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2018年12月

2018年12月28日 (金)

『あさげゆふげ』 馬場あき子歌集 短歌研究社

2015年(平成27年)11月から、2018年(平成30年)5月までの

作品を収めた27番目の歌集。

本歌集には平成29年11月3日に急逝された夫君の岩田正氏の挽歌も

収められている。

  山葵田の背(せな)のはんの木さやさやと風のやうなる水の音(ね)をたつ

  よき思案何一つなしただ明るき空にきてゐる新しき年

  ただ眠い春です油断するうちに猫にも虫にもなれさうな午後

  行動の早きもののみが生き残るこれが戦争と知りて走りき

  きみといふ人称少し似合はなくシャツうしろまへに着るうちのひと

  歌よみは歌を捨てれば知らぬ人おそろしけれど箴言ならん

  よはひとは祝はれにつつ死に到るものかな今年の牡丹は三つ

  晩年を生くるとは身を丁寧に消費すること木槿うなづく

  柿生坂にがてとなりぬ坂と藤とゆつくり対話させつつくだる

  長考し長考し見ゆるものありや一石を投ずるといふことの大きさ


前半より10首をあげてみた。

この歌集は、後半に岩田正氏の挽歌が収められており、そちらの方の

歌をあげると、本日のブログにはおさまり難い?ので、後半は年明けの

4日か5日に、と思っている。


あれこれとわたしが鑑賞するより味わってほしい。

『あさげゆふげ』という歌集題もさることながら、親しみやすく、平明で、

しかも、馬場さんの思索・精神生活が滲み出ている歌が多い。


かわったところでは、10首目の歌、

これは「椿山抄」の章の1首で、下記のような詞書が付いている。

    二〇一七年秋九月十二日、椿山荘にて第四十二期囲碁名人戦

    七番勝負第二回を観戦する。名人高尾神路に奪われた名人位を

    奪還するため井山裕太六冠挑戦す。


馬場さんといえば、囲碁もなさるかたで、『桜花伝承』・『雪鬼華麗』・

『月華の節』の中にも囲碁の歌が収められている。女性の歌人が

囲碁をうたうのも珍しい? のではないか。

かようにして、沈着・怜悧な面を持っている馬場さんだけど、歌が随分

やさしくなられた。


このところのわたしのモットーは「高齢者の歌に学ぶ」ということ。

歌を読むたのしみも勿論あるが、何らかの人生の示唆がありそう。

それでは、『あさげゆふげ』の後半部分は年が明けてからの続きと

いうことで…


     

このブログを読んでくださっていた皆様、ありがとうございました。

高尚なことが書けず、いつも忸怩たる思いをしつつ

綴ってきました。新しい年になったら少しは成長‥(は、出来ないでしょうね。)

皆様、どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。    

                                                         miyoko

2018年12月27日 (木)

歌集『水晶橋』 谷川 紀子  角川書店

「未来」岡井隆選歌欄の第一歌集。

歌集題となった「水晶橋」は、大阪・中之島の堂島川にかかっている

アーチ橋である。


   近江路のうすら紅葉のその向かう琵琶湖のひかりこきざみに照る

   夕光の土佐堀川の遊歩道バルデュソワール紅薔薇の咲く

   夕づきて水晶橋を渡るなりわれを押しつつ凍てたる風吹く

   生きるとは日々くり返すはかなごと使ひたる碗をていねいに洗ふ

   傍にゐる只それだけで充ちてゐし遥けき日々よ戻り得ぬ日々

   消印は遥かはるかの岩戸町いのちがありて絵葉書受くる

   あへぎつつ百一段をのぼり来て月読(つくよみ)神社に大吉を引く

   一人居の暮しになれて十九年淋しい時は花の手入れす

   老いてなほ生きる意味など捜すわれ貝母(ばいも)の花を籠に活けつつ

   八十歳(はちじふ)をこえて尚まだ生きてゆく未だ知りえぬわれに

   会ふため


谷川さんの歌を読んでいると心が和ぐ。

谷川さんの歌には湿っぽさがない。

谷川さんは、日々を十全に生きているように思える。


1935年生まれの谷川さん。

80歳を越えて尚、未知のわれを知りたいとねがう心。

今、ここにこうして生きているということを恩寵のように思っているのだろう。

独り暮らしも早や19年、自身の心の扱いかたも自得している。

                             帯文 岡井 隆

                             跋文 中川佐和子

                             2018年11月25日 初版発行

                                2600円+税


     

秋以降の多忙が祟って、随分と読み残した本が積まれている。

歌集13冊、歌書他7冊。

結社誌も「目次」と「あとがき」を読むくらいに終わってしまった。

たいせつに編まれた書籍なのに、礼状も失礼してしまい、ごめんなさい。


昨日から今日と、カレンダーを掛け替え、お花を活けた。

松と千両と白菊・黄菊を活けたら、お正月を待つ心地になった。

旅に携える町田康と宮下奈都の本も購ってきた。


明日は大掃除。

そして、今年最後のブログに取り上げる歌集は、?   ?   ?

