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2019年1月

2019年1月29日 (火)

時評「判断の基準」 寺島博子    「朔日」 2019-2

結社誌の時評はつとめて目を通すようにしている。

特集やあとがきも一通り目を通すのだが、いかんせん持ち時間が

少なく斜め読み程度になってしまう今日この頃である。



「朔日」の時評は寺島博子。

彼女の時評は熱っぽくはないが、押さえるところはきちんと押さえていて

共感する部分が多い。

2月号は、「判断の基準」。

「短歌往来」(2018年12月号)の睦月都の評論「歌壇とジェンダー 

-または「ニューウェーブに女性歌人はいない」のか ? 」に、

ことよせて評している。


        (略)

        ニューウェーブにあたる作品には短歌の伝統的な文体とは

       異なる特徴がある。もう一点、「ニューウェーブ」と称する活動体

       に特有のベクトルが存在するはずである。ニューウェーブに属する

       か否かを判断するには、作品の特徴のみではなく、活動体の

       ベクトルにその歌人があてはまるか否かが検討される必要

       ある。その判断が女性だから、男性だから、という理由によって

       なされるのであればあまりにも空しいし、荻原(裕幸)たちの発言は

       恐らくそういう理由によるのではないのだろう。 (略)




「ニューウェーブには、女性歌人はいない」と述べた荻原裕幸には、

明確な (?) な判断基準があるのではないか、とわたしなども思ってしまう。

いつかその判断基準の提示をして貰いたいものである。

 

2019年1月28日 (月)

映画「ふたたび」  ふれぶんシネマ倶楽部

2010年上映の映画「ふたたび」。

話題作をはじめ選りすぐりの名作、さまざまなジャンルを月1で上映している

「ふれぶんシネマ倶楽部」に。

ハンセン病の療養所を50年ぶりに退院した健三郎(財津一郎)。

貴島家の大学生の孫・大翔(鈴木亮平)は、祖父が生きていたことを

知らなかった。

息子(陣内孝則)も息子の嫁(古手川祐子)も健三郎を引き取ったものの、

花壇の水遣りさえも、隣近所や世間の目を気にしている。


         島を出たら、なんでもできると思った。



いたたまれなくなった健三郎は家出を決行するべく、昔のバンド仲間探しの

旅に出る。この旅に孫の大翔は車を出して、お供する羽目に。

大学生の大翔とおじいちゃんとの2人旅。

幻のジャズバンドのトランぺッターだった健三郎。

50年後の彼等との再会は‥‥



          時間を取り戻すのは、契りを取り戻すこと。


          名前を奪われ、人間を奪われ、お金で解決することでは

          ない…


そして、ジャズクラブ「ソネ」でのセッションが実現する……

(犬塚弘、藤村俊二、佐川満男らの演奏が見もの)



(8年前の作品なので、鈴木亮平のやんちゃな若者ぶりの髪型や着ている

洋服が珍しい。現在の〈西郷どん〉が想像できないくらいに。)

2019年1月24日 (木)

かなしみが冬のひなたに‥‥

本日は、2009年1月24日に26歳で夭折した

笹井宏之さんの祥月命日です。

『てんとろり』(書肆侃侃房 2011年1月24日刊)を読みかえしています。


   かなしみが冬のひなたにおいてある世界にひとり目覚めてしまう

   つばさではないと言われたことがある 羽ばたくようにしてみせたのに

   したいのに したいのに したいのに したいのに 散歩がどういうものか

   わからない

   眠ったままゆきますね 冬、いくばくかの小麦を麻のふくろにつめて

   たましいのやどらなかったことばにもきちんとおとむらいをだしてやる

   さようならが機能をしなくなりました あなたが雪であったばかりに

   冬ばつてん「浜辺の唄」ば吹くけんね ばあちやんいつもうたひよつたろ

 

 

そして、Eさんの夫君のご葬儀の報せがありました。

遠方のため参列できず、申し訳ない思いしきりです。

神の御許へ召されました夫君の安らかなお眠りを

お祈り申し上げます。

 

 

2019年1月23日 (水)

