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2019年2月

2019年2月25日 (月)

歌集『歳月はかへらず』星河安友子  不識書院

1999年から2018年までの作品を収めた第三歌集。

「未来」会員。


   帰るなき歳月ありて浮かびくる一本脚に立てる白鷺

   家族とふあかりあまたの夜の街この世のことか彼の世のごとし

   昨日(きのふ)出来今日なせざるを老いとよぶ 医師言ふ老いをわれは

   得にけり

   半世紀経て咲くあをの龍舌蘭われにもあれよ裡(うち)に黄の花

   今生は仮住みなりき 一つ目のルドンの嵐吹き荒ぶなり

   花野翔ぶあきつの翅やきやうだいの絆といふはうらさびしけれ

   生きめやもいざ生きめやも白梅の花の香ぞする暁の風

   「母さん」とわが身呼ばるることのなき一生もまなく終はりてゆかむ

   かうして死んでゆくのだらうか夜の道を家族なき身の運ばれて行く

   家族なきわれは白樺 病院のベッドに一樹倒されしまま



1976年、「未来」に入会したわたしは、当時散文などでも誌上で活躍していた

星河安友子さんに注目した。一方的なファンであったともいえる。星河さんの

みずみずしい歌に惹かれた。


彼女の第一歌集『青葦のパレット』は、何度も何度も読み込んだ。

歌集評らしきものを書こうと思いたち、試みたのだが、当時の編集長の

田井安曇さんから書き直しを命じられた ? のか、自分で挫折したのか、

とうとうその歌集評は誌上に掲載されることはなかった。


このたびの『歳月かへらず』を手にした時に真っ先にそのことが思い出

された。

ほんとうに〈歳月〉は〈かへらず〉である。

「家族なきわれ」という言葉の重さ、せつなさ。

そして、病む身をいかんともしがたく、日々を送っている星河さん。

今のわたしにはかける言葉が見つからない。


折りにふれ、お手紙を下さり、彼女お手製のブローチなどもいただいた。

そのやさしさを思い出したりしている。

このたびもまた歌集評になっていなくて、ごめんなさい。



                         2019年1月11日発行

                           2700円+税

     

本日(25日)届いた角川『短歌』3月号の巻頭作品28首。

小池光さんの「鯉盗人」の作品中に、下記の歌があり、驚いた。

そして、とてもとても嬉しくなった。


   なまへのみ知る人なれどいただきし星河安友子歌集は

   よき歌ぞある



星河さんには、お礼状を朝早く投函したあとなので、この喜びを伝える

ことができなかった。

 

2019年2月24日 (日)

『怨歌集』 石田比呂志

  冬蜂の死に処なくいつぽんの素枯れし茎をのぼりゆくなり

  華麗なる夕日を乗せてゆく電車感傷主義(せんちめんたりずむ)は

  死後にもありや

  何かまだ一つ位はいい事があるかも知れぬ死にきれませぬ

  噴水はいたく静けくあがりけり夜の公園にわれは来たれば

  どなたさまもどうぞお構い下さるなわが魂の立ち直るまで

  おそらくは力はいらぬ部分にて力を出しているのかしれず

  ある時はさびしき思想に出遇うかな不許葷酒入山門

  三階の部屋より見えて向い家のポーチに冬の日が当りいる

  茎細く揺れいる冬の草花の可憐を甘やかしてはならぬ

  わが齢かたむきそめつおごそかに冬の光は樹の幹に差す



                         昭和48年3月28日刊

                             1500円

                         発行者 安仲光男

2019年2月22日 (金)

アメリカフウの実

勝山公園の河津桜を堪能した。

河津桜を見たのははじめて。

Aさん曰く、「河津桜を詠んだのでいい歌はないね。」

それじゃ、啓翁桜の方がまだマシかな ?  (そんな問題じゃねえよ、(笑))

など、言いながら散策。


篠懸の木(プラタナス)と思いながら、丸いカワイイ実のたくさん下がって

いる木のそばへ。

K さんが「これは何の木 ? 」 の名札を裏返すと「アメリカフウ」だった。

アメリカフウも篠懸の実のような丸いカワイイ実。

実だけを見ていると、どちらがどちらかわからない。


そういえば同人誌「穀物」2号の表紙の丸い実のさがっている木は

どちらなのだろう。篠懸の木と思っていたのだけれど、「アメリカフウ」

なのかな。

フウ科フウ属の落葉高木のアメリカフウ(紅葉葉楓)、だったかも知れない。

どなたか教えて ! !