 

 

2018年12月26日 (水)

歌集『池にある石』 三井ゆき  六花書林

「あとがき」のことばを何度も何度も読んだ。

著者・三井ゆきさんの心の在り様がずしんずしんと伝わってくる。

       「(略)からだからどんどん毒気が抜けてゆき四十年以上

        住んでいた東京に居る意味も無くなっていった。」



「東京に居る意味」 ?  の本意まで窺えないが、東京での生活に区切りを

つけて、故郷に近い金沢への移住。


      「(略)何もかもリセットするつもりでの移住であった。じつにさばさば

       した気分になったが、‥‥」

      「現実が夢であり、夢が現実であるかのような境界線上をうろうろ

       していることがときどきあるので、意味不明ながら今回の題名と

       した。」



『池にある石』の題名については、上記のように、あとがきに記されている。

なんとも象徴的な歌集題ではないか。著者・三井さんにとって『池にある石』

は、やはり、たいせつな題名なのだろう。


       この先はいくらか己れを好きになり生きてゆかむか侘助が咲く

       父へ詫び母にも詫びて夫に詫び盆はかなしき身のおきどころ

       柚子の香の満つる浴室あともどり出来ぬことなどおもふはよさう

       ただよふごとくベッドによこたはる明日はいかなる渚に目覚む

       八十八歳すぎし大坂泰さんが黄色きバイクにまたがりてくる

       冷ややかに笑ふな土手の草もみぢ泣きたきときは大声で泣く

       若き日を捨つるおもひに捨つる本高橋たか子も二十数冊

       対話するために逝きしか亡き人に捉はれつづけし歳月のはて

       みじか世にあひあひしゆゑ忘れざる声音のありて睡蓮を見る

       母ありき養母もありて姑もありき母となりたることなきわれに


4首目の「明日はいかなる渚に目覚む」は、せつない。希望というより諦念の

    ような頼りなさが…


5首目の歌は明るい。88歳を過ぎた人が黄色のバイクにまたがって

    来るのだ。黄色は希望の象徴のような色であり、幸せなカラーだ。

7首目、若い頃に揃えた高橋たか子の書。そういえば、わたしも高橋

     たか子の愛読者の一人でもあった。その書籍もいつのまにか

     書棚から消えていった。

8首目、この歌の1首前には「二〇一五年を知ることもなく逝きにけり

     約束事でありしかそれは」の歌が置かれている。著者にとって

     この「亡き人」は、きっと歳月のなかで重い位置を占めている

     のだろう。   
  

9首目、睡蓮はどこに咲いている ?  と、つらつら考えたとき、ああそうだ

     「池にある石」の傍に咲いていたのかも知れない、などと思ったり

     した。深読みであれ、何であれ、この歌集は、たった一人のひとに

     捧げる挽歌集ではないか ?  と。



それにしても、ほんとうに、ほんとうに、せつない歌集である。

「からだからどんどん毒気が抜けてゆき」に、わたしはいつになったら

なれるのだろうか。


                          2018年12月7日 初版発行

                              2500円+税

2018年12月23日 (日)