月刊「はかた」  2019年1月号

歌人の竹中優子さんがエッセイを連載している。

「博多の五・七・五」で、今号は22回目。

ご自分の作品を先ず1首あげてのエッセイ。

   ストローが逆さまだから言うわけじやないけど君を許せずにいる


   短歌を作りはじめた頃の(本当に最初の数日間のもののうち)

   唯一覚えている短歌、23歳の頃で、いまでは誰の、何を、許せずに

   いるのか自分でも分からないまま‥


竹中さんは作歌する時 「はじめから五・七・五・七・七で考える」そうだ。

勿論、作る過程での推敲などはあるようだが…


わたしなど、上の句だけとか、下の句だけとか、メモだけが残り、

四苦八苦。あれとこれを繋いだり、削ったりとかして、なんとか1首に。

はじめから五句三十一音がスパッとできるとかえって怖い(笑)

ところで。この冊子は定価380円。

博多の名店や行事などの紹介が盛沢山。





今号のお題(特集)は「私の好きな博多弁」。

博多に住んで50年以上になるけど、博多弁擬きで誤魔化している

わたしとしては、興味津々の特集であった。


編集後記で(前)さんは、「一番使用する頻度が高く、好きな言葉は

〈よかたい〉」。(用)さんは、「〈なんしょーと?〉」 らしい。


わたしはといえば、「〈よかよ〉」とか「〈よかと?〉」 かしら。

    困つたら電話しんしやい、帰りんしやい、かあさんいつも

    此処にゐるから                  miyoko  




 

2019年1月22日 (火)

映画「家(うち)へ帰ろう」   KBCシネマ

第二次世界大戦中、ナチス・ドイツによるユダヤ人の大量虐殺。

そのホロコーストから逃れた主人公の仕立屋・アブラハム。

高齢になって、子どもや孫からもやさしくしてもらえないのは、

とても頑固なのである。頑固で融通がきかないというか、可愛げのない

おじいさん。(大戦中の後遺症で、あんなに頑固になったのか ? )




子どもたちから、住んでいる家も売り払われそうになり、老人

ホーム行きになりそうな気配。

そんなアブラハムが一大決心をして、ポーランドへ旅立つ。

ホロコーストから逃れて来たとき、匿ってくれた親友に会うためだ。

その親友に最後に仕立てたスーツを届けるために。

親友が生きているか、その住まいに今も居るかどうかさえ分からない。

70年以上会っていないのだから。


旅の道中でアブラハムの頑固な性格は、親切にしてくれる女性たちに

よって‥‥‥


         

昨日(21日)の西日本新聞夕刊の一面に3段抜き以上の紙面を使って

萩原慎一郎さんの『滑走路』(角川書店)の紹介記事が掲載されていた。

「非正規の直情 心打つ」 大きな見出しの文字だ。

発行部数が現在、8版30000部を数えるそうだ。

九州大大学院の有吉美恵さんが、読み解く。


       彼は歌人であるが故に苦しんだのではないか。作歌は現実を

       直視し、自分をさらし、身を削るような行為だったかもしれない。

       それでも、何かを強く訴え、生きた証を残したかったのだと思う。

       このような結果(自死)になり、若い才能が消えた。残念だ

                                     (有吉美恵さん 談)


拙ブログ(「暦日夕焼け通信」2018年12月23日)にて、紹介した歌と

5首が重なっていた。

やはり、その5首にはインパクトがある。


      ぼくも非正規きみも非正規秋がきて牛丼屋にて牛丼食べる

      夜明けとはぼくにとっては残酷だ 朝になったら下っ端だから

      非正規の友よ、負けるな ぼくはただ書類の整理ばかりしている

      抑圧されたままでいるなよ ぼくたちは三十一文字で鳥になるのだ

      更新を続けろ、更新を ぼくはまだあきらめきれぬ夢があるのだ

2019年1月17日 (木)

季節の便り⑱ 飛梅、三分咲き ?