 


「鷗外橋」は、素材としてはどうなの ? って尋ねると、またしても

「アウト」の返事のAさん。そうかぁ、ダメなのかぁ(笑)


2月7日に活けたわがやの「啓翁桜」は、散りはじめ、淡いみどり色の

葉が出てきている。やさしい食べたくなるような薄い浅葱(あさぎ)色。

葉っぱが出るということは、生きている証。




    

道中(往復)の読書は、田村元『歌人の行きつけ』

               (いりの舎 2018年12月25日刊 1800円+税)。

歌人ゆかりのお店をあれこれ楽しんだ。

(取材費、かかってるだろうな ? )




この中で行ったことのあるのは佐賀・古湯温泉の「扇屋」のみ。

大島史洋さん一行とマイクロバスを借り切って行ったのだった。

もう、遥か思い出の彼方に。

大島さん、元気かなぁ……

2019年2月21日 (木)

「全国大会の思い出今昔⑭」  歌壇 2019年2月号

月遅れの「歌壇」2月号を漸く読んでいる。

「未来」の1978年8月の三河大会の記念写真が掲載されていた。

今から40年前の写真なり。

文章は、さいとうなおこさんが執筆している。

久留米の教室の方々にこの写真を見せたら、わたしがどこに写っているか

誰もあてられなかった。

「40年前よ」、「前の方にいるよ」と、ヒントを出したら、かろうじて N さんが

正解してくれた。



はてさて、この号の「シリーズ ぶっかりインタビュー」は、好調なり。

「定綱が訊く ⑧ 島田修三」の島田さんの応答が実に良い。

親切 ? で、的確で、とても参考になる。


      (略)「子どもがたくさんいる」と言うより「八人いる」、「重い病気に

      かかっている」と言うより「多発性硬化症にかかっている」と言う

      ほうが途端に重くリアルになる。同じように、「彼は下町に住んで

      いる」と言うより、「台東区下谷の在だ」と言ったら、絶対だ。(略)


「固有名詞は、…人の想像力をすごくリアルな方向に刺激する働きがあると

思います。」とも語っている。



    

今日はミモザの花に逢った。

この真っ黄色な花はわたしの好きな花の一つ。

今年は咲くのが早いような…


ミモザの花を見ることができたのがうれしくて、パソコンの背景を

ミモザの花に代えた。

パソコンを開いた時、この真っ黄色の花が目に飛び込んで来るのは

うれしい。


それにしても昨日より花粉症がひどい。

マスクをしていてもダメだ。

家の中では、ティッシュペーパーの箱を手に持って、

部屋をあっちへこっちへ。

当分この症状は続くのだろうな。(泣)

2019年2月20日 (水)

季節の便り⑳  北部九州春一番吹く

博多川の川岸の柳が芽吹いていた。

その淡い緑の枝垂柳が風に靡いていた。


    さみどりの芽吹きととのふ川岸の柳に安由(あゆ)の風わたりくる

                 『ゆめあはせ』(砂子屋書房 2002年刊)より


外出して少し歩いたら汗ばむほどだった。

22℃だったのか。道理で道理で…


3月中旬並みの陽気に誘われて北九州の勝山公園の河津桜が満開とか。

21日は北九州に出掛けるので、時間があれば勝山公園を散策しよう。


     〈死〉について考へるとき

     生きてゐるあらゆるものに

     人はやさしくなる

     肩をさする

           詩集『夢 あるひは…』 吉原幸子詩集から

2019年2月18日 (月)

「〈短歌+映像〉北九州近代の記憶」 北九州市立文学館

*イベントのお知らせです。

     〈短歌+映像〉

  北九州近代の記憶 〜炭鉱・製鉄・鉄道〜

   日時  2019年3月17日(日) 午後2時〜午後4時

                     (開場: 午後1時30分)

   場所  北九州市立文学館 交流ステージ

   会費  1000円(資料代) *どなたでも参加できます。

        会費は当日、受付でお支払いをお願いします。

   DVD映写と講話 今川英子(北九州市立文学館長)