歌集『滑走路』 萩原慎一郎  角川書店

2017年12月25日 初版発行だった歌集を遅ればせながら読んだ。

Yさんにお借りしたのは、2018年6月15日の3版発行のものだった。

NHKのニュースウォッチで放送後、大反響だった一集でもある。

    今日という日もまた栞 読みさしの人生という書物にすれば

    あの角を曲がれば そうさ 新緑に出逢えるはずと心躍れり

    空だって泣きたいときもあるだろう葡萄のような大粒の雨

    消しゴムが丸くなるごと苦労してきっと優しくなってゆくのだ

    ぼくも非正規きみも非正規秋がきて牛丼屋にて牛丼食べる

    箱詰めの社会の底で潰された蜜柑のごとき若者がいる

    非正規の友よ、負けるな ぼくはただ書類の整理ばかりしている

    シュレッダーのごみを捨てにゆく シュレッダーのごみは誰かが

    捨てねばならず

    コピー用紙補充しながらこのままで終わるわけにはいかぬ人生

    夜明けとはぼくにとっては残酷だ 朝になったら下っ端だから


1首目、2首目を読むと、「希望」が垣間見える。

「32歳で命を絶った」という先入観がなければ、この2首など、若いひとの

弾むような〈いのち〉の輝きが感じとれる。


5首目の「非正規」のことばによって、この『滑走路』は、悲劇的な様相を

帯びてくる。社会問題にもなった「非正規」のことば。雇用関係が年々厳しく

なる一方である。その非正規の作者が「牛丼屋にて牛丼食べる」には、胸が

しめつけられる。注文すれば手早く出来、そして、安価な牛丼。


7首目、「負けるな」は、自励のことばのようにも思える。「書類の整理ばかり

している」には、報われないような、完全燃焼できないような虚しさが在る。


9首目、「このままで終わるわけにはいかぬ人生」と、認識しつつ、それが

実行出来なかったのは、なぜなのか。


10首目、夜の間は、自由に心が羽搏いていたのだろう。

「きみのため用意されたる滑走路きみは翼を手にすればいい」ともうたった

萩原さん。〈翼〉が見つからなかったのか、翼が折れてしまったのか。



萩原慎一郎さんは、第4回(平成28年)の近藤芳美賞で、岡井隆選の

選者賞を「プラトンの書」15首で、受賞している。

その選評で岡井隆さんは下記のように書いていた。


      選者賞に選んだ萩原慎一郎氏は、この賞だけでなく、今まで

     あちこちで読んで来た常連の一人ですが「プラトンの書」という

     題名が語っているように、知的な作風であり、平均的でととのった

     技巧の持ち主です。この一連もたのしく読むことができます。


ちなみに「プラトンの書」から5首だけあげてみる。(「風」平成28年度 NHK

全国短歌大会 入選作品集)


     抑圧されたままでいるなよ ぼくたちは三十一文字(みそひともじ)で

     鳥になるのだ

     挫折などしたくはないが挫折することはしばしば 東京をゆく

     更新を続けろ、更新を ぼくはまだあきらめきれぬ夢があるのだ

     無意識のままに歩いて気がつけばいつものように会社の前に

     プラトンは偉大で ぼくは平凡だ プラトンの書を読みつつ思う

        岡井隆選 選者賞 「プラトンの書」より 萩原慎一郎(東京)


稀有な才能を期待されていたのに……

萩原慎一郎氏の新作の「更新」は、もう2度とないのだ。

そのことを思うと、かえすがえすも惜しまれてならない。

2018年12月22日 (土)

映画「日日是好日(にちにちこれこうじつ)」  KBCシネマ

森下典子のエッセイの映画化。

黒木華主演の茶道入門の映画。 

茶道の師匠は、この9月に亡くなった樹木希林。




茶道の作法の細かさに典子(黒木華)は、ビビりつつも、次第に身に

ついてゆく。茶室に入る時は、左足からとか、畳一帖を六歩で歩くとか、

帛紗さばきとか、覚えることばかり。だが、師匠の言うには、

     はじめに型を作っておいて、あとから心が入るものなのよ。


らしい。習い始めて10年、典子にも茶道の心が備わってくる。

季節によって微妙に違う雨の音、松風(釜の湯のたぎる湯相)の音。

茶道に縁のない人も一度鑑賞するといい。



    

今日は冬至。

先日、毎日文化教室の事務所の佐藤さんが自宅で収穫した柚子を

籠に沢山盛ってカウンターの前に置いていた。

「御自由にお持ち帰りください。」と書かれていた。

教室が終わると、4階の教室の前まで籠を持って来て下さった。

わたしたちはこの心遣いが嬉しくて、好きなだけ頂いた。


今日はその柚子をお風呂に浮かべて、「柚子湯」を堪能した。



そして、今のマイブームは「白菜漬」。

この冬、白菜がお安くなったので、せっせせっせと漬物作りをしている。

本日で4度目の漬物作り。

2人暮らしなので、漬けるのは白菜の半分だけ。

それを3等分くらいに割り、2日間くらい陽に干す。

少し、しんなりしたのを漬ける。材料は、塩・唐辛子・昆布くらい。

水が出てきたら、1度その水を捨てる。

2・3日したら出来上がり。


おかか(鰹節)をかけたり、すりごまをかけたりして頂く。

美味しい、確かに美味しい。

誰にでも出来るので、お試しあれ。

えっ、もう、作ってる(笑)

2018年12月21日 (金)

「週間朝日」 12・28 朝日新聞出版

昨年末の「丸ごと一冊ネコ特集号」に続く第2弾。

「猫と幸せになる」がキャッチフレーズの特集号。

この猫が登場するページには肉球スタンプが付いているのがカワイイ。


「マリコのゲストコレクション」のゲストは動物写真家の岩合光昭さん。

           ネコは人を見る。やさしい声かけをすると相応の

           顔をしてくれます。


聞き手の林真理子さんも大のネコ好き。

           スーパーの帰り、よくノラネコに呼び止められるんです。

  