昨日デパートで買ったマフラーを持って、空港へ迎えに行く。

今年も相変わらず、マフラーも手袋もしていない彼。

寒くないの ? って訊くと、「寒くない」とボソッと応える。


今年も恒例の太宰府天満宮への参拝。

時間が早くてあまり人出はなかったものの、外国のかたが多い。

飛梅(とびうめ)は、三分咲き。いや二分咲きくらいかしら。

境内の梅もちらほらと咲きはじめていた。

紅梅の方がはやいみたい。


絵馬を書いている彼の字は今年も楷書。

その絵馬を、例年のように写真に撮った。


幸運の守り神としての信仰があるという「木うそ」・「うそ笛」・「うそ鈴」の中の

「うそ笛」を、幸福のシンボルとしてわたし用に買う(?)。

かさの家で梅ケ枝餅をいただき、お茶をしている間に随分人出が増えている。


空港行きのバスに乗り、空港で昼食をして、あっというまの5時間。

たった5時間の逢瀬だった。


ハイキング初級くらいには鍛えておくようにと、帰り際に言われた。

2.2キロ、歩行時間1時間30分くらい歩けないと、湖面に映るマッターホルンや

高山植物鑑賞はできないって。(ハイ、ハイ。)

2019年1月16日 (水)

新年歌会&歌合せ

毎年恒例の新年歌会を、ホテル×××‥‥にて。

13名出席。着物姿の人2名。(やっぱり着物は素敵。)

11時から15時過ぎまで。

1時間、短歌のおべんきょうをして、

会食の前にHさん(男性)がお謡いを。「草子洗小町(そうしあらいこまち)」。

朗朗たる声に聴き惚れる。


会食は、インスタ映えする盛り付け。

母娘で参加したMさんの娘さんの方がパチリパチリと写していられた。

(あ、パチリなんて音はしないんだ。)


生湯葉・無花果胡麻豆腐・合鴨の椒煮・間八の刺身・生サーモン・

烏賊褄一式などの籠膳盛り合わせの綺麗なこと。

お謡いをなさったHさんが日本酒を所望(笑)なさったので、お相伴する。
(わたしの方が飲んだみたいだ…)


会食のあとは歌合せ。

と、いってもわたしたちは左方・右方にわかれて歌の優劣を競うなんて、

そんな大それたことはできない。邪道であるが(ゲーム感覚・お遊び(笑))で、

籤引きをして、上の句を詠む人、下の句を詠む人にわけ、

それぞれのパートナーと1首に仕立てる形式。


みなさん、新年らしい、お正月らしい歌を出されていて、ここでも性格が

出るというか、みんな真面目(笑)。

できあがったところで、拍手の大きさで決まった1位は下記。

      今年こそ今年こそとて努力せず    Tさん

      睦月半ばの風暖かし           Sさん

上の句を詠んだTさんは、私の義母(2015年亡くなった)と同年齢。

「努力せず」と言い放つところが好き。だって生きてるだけでご褒美もの。

TさんもSさんもちっとも年齢を感じさせない、お洒落さん。



いいお日和の新年会だった。

2019年1月15日 (火)

文学批評『敍説』Ⅲ 15 花書院 

同人60名の名前が連ねている、これは、同人誌 ?

B5判の270ページから成る大冊である。

同人の名前は、二沓ようこ・坂口博・中西由紀子・久保田裕子・石川巧・

岩下祥子・松本常彦、等 多士済済。


今号の特集は「夏樹静子」。

その巻頭の二沓ようこの「夏樹静子の〈母と子〉の物語を読む」に

引き込まれた。

副題がー『蒸発』におけるウーマンリブと母性について

本誌分18ページをかけて論考している。

ゆっくり、じっくり読まねば理解しがたいというか、これは読み飛ばすには

惜しい論考である。(なぜだか、瀬戸夏子さんや、睦月都さんに読んでもらい

たくなった。)


       (略)

        ラストでも、美那子を思う主人公の耳に、「母性離脱」という

       ウーマンリブのシュプレヒコールが蘇えるシーンがある。自己を

       生かすため「母性から離脱」する風潮が極まるなかで、それに

       抗うように、自己を儀性にしてでも自分のなかの母性を呼び起こ

       そうとした美那子の生き方を美化する形で物語の幕は下りる。

 


夏樹静子の『蒸発』のラストであるが、改めて読んでみたくなった。

角川文庫・光文社文庫・双葉文庫でも出ている。

そして、二沓ようこの下記の考察に注視した。

 