   スライドと短歌朗読/ 解説

          阿木津英・黒瀬珂瀾・五所美子・恒成美代子

               (『九州の歌人たち』企画編集委員)

    お問合わせ  北九州市立文学館 tel: 093-571-1505

   主催 『九州の歌人たち』企画編集委員会 共催: 北九州市立文学館



        *  北九州にゆかりのある歌人たちの短歌を

      スライド上映と共に、朗読いたします。

      興味・関心のあるかたはどうぞいらしてください。

      お待ち申し上げます。

2019年2月14日 (木)

『祭り太鼓はにぎやかに』 坪 裕 歌集  短歌研究社

歌歴40年の著者の遅すぎた第一歌集。

「多摩川のほとりに住んで、もう三十六年になる。(略)」のあとがきの

書き出し、竹内忠夫先生と著者の本名が非常に似ているために、

ペンネーム〈坪 裕(つぼ・ゆう)〉を使用。

平成24年から平成30年までの8年間に作った作品を収めている。

「香蘭」会員。


     祭礼のような日を生き悔いはなし祭り太鼓はにぎやかに打て

     世渡りの上手な奴とは付き合わぬと決めたがそいつは出世をしたり

     西行が願ったように花の頃ピンピンコロリと逝かせてくれよ

     寂しさを放っておけぬ時もある見えない星座を夜空に探す

     すれ違うときに激しく吠えられたそんなに怪しい男か俺は

     ラ・フランスが青白い貌で売られいる似たような奴一人知ってる

     朱の色に染まる朝焼け冷えびえと私を責めるように広がる

     安部でなく阿部でもなくて安倍さんが危ない橋を渡ろうとする

     切り傷を心にひとつ作らせてあいつは知らぬ顔して去りぬ

     百年もせっせと生きるわが母はわれも吾が名も忘れ果てたり

 

〈人生観〉のくきやかに出ている第一歌集である。

2首目、9首目を読むと「同類相憐れむ」といったわが思い ? も浮かんでくる。

4首目の「見えない星座を夜空に探す」のも、わが分身のごときおひとよ。

読んでいて、とても共感する

共感しながら「過ぎたるは猶及ばざるが如し」とも、案じられもする。


面白さを狙うと、狙ったことが読者にそこはかとなく伝わる。

そのへんが危ういところか。

しかし、この『祭り太鼓はにぎやかに』の精神には、大いに肩入れしたくなる。

〈人生処方箋〉なんてことが思い浮かぶ一集であった。






                              帯文 千々和久幸

                              平成31年1月20日

                                 2500円+税

 

 

2019年2月12日 (火)

「山下翔詠草集 7」

4回目のキャラバンの集大成である。

2018年9月2日から9月9日までのキャラバン、合計300首の歌が

収められている。

 

       福岡ー仙台ー東北本線ー両毛線ー伊勢崎ー前橋ー

       高崎ー大宮ー渋谷ー神保町ー鎌倉ー江の島ー熱海ー

       静岡ー名駅ー平和園ー黒壁ー彦根ー近江八幡ー天満橋


それぞれ連作とエッセイのかたちがとられている。

エッセイもよそゆきの言葉 ?  でなく、普段のままの文体に好感がもてる。

山下さんの歌は、凄い巧さといったものではなく、こうした連作形式によって

よりその作品に味わいが出るように思う。


     水風呂にみづの芯あるごときかな秋のはじめの旅のあしたは

     『温泉』は苦しい歌集と言はれたり苦しいところが現実ならむ

     夏のをはりの冷製パスタ山芋とオクラと蛸がよくからみあふ

     根拠のない自信をどうにかしたはうがいいと言はれつさうなのかなあ

     注文するまへに来る水、おしぼりとコーンポタージュ有無を言はさず

     きみはもう歩きはじめてゐるころか横顔ばかりがおもひ出されて

     うつすらと夕方が来て鳶なけり近ごろ口笛が吹けるやうになつた

     名を呼べばそこにはりつく感情のうるさいなあ秋は雲と行かうよ

     会ひたかれども会ひえざる人われになし会ひたいといふより

     しがみつきたい

     旅の夜の果ての大阪ぬれながらみづに芯ある秋とおもへり



巻頭の歌で「みづの芯」を出し、掉尾の歌で「みづに芯」をもってきたところ

など、構成的にはかなり練られている。しかし、言い様によっては〈作為的〉

でもある。無理に辻褄を合わせなくてもいいような  ?  ?