         

来年の2月22日(ニャンニャンニャンのネコの日)公開の映画「ねことじいちゃん」

で初監督をなさった岩合さん。公開が待たれる。(行く、行く、きっと行く。)


特別付録の、「岩合光昭の子猫カレンダー」が、うれしい。

12月28日号、定価400円は安いっ(笑)





   

そうそう、町田康の『猫のエルは』(講談社)を、お正月の旅のお供に

することにした。あと1冊、宮下奈都の『とりあえずウミガメのスープを仕込もう』

も買っておかなくては。

あと、10日もすれば平成最後の12月も終わる‥‥

2018年12月20日 (木)

『六本辻』小林幸子歌集  ながらみ書房

2012年春から2017年夏ごろまでの作品534首を収めた第8歌集。

2014年12月28日に他界された原田汀子さん、そしてふたりきりの

姉弟であった弟さんの逝去と、たいせつな人との永訣の歳月でも

あったようだ。


    からまつの芽吹きの森に雪がふりあかるくて迷ふこともできない

    鯉のぼり四月の空にいきほひて国境(くなさか)は桃のはなざかりなる

    パンケーキふつくら焼けてアカシアの蜂蜜の蓋まだ開けられず

    狂ほしく狂ほしくしてこの星はどこへ向かつてゆくのだらうか

    おとうとの死は伝へられ嘘のやうに明るいゆきがまた降りてをり

    おとうとが十二時間ほど生きてゐたさびしい羊の年を忘れじ

    やうやくに夢をぬければまた夢のなかなる夢の怖ろしかりき

    生れこし時間になれば見上げたりミモザの花の黄色い空を

    森の樹や野の花をほめ沼を頌めむ在りし日にきみがうたひしやうに

    一杯だけビールを飲まうおとうとよ だれも死者とは知らない町で





5首目、6首目は弟さんの挽歌。

新年になって12時間ほど生きていた弟、それは2015年の未年だった。

姉の作者ならずとも衝撃的で、「誰からも忘れられぬ日を命日とせり」と

なってしまったのだ。


8首目は、亡き子に寄せる歌。

9首目の「きみ」は、原田汀子さんのことだろう。同人誌「晶」のお二人の

伴走ぶりが頼もしかった。


亡きひとに寄せる思いの深さ、ことに10首目の弟が留学したことのある

ドイツとの国境に近いエンスケデのカレッジを訪れ、弟を偲んでいる。


挽歌や追悼歌もさることながら、わたしは小林さんの1首目の歌や

2首目の歌、3首目、4首目の歌も好きだ。

1首目の「迷ふこともできない」の口語体がかろやかで、

2首目、3首目のパステルカラーの趣きも愛している。

                           2018年11月4日発行

                             2500円+税

2018年12月19日 (水)

歌集『超高層の憂鬱』 桜井京子 角川書店 

2008年から2017年までの作品465首をほぼ制作順に収めた

第二歌集。著者は「香蘭」選者。


     岩波と新潮文庫の違ひにて子の書棚にも『蟹工船』ある

     眠い眠いほんたうに眠いと思ひつつ眠つてゐたり夢の中でも

     詩歌など作らなくとも生きられるさう思ふ時すこし安らぐ

     気のりせぬ秋もあるべし彼岸花咲きはじめたり彼岸を過ぎて

     もう少し何とかならなかつたか もう少しと言ふそのもう少し

     ふるさとに母が壊れてしまひたり壊れ続けて壊れたる母

     カーテンを開ければいつか冬晴れの或る日終はりといふ或る日来む

     をんなには雑用があり雑用はをんなを強くすさはさりながら

     手の届きさうなところはもぎ採られ花梨は静かな樹として立てり

     カーテンの隙間をすこし開けておく明日もきつと朝が来るから


タイトルに「憂鬱」のことばが入るように、ゆううつな歌が並んでいる。

居心地の悪さというか、この世に折り合いをつけられないような。


1首目、『蟹工船』は、バイブルのような世代の著者。しかし、子の書棚にも

     それが有ることを知った。岩波文庫でなく、新潮文庫だったのだ。

3首目、「詩歌など作らなくとも生きられる」のは、正解でもあり、正解でも

     ない。歌が精神の安定剤になったり、生きていく上での支えにも

     時としてなる。そのことを重重わかった上での1首であろう。

4首目、律儀に彼岸頃に咲く「彼岸花」。その彼岸花だって、気のりのしない

     秋もあるだろうに、と思い遣る。

6首目、母はふるさとで患う。認知症ということは表に出していないが、

     「壊れたる母」は、通常の精神が保てなくなってしまったことを

     指しているのだろう。

     遠く離れて暮らす著者には手の施しようがないのだ。

8首目、現代の若者たちには、こういう受け身の精神はないかも知れない。

     雑用なんぞで、強くなる ?   のは、御免蒙るみたいな‥‥

     結句の「さはさりながら」で、100%肯定していないことは窺える。

10首目、「朝のこない夜はない」と言ったのは、吉川英治だったか ?

