« 2019年2月 | トップページ | 2019年4月 »

2019年3月

2019年3月31日 (日)

映画「金子文子と朴烈」 KBCシネマ

金子文子は、明治37年生まれ。

朴烈(パク・ヨル)の詩に感銘を受け、以来無政府主義者の同志として、行動を共にし、同棲をする。

関東大震災の時、大逆罪に問われ、検挙される。

 

映画は、文子と朴烈のなれそめから、獄中での二人の闘争を描く。

獄舎で執筆された文子の「何が私をかうさせたか」。

    二人の信ずるものが同じであったこと。

    二人の絆は永遠のものだったこと。

そのことが胸を打つ映画であった。

 

 

瀬戸内晴美の『余白の春』を思い出した。

そういえば、福島泰樹さんが『現代短歌』(2018年8月号)で、金子文子のことを詠んでいた。

「うたで描くエポック 大正行進曲 *二十六章」。

 

 

      獄中手記『何が私をかうさせたか』金子文子

    父そして母に捨てられ赤貧の 猿轡(さるぐつわ)され幼女ながらに

    幼女ながらにわが身を呪うことあまた通信簿さえ書いてもらえぬ

    貧しさは社会機構のゆえなるといとけなき身の本より学ぶ

    朝鮮人の虐げられた境遇をわが身のことと思い初めしよ

                    赤貧の歌   福島 泰樹

 

 

*   *   *

昨日(30日)は、第24回「さくらを見る&飲む会」だった。

寒さにめげず、花を仰ぎ、且つ大いに呑んだ。

元気であれば、また、来年 ! !

 

  

 

 

2019年3月26日 (火)

合同歌集「陽だまり」2号 完成

短歌サークル「陽だまり」の合同歌集2号が出来上がった。


昨年の春1号を出しているので順調な歩みである。などと、わたしが暢気に言うのは口幅ったい。

せめて「メカトジータ」くらいは準備した方がいいかな、などと思っていたら、

Tさんが、すでに用意していて、本日の歌会の前に手分けして作業、完成した。

(わたしは、昨日の続きの文庫などを読んでいたが…(笑))

 



表紙の「陽だまり」は、書道をなさっている Y さんの奥様の字で昨年と同様。すでにロゴ化状態。

カットは絵手紙をなさっているSさんのを昨年同様に起用。

今回は皆さんのエッセイも掲載したので、親しみやすい。

わたしも参加した。エッセイは、久世光彦の『触れもせで』の感想を綴ったのだが……

 

 

2019年3月25日 (月)

『銀座に生きる』鈴木真砂女 角川文庫クラシックス

星野村の大叔父が亡くなったので、お通夜に八女まで出掛けた。

小さな子どもたちが大勢参列していたのが印象深かった。

大叔父の孫たちであろうか。曾孫の赤ちゃんもいた。

道中の読みものは、鈴木真砂女の『銀座に生きる』。

お通夜にむかうのには些か相応しくない ?  書だと思いつつ、この書は

先週の「竹下祭り」の古本で購入したもの。

 

       罪障のふかき寒紅(かんべに)濃かりけり

 

      (略)二度結婚して、二度離婚してわたしの相手はみんな死んでしまったのに、

        罪障のふかい女は八十をこえた今も元気に立ち働いている。

 

ここまで読んで、本を閉じた。

帰宅して続きを読みたいところだが、明日もまたお出掛け。

 

        今生のいまが倖せ衣被(きぬかつぎ)   鈴木真砂女

 

                  平成10年11月25日 初版発行

                       500円+税

 

 

 

        

 

2019年3月24日 (日)

たこ焼きパーティ

35個同時に焼ける大型のたこ焼きプレートが賞品であたった。
35個なんて小家族には…と思ったが、本日は「たこ焼きパーティ?」をした。


   材料  たこ
       たこ焼き粉
       卵
       たこ焼きソース
       青のり
       かつお節
       マヨネーズ

見よう見真似のたこ焼き作りは、簡単なようでいて実は奥が深い(笑)
中はふんわり、外はカリっと焼くのにはコツがいる。
それでもまぁまぁの出来上がりで、たこ焼きを食べながら飲むビールの美味しいこと。
昼間から酔ってしまった。