2首目、どなたの言葉か知らないが「苦しい歌集」は、褒め言葉とも言えよう。

     作者にとっては「苦しいところが現実」なのだから。




3首目、「冷製」なのかしら。「冷し中華」とは言うけれど「冷製中華」とは

     言わない筈。 メニューに書いてあったのだろうか。要するに

     「冷しパスタ」 ?  なのかな。



4首目の「根拠のない自信」には、笑った。こういう発想の出来るひとは

    スゴイ。そして、その言葉を直接山下さんに発するのだから、これは

    真の友人として登録した方がいい。(笑)


5首目は、3首目と同様に食物(テレビ的には消え物)をうたうと俄然、歌に

    生彩が。これは山下さんの独壇場ともいえる。


8首目の「うるさいなあ」は、4首目の「さうなのかなあ」と同様に独語であろう。

    それが効を奏している。


9首目の「しがみつきたい」なんて言われると、泣きたくなる。ホントは

    「しがみつく」の用法は、人や地位などから離れまいとする〈負〉の

    場合に使われることが多いように思うのだが、山下さんがつかうと

    なんだかせつないなぁ。どなたにしがみつきたいのやら(笑)







と、勝手な感想を述べて申し訳ない。

山下さんって、多作なんだ。

こんなにひょいひょい歌が出来るとは……

 

                       組版・装幀  山階 基

                          2019年1月25日

                           頒価 1500円

 

2019年2月11日 (月)

映画「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」  大洋映画劇場

地獄のような戦争体験。

仲間の多くが犠牲になった戦争。

忘れてしまいたい残酷な場面がフラッシュバックするサリンジャー。


書くことに精魂こめて対峙する。

嘘のない物語を書きたい。

偽りなく伝えたい。

            ライ麦畑のつかまえ役。

            そういったものに僕はなりたいんだよ。

            馬鹿げていることは知ってるよ。

            でも、ほんとうになりたいものといったら、

            それしかないね。

その長編小説が完成し、一躍有名になり大ベストセラーになる。

しかし、サリンジャーは人前に姿を現すこともなく、ひっそりと暮らす。


僕にとっては「宣伝でもない、書評でもない」と言い切るサリンジャー。

父親の一言の「生まれたその日から心配していた」の言葉に涙が零れた。


この映画を観て、『ライ麦畑でつかまえて』J.D.サリンジャーの

青春小説を改めて読み直したく思った。

2019年2月10日 (日)

『佐藤佐太郎』 大辻隆弘  笠間書院

佐藤佐太郎の『軽風』(昭和17年7月)から、第13歌集の『黄月』(昭和63年9月)

までの歌の中から50首を選び、鑑賞した1冊。

人口に膾炙された歌もあるにはあるが、著者が50首選んだ、のを読む

たのしみもある。

アララギの「写生」を信奉した佐太郎ながら、写生だけにとどまらないことを

わかりやすい言葉で記している。

    夕光(ゆふかげ)のなかにまぶしく花みちてしだれ桜は輝(かがやき)を

    垂る                               『形影』




    (略)結句の「輝を垂る」の「垂る」は「垂れる」という意味を表す自動詞

    ではない。ラ行下二段活用をする他動詞である。口語でいえば「垂ら

    す」である。枝垂れ桜の木が「輝(かがやき)」を垂らす。佐太郎は木を

    擬人化して表現することによって、光の粒子をふりこぼそうとしている

    夕方の木の姿を描きだすことに成功している。(略)




と、まぁ、こんなふうに著者の解釈に「うん、うん」と頷きながら読みすすめて

いる。机上には秋葉四郎の『佐藤佐太郎』(本阿弥書店 1991年6月刊)も

置き、比べながら読んでいくのもたのしい。



今日はこれから出掛けるので、大辻さんの〈佐太郎〉を携行。

ソフトカバーなので、持ち重りしないところもいい。


あ、そうそう大辻さんの名前の「辻」の字のシンニュウは点が一つに

なっている。

 「辶」は常用漢字・人名漢字などの時は、点は一つなのかな ?