            「明日もきつと朝が来るから」の結句は、ひとすじの希望でもある。





それにしても高層マンションの21階に住む、と考えただけで頭が

くらくらとする。生活するとなると、わたしにはゼッタイ、ダメ。

だけど、海べりのマンションなら日がな一日、海を眺めて暮らすことも

出来る。海の夕映えは想像するだけでもすてきではないか。


                           帯文 千々和久幸

                           2018年8月10日 初版発行

                             2600円+税

 

2018年12月18日 (火)

歌集『梛の木なぎの実』 本阿弥秀雄   いりの舎

2013年初めから2017年秋までの483首を収めた第5歌集。

    
         天主堂通り平和町商店街はとや玩具店あり春のゆふぐれ

    その顔をよくよく見ればわが顔をつくづく見らる途上の猫に

    両の掌にわが頬はさむ力ありき昨日の宵の母の身体は

    このドアを内から開くことあらず枯野へ出づる用のなければ

    窓を拭く女ときどき背を向けて何をか布に含ませてゐる

    谷間より吹き上ぐる風は庭前の山百合の香を部屋に運び来

    北限のこの地に生ふる梛の木は黒みばしる実あまたを落す

    猫はみな西の方見て端坐せり陽の沈むころ午後の四時半

    しなざかる越(こし)の八尾の鏡町二夜を過ぐし黒月に入る

    廃棄して消して忘れて誉めらるるそんな仕事を一度はしたい


1首目、「春のゆふぐれ」の結句によって定着した。

2首目、途上の猫は逃げもせず、つくづくと作者の顔を見たのだ。猫は

     猫好きな人を察知して。

3首目、母が最期に出した力であろう。息子の頬を両掌で確かめるため。

     
4首目、短篇小説の一行にもなりそうな。

7首目、梛の木は、温暖な地方にある木みたいだ。この歌の前に

     「琉球ゆ土佐にあがりて紀伊を過ぎ伊豆に着きけむ黒潮の木、梛」と

     うたわれている。

10首目、「そんな仕事を一度はしたい」は、願望にさにあらず。これはシニカル

      な歌と思う。「そんな仕事」を、作者は出来はすまい ?

             だけど誉める人がいる世の中なんだ。



リタイアしたのちの日々が豊かにうたわれている。

海山に近い環境が、更に歌に彩りを加えてゆくことだろう。

                               2018年10月22日 発行

                                   2700円+税

2018年12月17日 (月)

歌集『空目の秋』 日高堯子  ながらみ書房

2014年から2018年にかけての470首をほぼ編年体に

収めた第9歌集。「かりん」所属。

    「帰りたい」病室の母はくりかへす 今宵の月はスーパームーン

    しのびやかに夕べの雲ののびてくる葛の草蔓(くさつる)うごかぬ上を

    種(しゆ)のためにつかはざりしわが肉体茅花(つばな)の原に照り

    かへさるる

    歌といふ不可思議言葉もて暮らす妻にしばしば苛立つ夫は

    通りゆく脚みな長い影を曳き 恋しいひとは忘れたきひと

    「わたしはいつ死ぬのかしら」ときく母に「あしたよ」といふ あしたは光

    小さな墓地購ひたりし後子のあらぬ夫婦の時間濃くなるごとし

    夏は来てましろ卯の花なだれたりこの世の崖に母捨てられず

    床に落ちた母を起こせず起こせぬまま並んで聞きぬ夕ほととぎす

    雨あがり夏茅原(なつかやはら)のいきれ濃し 生きてゐる人には

    もう抱かれず


1・6・8・9首目と「母」を詠んでいる。

その母を介護するためだろうか。

2014年に先立つ数年前より、自分の家と生家との往還が続いていることを

「あとがき」に記している。


6首目の、母に応える作者の「あしたよ」と言うことばのせつなさ、重さ。

この歌の「あしたよ」には、崇高な精神を感じる。母はそのことばで安心して

眠りにつくのかも知れない。

作者にとっても母にとっても「あしたは光」なのだから。




9首目は、床に落ちた母とそのまま並んだ状態で夕ほととぎすの声を

聞いている作者。夕ほとぎすの声は悲しい声だっただろう。

この歌は何度読んでも泣けてくる。作者も泣きながら聞いていた

のではないだろうか。


3首目、日高さんはお子さんがいない。

「種(しゆ)のためにつかはざりしわが肉体」という表現に驚かされた。

と、同時にそのような表現を果敢につかう勇気、その姿勢に歌人としての

在りようを垣間見る思いがした。


日常や生活をたいせつにして、歌が〈全人的〉であること。

日高さんの歌には「濁り」がない。

                           2018年11月27日発行

                              2500円+税

2018年12月16日 (日)