☆    ☆    ☆
プランターのワサビ菜がこの陽射しで緑の葉っぱを広げている。
10株ほど育っているのだが、中の2株には蕾が付いている。
アブラ菜科なので黄色い花が咲く筈。

その10株も昨年の種から芽生えたものだ。
そして、種を撒いたラディッシュが芽吹きはじめたようだ。

これから陽射しと共に、草も木も〈いのち〉の輝きを見せてくれそうだ。







2019年3月23日 (土)

第55回 久留米短歌大会 作品募集中


日時  2019年5月26日(日) 午後1時〜4時30分


会場  石橋文化センター  小ホール(入場無料)
     久留米市野中町  電話0942-33-2271


講師  恒成美代子(未来)
     演題「高齢者の歌に学ぶ」


選者  恒成美代子(未来)・藤吉宏子(歌と評論)・大津留敬(歩道)



◆応募規定
  ① 3首以内 未発表作品に限る。
     住所・氏名(フリガナ)・電話番号・性別・生年月日を記入

  ②投稿料 1首につき1000円。(郵便小為替を同封)

  ③応募期間 3月31日(日)まで。

  ④応募先  〒830-0013 
        久留米市櫛原町80-1 石橋記念くるめっこ館内
         久留米連合文化会
           久留米短歌大会事務局 宛

  ⑤問い合わせ 上記、久留米短歌大会事務局まで(電話0942-32-7487)


◆ 賞 久留米市長賞・久留米市教育委員会賞・久留米連合文化会賞・西日本新聞社賞
    
    
    主催:久留米連合文化会・第55回久留米短歌大会実行委員会
  
    後援:久留米市・久留米教育委員会・福岡県歌人会・西日本新聞社

☆   ☆   ☆
短歌大会のお知らせでした。
応募期間は3月31日までです。ご投稿よろしくお願い申し上げます。

(当日は、馬場あき子さん・春日真木子さんの秀歌などを紹介しながら、お話いたします。)


2019年3月22日 (金)

「西日本詩時評」 岡田哲也 西日本新聞

岡田哲也さん執筆の時評で、宗清友宏さんの『カタカナフォルム小曲集』(花書院)を
とりあげていた。(2019年3月20日?)
宗清さんのこの詩集というか、研究書みたいな書をこのブログで1行も書くことが出来ず、
ただただ眺めていたのだったが、岡田さんがとてもわかりやすく書いてくださっていた。


「イロハ48文字、その形や書く時の運動方向、あるいは文字自体の持っているエネルギー」を
宗清さんは区分けしたり、分析しているのだ。
当初、この書を開いた時は「何をはじめたのだろう?」と疑問符ばかりであった。


宗清さんといえば、『縁速』(あざみ書房 2001年12月刊)のれっきとした(笑)第一詩集が
あり、2016年1月には石風社より『時量師(ときはかし)舞う空に』という哲学的ともいえる書を
出版している。
そして、わたしがいちばん馴染み深かったのが、同じく2016年1月に出された詩集『霞野』であった。
その詩集の後半には「月讀歌」のタイトルの一連があった。

     ムーン・エア 夜半にそよぎ笹のゆれ 枕辺をゆくひとのあり
     雨の夜 アルミニュウムの光あり 月の子たちは鈍やかに
     下弦光 射しこむ隙間かすかなり いつか目にした歴史線
     


等々、150首ばかりの短歌(短詩)が収められていた。
宗清さんのこれらの軌跡?を思う時、わたしが考えるのは、才能のあるひとは何でも熟(こな)す、
ということだった。
だが、一方では、才能があり過ぎると、あれもこれもしてしまう〈こわさ〉でもある。


まだ1度もお目にかかったことはないのだが、あいにく西日本新聞の時評でも他のお二人の顔写真は
掲載されていたのに、宗清さんのお写真はなかった。(断ったのかしらん(笑))




☆  ☆  ☆
と、いうことで、メンテナンスを終えてシステムが動きそうなので、思いつくまま記した次第。
(万が一、消えてしまうことがあるやもしれないが、それもまた縁ということで……)


まだ、仮運転なのでつかいかたがよくわかっていない(泣)