       ウーマンリブは「母性から離脱」することを主張したのではなく、

      女は生まれながらにして母性的な存在である、母性は絶対的で

      崇高なものである、という母性幻想からの離脱を訴えたのである。


本書には「夏樹静子作品事典」も編まれ、100冊余りの著作の1ページ評

(紹介)が掲載されている。

周知のように夏樹静子は福岡市に在住していた関係で、福岡を舞台に

した小説が多い。わけても南区の若久団地では約7年間を過ごし、

此処で長男・長女を産み、夏樹静子のペンネームで執筆活動を再開して

いる。この若久団地に夏樹静子の記念碑があることをはじめて知った。

           なんきんはぜの

           葉音が聞こえる。

           目をあげれば

           背振の峰。

           私の心がいつも

           帰っていくのは、

           そこにあった

           こよなくも やさしい

           きらきらした日々ーー。

                   夏樹静子

 

それにしても、この「敍説」は、いい仕事(笑)をしている。

笑いごとではないよ。

 

                                  編集 敍説舎

                                2018・10・10 発行

                                  定価 1800円

 

 

2019年1月12日 (土)

『戦争の歌』 松村正直  笠間書院

「日清・日露から太平洋戦争までの代表歌」と、サブタイトルが付いている。

落合直文から窪田空穂らが詠んだ「戦争の歌」、51首をとりあげ、著者が

解説している。


昭和20年の敗戦以降、実質的な ? 「戦争の歌」は詠まれていない。

それは、太平洋戦争以降幸いにも日本に戦争が起こっていない所以でも

ある。しかし、先の太平洋戦争を体験した世代の人たちは今もなお、戦争の

歌を詠み続けている。そのことを忘れてはならないし、風化させては

ならないのだ。

    戦争のたのしみはわれの知らぬこと春のまひるを眠りつづける

                           前川佐美雄『植物祭』

    遺棄死体数百(すうひやく)といひ数千(すうせん)といふいのちをふたつ

    もちしものなし                 土岐善麿『六月』

    蘇聯機(それんき)の爆弾痕は小沼なしいづくより来し蟇(ひき)一つゐき

                 八木沼丈夫『遺稿 八木沼丈夫歌集』

    大き骨は先生ならむそのそばに小さきあたまの骨あつまれり

                             正田篠枝『さんげ』




前川佐美雄の歌は、「戦争を起こす人間や社会に対する批判や批評精神」

だと、著者は記している。この歌を含む5首が昭和22年の増補改訂版では

削除されている。


土岐善麿の歌は、回収されることなく戦場に残された兵の死体、即ち「遺棄

死体」。この歌は「中国軍兵士云々」よりも、わたしなどは、やはり

ヒューマニズム、反戦思想の歌だと思っている。


八木沼丈夫の子ども(娘)は、「未来」の会員の武井伸子さんで、現在も

短歌を作り、「未来」に発表している。800号記念特集号②(2018年10月号)の

エッセイには〈満州〉のことを綴っていた。


     私は「ふるさとは」と訊かれると返事に戸惑う。私の生まれ育った

    満州は今は中国、よその国で、「ふるさと」とは言い難い。

     しかし、同窓会などで熱を込めて歌われるのは満州唱歌「わたし

    たち」である。(略)


八木沼は、「満州短歌」を創刊し、「昭和5年に斎藤茂吉が満州を旅行した

際にも随行して各地を案内している。」 

武井伸子さんが過ぎし年に福岡歌会にいらした。その時、父君の資料を

頂いたことを思い出した。


正田篠枝の『さんげ』は、秘密出版 ?  されたらしい。それだけ当時は

検閲が厳しかったのだ。広島平和記念公園内にこの歌は刻まれている。


解説で著者の松村正直は下記のように記している。

 

    (略)

     私たちは歌を通じて歴史を知ることができる。また、歴史を知る

    ことによって、私たちの未来をより良く判断することもできる。そう

    した意味において、「戦争の歌」は単に過去のものではなく、私た

    ちの今後を考えるための作品でもあるのだ。


                      2018年12月10日 初版第1刷発行

                             1300円+税

 