「紙博in福岡」 会場・南近代ビル貸会議室3Fへ

マイナーな催し? だからと高を括っていたが、沢山の方々が

来ていた。ことに若い女性たちの買いまくること。

カラフルなすてきな紙製品の前には、近づくことが出来ないくらいの

人・人・人だった。

出展者は、51名(組・社)。


それでもようやく表現社さんのネコのマスキングテープを買うことが

出来、紙博にちなんだ缶バッチも作ることが出来た。

可愛らしい干支のポチ袋も買えた。


会場では、工作ショーや水引デザイナーの長浦ちえさんのトークも。

3種類の紙の特徴をヒントに、イラストと用紙の名前を結ぶクイズでは

オリジナルクリアファイルを頂いた。(これもカワイイ。)

1店、1店ゆっくり見て巡ることが出来なかったのが残念。

会期2日間は短い ?

 

2018年12月15日 (土)

熊蟄穴(くまあなにこもる)

病みあがりのからだとこころに仰いだ夜空には

上弦の月が…

月の右下 ?  に見えるのは火星であろうか。

明日はどうしても行きたいところがあり、隔離生活(笑)にピリオドを。



それにしても、世間は相変わらず騒騒しい。

タフでないと生きてゆけない。

2018年12月11日 (火)

『俳句』 2018年12月号 角川書店

「季語と俳人 十二月」は、池田澄子さん。

            先生の忌の裸木や触れ仰ぐ

            大年や黄泉を思えば行きたくなる


            (略) 個人の思いに季語が関わったとき、

                個人の思いが突然に万人の思いと

                絡み合う。


なるほど、と思いつつ、池田さんの写真を眺める‥‥


     

本日の短歌会のテキストは花山周子さんの『林立』。

ブログにカキコミしていた10首のプリントを参考にした。

           簡単に手は放されて手は泣けり生きているのが

           厭だと泣けり


この歌の鑑賞は、どのような‥‥という質問だったので、わたしの感想を

述べた。具体的なことは1首の中には出していないが、逼迫感は伝わって

くる。読む人それぞれが、それぞれの鑑賞をすればいい。

あまり短歌に〈正解〉を求めない方がいい。


ところで、本日の出席者の男性の2人が歌集『滑走路』萩原慎一郎を、

購入していた。Yさんの買った奥付は2018年6月15日の3版。

Tさんのは、初版だった。

テレビの影響というか、話題になった歌集だしね。

そういうことで、わたしも遅ればせながら、読むことにした。

Yさん、次の歌会日まで借りるわ。


雨の一日だった。

           面白し雪にやならん冬の雨      芭蕉


2018年12月10日 (月)

映画「かぞくいろーRAILWAYS わたしたちの出発ー」

肥薩おれんじ鉄道の沿線がドローンで写し出されるのは旅した気分に

なる映画。海際を走るのは見ていて気持ちいい。


夫が突然亡くなり、夫の連れ子・駿也を連れて、夫の故郷・鹿児島へ

やって来た晶(あきら)・(有村架純)。

運転士の義父(國村隼)は、息子の亡くなったことを知らなかったのだ。

晶は、この鹿児島で義父と駿也と暮らそうと決意。

運転士になるべく勉強する。

駿也は母親の晶を「あきらちゃん」と呼ぶ。

ホントの親子よりも一見、仲良しに見えるのだが…


だが、駿也とは実の親子でないだけに、葛藤も生じる。


有村架純の運転士の制服姿は、凛々しく、美しく、実にいい。

主題歌を斉藤和義がうたっていたのも印象的。

観光列車 「おれんじ食堂」に乗車したくなったよ。



現在、さつま大川駅には、「かぞくいろ」のメッセージノートが備えられて

いるとか。

そして、阿久根駅には鉄道グッズが展示されているらしい。

小さな旅をしたくなった。

2018年12月 8日 (土)

『林立』 花山 周子   本阿弥書店

歌集の文字が一つも入っていない表紙。

そして、カバーも帯も付いていない、いたって簡素 ? な体裁となっている。

本文は二行書きで309首と長歌を収める第3歌集。


この2行書きスタイルにこのところわたしは憧れている。

2行書きだと、読むのに急がないような気がするのは錯覚か ?