旧システムから新システムへの移行中

メンテナンスのためにログインできなくなって
いました。
未だ正常な状態ではないようです。(わたしだけなの ? )
と、いうわけで、しばらくブログは休止です。
このコメントも掲載になるのかどうか ?
心許ないです。
わたしは元気です。

2019年3月17日 (日)

「〈短歌+映像〉北九州近代の記憶」終了御礼

北九州市立文学館・交流ステージで催された

「〈短歌+映像〉北九州近代の記憶」は盛会裡に終わりました。


遠方からお越しくださいました I さん、Aさん、Mさん、Tさん、Kさん、

そしてご夫婦でいらしてくださったMさん、等々、ほんとうにありがとう

ございました。

北九州の元「みづき短歌会」の方々も多数いらしてくださり、同窓会みたいな

雰囲気でした。

ご来場くださった皆々さまに、感謝申し上げます。



肩の荷がひとつおりた感じで、今夜はゆっくり眠れそうです。

その前にひとりでワインで乾杯をして(笑)ちょっと飲んでいます。



月も、星も、綺麗な夜です。

2019年3月13日 (水)

『森鷗外』 今野寿美  笠間書院

コレクション日本歌人選 067。

「短歌という詩型に生涯愛情を持ち続けた文豪」の副題が付く。

『うた日記』、『沙羅の木』ほか全977首から48首を抄出して解釈。

と、同時に歌人・鷗外の軌跡を考察している。

 

     黙(もだ)あるに若かずとおもへど批評家の餓ゑんを恐れたまさかに   

     書く                              『沙羅の木』より

     君に問ふその唇の紅はわが眉間なる皺を熨(の)す火か

                                      『沙羅の木』より

とりあえず2首をあげてみた。

著者の丁寧な解釈・鑑賞があるのだが、「短歌には作家の素顔が表れる」

ものだと、つくづく思う。


1首目では、著者の今野は「皮肉というよりは、鷗外独特の語りのユーモアを

味わいたい歌。」と記し、「けっこうおもしろがって悦に入っていたのではない

だろうか。」とも、記している。(わたしなど、料簡が狭いのか、なんか鼻もち

ならない歌だなぁ、と思ったりしている。批評家を揶揄しているというか、

扇動しているみたいな、イヤミな歌だ。)


2首目では、「女人の唇の蠱惑的ないざないと、恋につきまといがちな苦悩で

あって、その対象には少しの不足もない。」(「恋につきまといがちな苦悩」など

この歌から、わたし個人は感じることが出来ない。)


翻って、思うだに、わたしは鷗外という作家を好きでないのだろう。

だから、その短歌に対しても冷静な判断が出来ないというか、好意的な

解釈や鑑賞ができないのだ。


鷗外で素晴らしいとわたしが思う点は、たった一つ。

「観潮楼歌会」を主宰したこと。その成立と展開、並々ならぬ苦労が

ともなったことだろうと推測している。


巻末の鷗外の略年譜を読んだら、「明治21年、9月12日、エリーゼ・ヴィー

ゲル来日」と記されている。

しかし、このエリーゼに関することは、一行もこの書の中では触れてはいな

い。略年譜に入れる必要があったのだろうか ? 。


そんなこんなで、読み終えたのだが、このシリーズの〈鷗外〉の担当に

あたった、今野寿美さんに少しく同情 ? ? (ごめんなさい)  している。

                            2019年2月25日 初版

                                1300円+税





     

22:30   弓張月が綺麗。

           そういえば明日は上弦の月になる。

 

2019年3月12日 (火)

21 季節の便り  「夢の世と思ひてゐしが辛夷咲く」   能村登四郎

コブシの花が咲いていた。

コブシの花を見ていると、なんだかせつなくなってくる。

真っ白な花びらが風にそよいでいた。

       昨日(きのふ)出来今日なせざるを老いとよぶ 医師言ふ

       老いをわれは得にけり      星河安友子『歳月はかへらず』



本日の鑑賞は星河安友子歌集より。

この歌をUさんが含蓄に富む鑑賞をした。そのUさんのことばを聞きながら

みんなしんみりしてしまった。

     