2019年1月11日 (金)

『大正行進曲』 福島泰樹歌集  現代短歌社

大正時代を生きた人々を、心に寄り添わせながらうたいあげた

渾身の第三十一歌集。

「うたで描くエポック」の副題が付いている。

大正時代といえば、なんと言っても関東大震災直後の甘粕事件が先ず

脳裏に浮かぶ。1923年(大正12)9月16日、28歳の若さで虐殺された

伊藤野枝。標的になったのは、無政府主義者であった。


明治44年1月24日・25日に大逆罪で処刑された幸徳事件もまたなんとも

理不尽な社会主義者やアナキストらへの圧政であった。24日、11名処刑。

女性1人、管野スガが翌日の25日に処刑された。29歳であった。


(この2人にことのほか思い入れがあるのも、今は亡き詩人の一丸章氏の

「女性史講座」で、学んだことによる。同年齢に近い伊藤野枝も管野スガも

革命の先駆者として、脳裏に刻み込まれた。)

     管野スガ二十九歳 中庭に白い蕾がただ顫えてた

     監房に青衣を被り俯くは北原白秋ならば蜩(ひぐらし)

     官能は所詮心の窓である如雨露(じょうろ)で花に水遣ってやる

     中岡良一職業駅員大塚の転轍手(てんてつしゅ)匕首一突にせし

     谷崎潤一郎のその妻ありて男ありて秋刀魚を喰らうあわれ秋風

     だるま小法師のように転んで起き上がる雪降る夜のセンチメンタル

     詩を書くは条理にあらず青い空へ剥製の鳩放ちやるため

     人形屋の角を曲がれば桃色の足くびありて日は射していた

     石膏で固められたうえ包帯でぐるぐる巻きにされて遺体は

     追憶は追憶を生み追憶を、然して新たな悔恨を生む

 


1首の中に人名がなくても、詞書がなくても、うたわれている人物が

想像できようか。渾沌とした大正時代のいっときの光と影。

(そういえば、4首目の首相・原敬の暗殺場所の東京駅。

その場所の目印をわたしが知ったのは、つい先年のことである。)

福島泰樹は今も疾走している。

第31歌集とは、驚くべき数である。

                         2018年11月30日

                          3000円+税

 

2019年1月 9日 (水)

歌誌「月光」と、短歌同人誌「穀物」

歌誌「月光」は、№57は佐久間章孔『洲崎パラダイス・他』の特集であった。

佐久間さんの歌集を読んではいないのだが、今号に掲載されている歌を

3首引用したい。



     終焉(いやはて)の身に降り注ぐ薄ら日よ幼年の庭にわれをかえせよ

     夕闇は水なのでしょうほの白い二の腕がただ浮いております

     昭和史の狭間に揺れる灯火(ともしび)は面影滲む洲崎パラダイス


寄稿者の文章が実にいい。

佐久間さんの歌集を読んでいなくても(読んでいないがゆえに‥?)、その

抒情の在り処を探りたくなってくる。

     
    (略)昭和という時代は、ゆるぎなき表現根拠として息づき続けている。

                                  藤原龍一郎

    
    (略)歌の底に流れる時間の重量を感じ取ることだろう。

                                  東郷 雄二

 

    (略)「日本」に対する冷徹な視線が、この歌集全体を覆っている。

                                  山田  航


東郷氏の文中にあるように「一見すると昭和ノスタルジーと思われるかも

しれないが…」の留保つきの文章がぐいぐいと迫ってくる。

『洲崎パラダイスは・他』は、素晴らしい書き手によって、より一層光彩を

放っているようだ。




さて、さて、短歌同人誌「穀物」も5号となった。

組板・装幀は山階基。丁寧なセンスの良い装幀である。

残念なことに、今号は小原奈実が欠詠している。かてて加えて、ちょつと

大人し過ぎるのではないかと思ったりしている。

あの第3号での皆さんのパッションはどこへ行ったのか ?