           「身体のしんそこまで冷えること。そういう感じの寒さ。」底冷え

     放り出されてしまったようなわがからだ冬の日差しを吸って軽いな

     杉の根の軟弱さなど思いつつポケットに手を入れてバス待つ

     かの懐かしき電信柱は杉なりき明治の都市に林立したり

     大量の花粉揺さぶり吐く杉の往生際は極めて悪し

     雌日芝(めひしば)が露で光っている道に風が渡って露ちらしたり

     簡単に手は放されて手は泣けり生きているのが厭だと泣けり

     梨のつぶてのかなしみの梨手に持ちて十月四日の朝は明けたり

     ともだちが捨ててゆきたるレシートを財布にしまう確定申告のため

     がらんどうに冬が来ている屋上に蒲団かつぎて蒲団を干さん



花山さんの歌は、何かしら気にかかる。

何かしら訴えてくるものがある。

本歌集には「杉」に関わる歌が多いのだが、それは「塔」で作品連載の

機会があり、「杉」を題材にしたことを「あとがき」に記している。


それは、ともあれ、改めて花山さんの年齢を年鑑で調べたのは、若い女性

でもない、さりとて、中年でもない、したたかさ(良い意味での)があると

思ったのだ。地に足が着いているみたいな、手ごたえとでも言おうか。



1首目、きのう今日の寒さから、やはり選んでしまった。

2首目、解放感が伝わってくる。

3首目、杉の根は弱いため、杉山は土砂崩れが多いとか。下の句の作者の

     動作の具体が良い。

4首目、歌集題の「林立」の入った歌でもある。

5首目、まさにスギ花粉は「往生際は極めて悪し」ですな。

6首目、こういう嘱目をサラリと詠める力量。

7首目、かなしい歌。背後のことはわからないが、兎も角かなしい。

     せつない歌である。

8首目、「十月四日」が生きている。ということは10月3日に何かあったのだ。

     眠れないまま朝を迎えたのだと思ったのだが…

9首目、税務署さん、これは虚構ですから。(笑)

     だけど、この歌、愉しい。こういう発想ができる柔軟さが良い。

10首目、「蒲団かつぎて蒲団を干さん」なんて表現は、若い女性だと

      避けるんじゃないだろうか。だから、面白いとも言える。生活の歌。


10首選びながら、もっと違った視点で選ぶという方法もあったと思う。

一読した時のわたしの目に止まった歌、とでも言おうか。

 

                            2018年12月1日 第Ⅰ刷

                               2200円+税

2018年12月 7日 (金)

「閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)」

 厚く垂れこめた雲に天地の気が塞がれ、真冬となるころ。「閉塞(へいそく)」

 は字のごとく、閉じて塞(ふさ)ぐこと。空を灰色の雲が塞ぎ、生き物も活動を

 控えて森閑とした冬の様子を伝えています。(『日本の七十二候』より)

 

 今日は香椎の教室だった。

 寒かった。

 帰りに博多駅で降車。「ふくや」に寄った。

 丸善博多店でフリクションボール レフィル を購入。

 帰宅して、竹下駅で 待っている T さんに 歌集を届けた。

 来ていると電話すればいいのに、6時まで待つつもりだったのかしらん。

 わたしから電話してよかった。走って届けに行った。

 


 「未來」12月号が届いた。

 巻頭に岡井隆さんの歌が掲載されていた。

 「後記」には、岡井さんの署名入りで下記のように書かれていた。


        ◆いくたりかの方のおすすめで、他誌に発表した既作品を、

         巻頭に出すことにしました。新作を発表できるのは、いつの

         ことになるのか、今のところ、予想できませんが、それまで、

         この方式はつづけようと思います。どうか、御理解の程、

         おねがいします。                 (岡井 隆)


         あちら側から近づいて来る鳥があるどうすればいいか

         妻に諮(はか)りぬ

         翼燃えて近づく鳥だ夕日さす原だからちよつと行き過ぎ

         にくい    

          「短歌研究」二〇一八年一月号「巻頭特別三十首」より抄出。


六首中の始めから2首をあげてみた。

皆さん、岡井さんの歌を読みたがっているのだろう。

それはそうと、大島史洋さんの7首中の最後の歌がさみしい。


       カーテンを透きて庭木に垂るる紐真直ぐに垂れてひとり臥すわれ

2018年12月 4日 (火)

『北冬』 № 018 北冬舎

*特集*藤原龍一郎責任編集 [江田浩司]は何を現象しているか。

100ページ余りの特集である。

「北冬」の№018の上に印刷された「増頁総力奮努号」には、驚いた。

「奮闘」でなく、「奮努」って。

はじめて見た言葉だ。

40名近くの人たちが[江田浩司]について綴っている。

神山睦美・野村喜和夫・筑紫磐井氏をはじめとして、歌人・詩人・俳人の

名前が並んでいる。



このような1冊を短時間で読むことは到底出来ない。

出来ない時、それでも読みたい時にわたしのする方法はタイトルだ。


                永遠の青年             柴田 千晶

                (略)江田の歌集(散文詩も含む)七冊を通して読むと、「私」とは  

         何ものなのか。言葉とは何か。という文学の王道の問いを、

         直向きに求め続けている青年の姿が浮かんでくる。江田は

         永遠の青年だ。 

 