       ねぇ、まったく赤ちゃんと老人って反対よね。

       赤ちゃんは、昨日出来なかったことが、今日出来たりするし…


そういえば、子育ての頃のはるか昔のことを思ったりした。

昨日まで出来なかった寝返りをした時の喜び。

部屋の中でハイハイが出来るようになった時の喜び。


スプーンで自分で食べることが出来るようになった時の驚き。

1日1日、子どもは昨日出来なかったことを、今日は出来るようになった。


そして、今、わたしたち(?)は、昨日出来てたことが、今日は出来ても

明日は出来ないかも知れない。

星河さんの歌のように「昨日(きのふ)出来今日なせざるを老いとよぶ」のかも

知れない。

かなしいことだけど、そういうことなのだ。


ことしはお雛様を飾るのをためらったけど、このためらいは「老い」かも

知れない。片づける手間のことを考えたら躊躇してしまったのだ。

でも、ガンバってお雛様を今年も飾った。


飾ってよかった。お雛様に向かっていると心がやさしくなれた。


そうして、本日、お日和がいいので、片づけた。(やれば、出来るじゃん。(笑))


        夢の世と思ひてゐしが辛夷咲く   能村登四郎

2019年3月 9日 (土)

映画「ねことじいちゃん」 監督・岩合光昭

やっぱり観に行きましたよ。

先日、上映時間ギリギリに行ったら満員で入れなかった映画。

そんなに、観る人が多いとは思わなかった。


今回は、ゆったり時間をみて行ったら良い席だった。

立川志の輔の「じいちゃん」は、じいちゃんになりきっていた。

主演は猫の「タマ」。ずんぐりむっくりのタマの歩く姿も、走る姿も、その眼の

動きも、ネコ好きにはたまらない。(笑)


若い医師役の柄本佑は気になる俳優さん。

なんか、惹かれる。これってなんなのだろう。


初監督の岩合光昭さんは、ネコを撮らせたら最高。

ネコ好きのかたも、そうでないかたも、ご覧あれ。


     

映画を観終わって、何気に8階のMARUZENへ。

詩歌コーナーで、「愚かさを持つ全ての人たちへ。」の惹句の帯に

吸い寄せられて、〈お買い上げ〉(笑)してしまった入門書。

『生き抜くための俳句塾』(北大路翼 左右社 2019年3月15日 第一刷発行)



          お月さん俺の遊びは綺麗かい   北大路翼

          
          名言 ?

                      「うまいというのは批判するときに使う。」




          「俺が残せるのは俳句だけだ。

           だったら俺の俳句のすべてをさらけだしてやる。」



          「俳句は作者そのものなんだよ。」



「本書は俺の遺書である。」 と記す。 嗚呼 ! !

 

2019年3月 5日 (火)

『わたしの秀歌散策』 宮本永子  柊書房

2004年から2017年まで13年間にわたって、毎月心に残った歌を

思いのまま鑑賞した120首を収めている。

いずれの歌も「朔日」誌上に連載していたもの。



     嘆きつつひとつまくらに寝をりしが夜明けの町にいでてゆく猫

                       総合誌「短歌」(04/1刊) 小池 光

この歌の鑑賞で右大将道綱母の「嘆きつつひとり寝る夜の明くる間は
いかに久しきものとかは知る」の本歌取りと思われる。と、した上で
〈本歌取り〉の考察をのべ、その結果「焼き直しではない新しい世界を
構築していると言えるが…」と書く。

かように、歌1首につき、その歌の鑑賞のみに終わらず、「本歌取り
とは何か」というところまで考察しているところが勉強になる。

     
           五百年蒔絵の中の漆黒を飛ぶ鶴ありて飛び続けをり

                       『渾円球』 (03/10刊) 高野 公彦

のっけから、古代ギリシアの医学者ヒポクラテスのことばを引用しての
鑑賞である。豊富な知識を駆使して読者を〈知(ち)〉の世界へ導く。

そして、最後には『渾円球』には、「死」を意識した歌が想像以上に多い
ことを教示してくれる。その「死」の歌を2首だけあげよう。


     死ぬことが恐く無くなるその前に死ぬならむ夜半の湯にゐて思ふ

     曼珠沙華の冬の緑葉ほんたうのことを言はうか 死ぬのが怖い


「死」といえば、河野裕子も死に関わる歌だが、オノマトペの考察をして
いることだ。そういえば、河野裕子のオノマトペは、既成のものではなく、
創作された、寧ろ自然発生的 ? ともいえる独自のオノマトペが多いように
思う。