わがパソコンでは、点が一つのが出てこない。

著者名の表記と間違っているけど、ごめんなさい。

                           2018年12月10日

                           1300円+税

2019年2月 7日 (木)

季節の便り⑲ 啓翁桜とHeLLo Kitty

花屋さんで見かけた「啓翁桜」を買ってきた。

この桜は昭和5年、久留米で誕生したらしい。

1月から2月の寒い時期に咲くべく研究を重ねて、今では切り花として

花屋さんに売られている。


明日は義母の月命日。

明るい花をせめて遺影の前にと思って選んだ啓翁桜である。

まだツボミだけど、きっと咲いてくれるだろう。



在宅している時は4時10分を過ぎるとそわそわする。

キティ新幹線が、博多駅から下ってきて、わがやの彼方の高架橋を

通り過ぎる。南福岡駅の操車場に帰ってゆくのだろう。

今日も眺めた。

あっというまに通り過ぎていくけど、リボンをモチーフにしたピンク・ピンクの

外装が華やかでカワイイ。


きさらぎの雨は、朝から降り続いている。

2019年2月 6日 (水)

『猫の客』 平出 隆  河出文庫

隣家に住む猫のチビ。

その旧家の離れに住んでいる主人公夫妻。

そのチビが〈客〉として離れに遊びに来るようになる。

しかし、「触れず」・「抱かず」の距離感。


この距離感が実にいい。

「不即不離」などという固いことばではなく、お互いがお互いを

尊重しあい、その領域を犯さず、関りを継続し、持続している。

それは、チビとの関係でもあるし、主人公と妻との関わりでもあり、

大家さんとの関わりにもいえる。




四季おりおりの描写もさることながら、おだやかで、静謐で、時の移ろいが

直に伝わってくる。

それゆえに、いっそう後半の喪失の悲しみがせつない。


     

平出隆さんの『白球礼讃 ベースボールよ永遠に』(岩波新書)は、すでに

購入して読んでいたが、この『猫の客』は、昨日の古書店でみつけたもの。

出だしの1行目から惹きよせられた。


      はじめは、ちぎれ雲が浮かんでいるように見えた。浮んで、

      それから風に少しばかり、右左と吹かれているようでもあった。





このような静謐な文章を読むと、日々の猥雑さをいっとき、忘れさせてくれる。

2019年2月 5日 (火)

『ふりかえる未来』 清水昶  九藝出版

ジュンク堂書店(MARUZEN)に、文具を買いに行ったら

「第二回 冬の古書市」が開催されていた。

なに、なにと品定め。しかし、なんということか眼鏡を忘れて

行き、しっかり選べない。


それでも、文庫など4冊を買った。(岩波文庫『赤光』。講談社学術文庫『茂吉

秀歌』塚本邦雄。この『茂吉秀歌』は、同じ講談社学術文庫ながら、1077と

1155の2冊になった。1077の方は自宅にあったもので、1993年の初版。

1155の本日買った方は1994年12月発行のもの。表紙の題字が少し違う。)

2冊もどうするのだ‥‥



その古書市でショックだったのは、清水昶の『ふりかえる未来』が200円で

売られていたことだ。癪に障ってよっぽど買おうと思ったけど、やめた。

そこで7日(会期中)まで堪えるがいい。どこぞの人の手には渡らん ?

(清水昶の本は殆どわがやの書棚にはあるのだ。)

帰宅して、その『ふりかえる未来』を繙く。

清水昶の対者(対談)の相手の吉増剛造も福島泰樹もすご〜く若くて

カッコいい。それもその筈、初出は吉増剛造「詩が移動している」は昭和

48年、福島泰樹の「精神の白夜から乱調の美」は昭和50年の週刊読書人。

今から40年以上も前の写真であり、福島さんは30歳をちょっと過ぎた年齢

だった。


この対談が実に面白い。

いま読んでもちっとも色褪せず、福島さんの言質にブレがないことだ。

 

     (略)