            江田さんの児童性         谷村はるか

              (略)山中智恵子とひとつになりたい、という思いがあふれでて

         いる。まるで恋する少年である。            

       (略) 捧げる相手によって、歌はその人の色に染まる。

 

 


            「言葉にいぢけた少年」のうた   富田 睦子

                 (略)山中の文体に似ていることに驚く。江田は非常に器用な

         作者であるが、ここまでくると、山中の深部へ近づき同化  

         しょうとするかのような接近である。

 


引用した谷村はるかさんと富田睦子さんと同じような見解を示し、

先行する歌人たちの文体の影響が色濃く感じられると書くのは、

中島裕介氏。プレテクストへの愛情の深さに言及している。


それにしても、江田さんにとってはこの特集号は、至福の一冊では

あるまいか。(北冬舎 舎主の柳下さんの力技に脱帽するのみ。)


2018年6月に刊行された『孤影』(ながらみ書房)は、八番目の創作集と

「あとがき」に書かれていたけど、この歌集は江田さんに「新しい詩歌の

神が魂の中に宿」った、と思ったくらいだ。


「江田浩司にとって、表現とは。」の藤原龍一郎氏の問いに対して、

            私の「生」の証にするべきもの


と、こたえていたのが印象深い。

                           2018年11月10日  

                            800円+税別


なお、歌集『孤影』(ながらみ書房 2018年6月刊)については、当ブログの

2018年7月2日にカキコミをしている。

その中でとりあげた歌の中から1首を。

 

          火の中にむち打つ音を聞きながらあゆみゆけるは孤影

          なりけり


 

2018年12月 3日 (月)

「現代短歌新聞」  12月号  現代短歌社

現代歌人協会主催の第41回現代短歌大賞を受賞した春日真木子さんの

受賞インタビューが1面に掲載されていた。

その写真を眺めながら〈眼力(めぢから)〉のあるかただなぁ、とつくづく

見詰めた。

インタビューの中での言葉「(略)短歌は自己の存在証明ですから。」に

すこぶる納得。


と、同時に第64回角川短歌賞を受賞した山川築(やまかわ・きずく)さんの

言葉が思い起こされた。山川さんは、大辻隆弘さんの『時の基底』の本に

収められた「自分を消すための呪文」という文章の結びの言葉を引用して

「(略) 自分を消す、そのためだけに私は歌を詠む。」(『時の基底』文)に、

「大きな驚きと、認識をぐるりと転換させられるような感触を覚えました。」

(「受賞のことば」より)と書いている。

そのことの是非は兎も角、では、そのような評論を書いた大辻さんの最近

作は、先の論文のような「自分を消す、そのためだけに歌を詠‥」んで

いるのかどうか、検証してみてもいいのではないか、などと思ってしまう。

「未来」2018年11月号が手許にあるので「十一月新集」の作品をあげて

みたい。10首、掲載されているが、前の3首を読むと、これが「自分を消す、」

作品なのかと、疑問を呈したい。


     夏風邪の名残をはつか引きながらひとひさすらふごとくをりたり

     背もたれに昼の睡(ねむ)りの浅かりし身をゆだねたり誰(たれ)も

     たれも来るな

     まどろみの頬のおもてを撫でて過ぐ風はわたしをここに残して

           入射角     大辻隆弘  2018年11月号掲載分

評論通りに実作しているとは思えない。

あの文章は、評論を書くための表向きの(笑)文章で、必ずしも評論と

実作は一致せず、別なものだということだろうか。


それにしては、山川さんは大辻さんの文章に「認識をぐるりと転換させ

られるような感触を覚え…」たのだ。


そんなことをつらつら考えた。

春日真木子さんの語る「短歌は自己の存在証明ですから。」に、わたし

自身はすごく納得するし、それでなければ短歌を作っている意味がない

とまで思っている一人だ。

まぁ、人それぞれだから、どちらが正しいとか、どちらが古いとかも

言えない。好きな方法ですればいい話‥‥


       正直に言うと、大辻さんの『時の基底』は、読んでいない。

       読んでいないのに物申すのも可笑しなわたし。

               

       たぶん、前後の文脈や自分の作品のことではなくて、どなたかの

       歌人のことを論しているのか、とも思う。

       やっぱり買って読まなくては‥‥

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