同時に第64回角川短歌賞を受賞した山川築(やまかわ・きずく)さんの

言葉が思い起こされた。山川さんは、大辻隆弘さんの『時の基底』の本に

収められた「自分を消すための呪文」という文章の結びの言葉を引用して

「(略) 自分を消す、そのためだけに私は歌を詠む。」(『時の基底』文)に、

「大きな驚きと、認識をぐるりと転換させられるような感触を覚えました。」

(「受賞のことば」より)と書いている。

そのことの是非は兎も角、では、そのような評論を書いた大辻さんの最近

作は、先の論文のような「自分を消す、そのためだけに歌を詠‥」んで

いるのかどうか、検証してみてもいいのではないか、などと思ってしまう。

「未来」2018年11月号が手許にあるので「十一月新集」の作品をあげて

みたい。10首、掲載されているが、前の3首を読むと、これが「自分を消す、」

作品なのかと、疑問を呈したい。


     夏風邪の名残をはつか引きながらひとひさすらふごとくをりたり

     背もたれに昼の睡(ねむ)りの浅かりし身をゆだねたり誰(たれ)も

     たれも来るな

     まどろみの頬のおもてを撫でて過ぐ風はわたしをここに残して

           入射角     大辻隆弘  2018年11月号掲載分

評論通りに実作しているとは思えない。

あの文章は、評論を書くための表向きの(笑)文章で、必ずしも評論と

実作は一致せず、別なものだということだろうか。


それにしては、山川さんは大辻さんの文章に「認識をぐるりと転換させ

られるような感触を覚え…」たのだ。


そんなことをつらつら考えた。

春日真木子さんの語る「短歌は自己の存在証明ですから。」に、わたし

自身はすごく納得するし、それでなければ短歌を作っている意味がない

とまで思っている一人だ。

まぁ、人それぞれだから、どちらが正しいとか、どちらが古いとかも

言えない。好きな方法ですればいい話‥‥


       正直に言うと、大辻さんの『時の基底』は、読んでいない。

       読んでいないのに物申すのも可笑しなわたし。

               

       たぶん、前後の文脈や自分の作品のことではなくて、どなたかの

       歌人のことを論しているのか、とも思う。

       やっぱり買って読まなくては‥‥

« 「罠と伊予柑」   竹中優子 | トップページ | 『北冬』 № 018 北冬舎 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/2032066/74708148

この記事へのトラックバック一覧です: 「現代短歌新聞」  12月号  現代短歌社:

« 「罠と伊予柑」   竹中優子 | トップページ | 『北冬』 № 018 北冬舎 »