     自分の歌が変わったと思われたのは、六四年に、一文闘争と

     いわれている自治会闘争があったんですよね。その中へ自分が

     コミットしていくようになったときから、自分の中の、抒情の変革と

     いえば大げさですけれども、それまでナルシシズムというかセンチ

     メンタリズムというか、そういう形で短歌をとらえてきたんですけれ

     ども、そうじゃなくて、何か訴え、呼びかけていく形式ということを

     非常に意識しはじめまして、そうしたら、短歌というのは、もちろん

     五句三十一音、定型なわけですけれども、それが呼びかけの詩と

     して、いろんな意味で機能し得るんじゃないかということを強く感じ

     ました。(略)


〈ふりかえる未来〉とは、なんとまぁ良いタイトルなのだろう。

そして、清水昶の「あとがき」の結語が身に沁みる。


     (略) この世で生を持続させることが、すなわち思想の完結で

      あるというもっとも平凡な発想に賭けていくほかはないのである。

 

2019年2月 3日 (日)

歌誌「ぷりずむ」 2019・2 第34号

巻頭の「前田夕暮の歌」(長澤ちづ)執筆を読み、いつもわたしが贔屓に

している溝田ひろむさんの「歴爺の歌枕トレック」を読む。

そして、作品欄をぱらぱらと捲っていたら、いきなり目に飛び込んできた

「萍堂言道筆塚」の文字。


な、なんとしたことか、大隈言道の香正寺を訪ねた人がいた。


大隈言道は、幕末の歌人で亡くなって昨年で150年。

福岡市には、お墓や歌碑があり、言道が詠んだゆかりの地がある。

昨年の11月26日、KKRホテル博多にて開催された「日本歌人クラブ創立

70周年記念シンポジウム」ではテーマが「短歌の基盤としての風土」で

あった。

パネラーの一人としてわたしは大隈言道のことを先ずとりあげた。



      近世和歌史に名を遺す歌人、大隈言道の歌論集『ひとりごち』の

      中に次のような言葉があります。「博多福岡にすみながら、其地を

      詠める歌、当世すくなきは何ぞ。博多をよめる歌、続風土記にも

      数々見えたるを知らざらんや。」(略)





この言葉を知ったのも、大隈言道研究の「ささのや会」に一時期ではあるが、

学んだためである。当日のシンポジウムで、言道の来歴や歌のことなど詳しく

語る時間もなく、どれだけ250人の聴衆に伝わったのか、いや、失敗ばかりの

あっというまの時間だった。


ところが、といえばいいのか、幸いといえばいいのか、「ぷりずむ」に掲載

されていた歌を読んで、思わず涙ぐんでしまったほどだ。



        柳原 泰子    萍堂言道筆塚

     幕末の歌人大隈言道の筆塚のある香正寺(かうしやうじ)の庭

     言道を見出したるは文学者信綱なりと立札にあり

     墓石には萍堂言道(ひやうどうことみち)居士とあり萍とは浮き草

     自身のことか

     さうさうたる歌人の名もて囲まれし筆塚ありて没後百五十年

     自然愛で感性豊かに詠み給ひ視線は常にふるさとにあり

     ふる里を如何に詠むかと言ふ課題しみじみと聞く歌人クラブ大会

 


柳原さんの、作品の17首中の6首を引用した。

わたしが語った言道のことば。たった一人の人にでも届いたのだと信じたい。





そして、博多に住んで50年はとうに過ぎたわたし。

此処がわたしの第二のふるさとでもある。

博多の地を、博多のことばを、もつともっとうたってゆきたい。

2019年2月 2日 (土)

みんなして春の河馬まで行きましょう

気がつけば、すでに2月。

2月も2日なり。

豆まきの「豆」を昨日買った。

今日は「未来福岡歌会」。

インフルエンザA型が猛威をふるっているので、心配。

Kさんに頼まれた歌集を4冊準備する。

大島史洋の『いらかの世界』と『幽明』。

河野愛子の『光ある中に』と『夜は流れる』。


タイトルの句は、『坪内稔典句集』(ふらんす堂 1992年3月10日)より。


          みんなして春の河馬まで行きましょう

          二月には甘納豆と坂下る


「坂下る」が下降志向 ?  なので、いまのわたしとしては、

          二月には甘納豆と(坂のぼる) ? ? ?

それでは、歌会に行って来ます。

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