第3号の特集座談会「短歌を生きていくための深呼吸」には、引き寄せられた

ものだ。マーカーをつかって熟読したのに……

みんな忙し過ぎるのかしら。

      置き去りの貨車に絡まる蔦の葉よこれはおまへの柩ではない

                       「翅ある人の音楽」 濱松 哲朗



    

セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ‥春の七草。

7日朝には、七草粥を食しました。

福岡歌会のOさんに頂いたクレソンをルール違反と知りながら、入れてみた。

セリと変わらぬくらいの美味であった。

クレソンは水の綺麗なところにしか生えないそうである。


「清水(せいすい)に魚棲まず」という譬えもあるにはあるが…

2019年1月 7日 (月)

歌集『燭の火』 佐竹澄子  いりの舎

今年(2018年)卒寿を迎えられた著者の『風露草』に続く第二歌集。

90歳になられたひとの歌をしみじみと読む。

     我が家の庭の枝ことごとく虎刈りにして空明るしと夫の喜ぶ

     賽の河原にあまた廻れる風車廻らぬひとつ手を添へ廻す

     思ひ出したやうに息子は現れて今日は電動歯ブラシ持ちくる

     昔からここにゐましたといふやうに山法師の木に蓑虫がゐる

     ジオラマの柵は夫が丹念に楊枝で作りゐき楽しげにして

     遺されし思ひは吾がすればよし夫よ明るく神に召されけむ

     夫逝きて三年を経たり淋しき歌は詠まじと思ふ青葉仰ぎて

     たまものはおのづとあらん吾の歌あるがままにぞ詠まんと思ふ

     お財布が冷蔵庫の中にありしなどこの頃われの不思議な行動

     ふるさとの筑後の川の堤にて蓮華 菜の花あふれ咲きたり


1首目の夫の茶目っ気がたのしい。

5首目の夫は、ジオラマの柵まで手作りをするような器用な人なのだ。

従って、1首目は未必の故意 ? に「虎刈り」にしたのかも知れない。

なんとも愉快な夫君であることよ。


3首目の息子の訪問も結句の「電動歯ブラシ」というモノによって、リアリティが

生じ、そこはかとない〈愛〉が根底にある。


6首目の「遺されし思ひは吾がすればよし」、7首目の「淋しき歌は詠まじと

思ふ」など、作者の健気さがいとしい。


9首目、「この頃われの不思議な行動」と客観できているから大丈夫。


10首目を読むと、ふるさとが「筑後」のようである。

そういえば、巻末の「大濠こども園」の歌28首とエッセイは、終戦時の

記録としても収めて良かったと思う。


       終戦後まもなく、博多港に旧満州からの引揚者の方達が帰国

      されました。父親はソ連に抑留され、大方は子供を何人か連れた、

      着の身着の儘の母子家庭でした。

       福岡の大濠練兵場の馬舎あとに二百五十世帯の方達が収容

      されましたが、その日から働かねばならないお母さん達の為に、

      私の叔母(叔父は牧師でした)は、そこに託児所を作ることに

      しました。 (略)


その託児所で2年あまりを著者は奉仕している。


      抑留の父待つ母子ら守らむと託児所に保母われの拙かりけり

      抑留の一人またひとり還り来ぬ、 軍兵(ぐんぺい)の父遂に還らず

      国敗れ貧しき園に汚れなき幼らよ蝶を追ひ風と戯る

                          解説 花山多佳子

                          2018年9月8日 発行

                          2500円+税

2019年1月 6日 (日)

『めくるめく短歌たち』 錦見映理子  書肆侃侃房

「NHK短歌」(NHK出版)に2013年10月〜2017年3月までに掲載された

「えりこ日記」を加筆・修正したものが根幹をなす、歌に寄せるエッセイ集。




錦見さんらしい、お洒落でセンスの良いことば・ものが溢れている。

そして、彼女を取り巻く人間関係の濃密さ。

その濃密な関わりに、爽やかな風が吹き渡る。

(折々に挟み込まれたプライベートな語りに、錦見さんの人生を感じたりも

 した‥‥知らなかったことばかりであった。)


どの章も選ばれた歌・ひとたちが素敵な一語に尽きる。

その中で「魚の骨事件」の高島裕(たかしま・ゆたか)さんのエピソード。

          か、かわいい……

          これはやばい、と思った。怖くてかわいい男性に、

          私は猛烈に弱いのであった。(略)

          風まとふ女神のやうに駈けてきてわが助手席に

          身を沈めたり      高島 裕 『饕餮(たうてつ)の家』


そして、「宝物はふくろう」の大島史洋さん。

著者の錦見さんも「民芸品が好きで、土鈴や張り子の動物などを旅先で

見かけたら、必ず買う。」そうである。

          琅玕忌終えて熊本空港に泥面子(どろめんこ)なるおもちゃを

          買いぬ         大島 史洋『ふくろう』  

大島さんの気配りの籠る「おーい、こっち入れるよ」の声がきこえてくる

ようである。


そういえば、お正月の旅先で見かけた山頭火の句。

その句を読んだ時、すぐに大島さんのことを思い出した。

          ふくろうは

          ふくろうで

          私は私で

          ねむれない      山頭火






     

旅のお供をしてくれた錦見映理子『めくるめく短歌たち』

              宮下奈都『緑の庭で寝ころんで』(実業之日本社)

              町田康『猫のよびごえ』(講談社文庫)

読了。宮下奈都さんの新刊は年末に紀伊國屋で手に入らなかった。


さぁ、来週から気力・体力でガンバル。

 

 

 

2019年1月 5日 (土)

『あさげゆふげ』 馬場あき子歌集 短歌研究社

旧年の12月28日のこのブログで「椿山抄」までの歌を紹介した。

従って本日は「別れ」の章より掉尾までの歌を。

この「別れ」の章には、詞書が添えられている。


       ー平成二十九年十一月三日、岩田正急逝ー

   ふたりゐてその一人ふと死にたれば検死の現場となるわが部屋は

   腰ぬけるほどに重たき死を抱へ引きずりしこのわが手うたがふ

   夫(つま)のきみ死にてゐし風呂に今宵入る六十年を越えて夫婦たりにし

   深き皺ひとつ増えたり夫の死後三日の朝の鏡に見たり

   亡き人はまこと無きなり新しき年は来るともまこと亡きなり

   墓などに入れなくてよいといふであらう本質はさびしがりやだつたあなた

   亡きひとよしんしんとろりゆつくりと眠つてください雪の夜です

   何待つとなけれ待つとは思ひなれ待ちえてけさはまひまひに会ふ

   衛星のごとく互(かたみ)にありたるをきみ流星となりて飛びゆく

   死なうと思つた恋もなけれど死んだふりの恋さらになし凡(ぼん)

   なりしかな


「短歌」2018年2月号は「追悼特集 岩田正」だった。

同号に馬場さんは、追悼20首を寄せている。タイトルは「別れ」。

その20首中の最後が5首目の歌である。

昨年のお正月、馬場さんの慟哭ともいえる「亡き人はまこと無きなり」を

かみしめていたのだろう。

今年のお正月も「亡き人はまこと無きなり」と呟いていたかもしれない。






10首目は「短歌」2018年5月号掲載歌の新作50首「衛星のごとく」中の1首。

この歌、わたしは初読の時から好きで好きで「短歌往来」2018年7月号で

下記のように綴った。

  死なうと思つた恋もなけれど死んだふりの恋さらになし凡(ぼん)なりしかな

                     馬場あき子「短歌」二〇一八年五月号

   結句の「凡(ぼん)なりしかな」のほろにがさ。そして多少の矜持もこもる。

   「夫婦つて別れないことが愛だよ」とも、馬場あき子はうたっている。


2首目の「六十年を越えて夫婦たりにし」の歌の上の句。

同じ状況になった時、わたしにできるかと自問してみる。

自信がない……


25年の歳月と、60年の歳月の違い、それだけではないだろう。

性根の据わりかたが違うのだ、きっと。


           ことしのモットーは「高齢者の歌に学ぶ」。

2019年1月 4日 (金)

あけましておめでとうございます

    新年を迎えることができました。

    穏やかな日々であってほしいと願っています。

    みなさまがたとのご縁をたいせつにして、

    先人に学びながら、〈歌の道〉に精進してまいります。

    本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

                        2019年1月4日 A・M 9:00   

 

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