    ひとりぺたんとこの世に残され何とせうひい(、、)といふほど椿が落ちる

                        『庭』(04/11) 河野 裕子

この『わたしの秀歌散策』は、選んだ歌も良いが、その鑑賞が際立っている。
分析的なこともあるにはあるが、いずれも平易なことばで綴られ、先へ先へ
と読みたくなる。

見開き2ページ分の鑑賞が読み易い。

作者を探して読むのもいいし、好きな歌を探すたのしみもある。当分この
1冊を鞄の中にいれておこう。

                          2019年1月29日発行

                              2500円+税

2019年3月 4日 (月)

歌集『木ノ葉揺落』 一ノ関忠人  砂子屋書房

2012年から2017年までのほぼ5年間の作品から

選び収めている。

成瀬有の死にともなって歌誌「白鳥」を解散、その後どこにも

属さずの作者である。


     風神と雷神が一夜争へばわづかに残るもみぢも消えつ

     自分勝手なをんなのやうにむらさきのもくれんの花ひらき散りゆく

     小走りに風の少女がかけぬけて後には木々の芽、草の葉の萌ゆ

     中庭のあけぼのすぎの枝さきの仄赤うして春が近づく

     ことし早き紅梅の花見まく欲り自転車に行く路地狭きところ

     海棠(かいだう)に満天星(どうだんつつじ)が咲きはじめ春茫洋と

     時のたゆたふ

     変節しまた裏切りもあつただらう六十年をおもふおもひて悔いず

     世の乱れを余所にかがやくメタセコイアこの木の陰に暫し憩ふ

     ナツツバキの小さな花がスギゴケのみどりに落ちて夕日が照らす

     この十年「死」は近傍に在り馴れて気鬱(ふさ)ぐときのしばしばなりき



1首目、上句の比喩が意表をつく。


2首目、むらさきの木蓮の花が開いて散ってゆくまでを、「自分勝手なをんな

     のやうに」と譬える。その是非は兎も角、これも作者の切り口だろう。


3首目、上の句から下の句への転換というか、流れがスムーズなのは、

     3句目を「て」で接続したためか。


4・5首目、いまのこの季節の歌。「あけぼのすぎの枝さきの仄赤うして」の

      微細な把握。「見まく欲り」などのことばの嫋やかさ、「国学の最後の

      一人」の釈迢空をおもわせるような ? 言葉の斡旋に溜息。


7首目、「五月三十一日は今年六十になるわたしの誕生日であった」の

     詞書が付されている。誰に対して、何に対しての「変節」や

     「裏切り」かは不明だが、齢六十の節目、本卦還(ほんけがえり)の

     感慨か。

9首目、いちばん好きな歌。「小さな花がスギゴケのみどりに落ちて」それを、

     「夕日が照らす」。何でもない光景ながら、きっと作者は泣きたい

     ような感動を覚えたのではないだろうか。一瞬の景でありながら、

     その光景は永遠の輝きをもっている。

10首目、2005年に発症した悪性リンパ腫は、5年後に再発、余命宣告された

     ものの、それから8年、この5月に病院通いから解放された…と、

     「あとがき」に記されている。

     健常者には図り知れない「気鬱(ふさ)ぐとき」もあったことは、朧気

     ながらも想像できる。

                                 2019年2月15日

                                  3000円+税

2019年3月 1日 (金)

『谺せよ』 多田薫句集 花乱社

平成30年11月15日、67歳で永眠した多田薫氏。

その妻、多田孝枝さんの編んだ句集『谺せよ』は、夫君・薫氏の

第三句集であり、最後の精選句集となった。

           草の花帰つておいでと妻の声

           先に咲くカンナ後れて咲くカンナ

           秋の蚊の我を刺すには弱すぎる

           秋風や記憶の糸の長すぎて

           皆同じ夢を見てゐる木の実かな

           生と死の小さなちがひ冬木立

           春寒や夢との境行き戻り

           春の雪小さな望みかなひさう

           あぢさゐにつつまれふたりきりの旅

           いつかまた二人の旅路夏の海

著者の略歴は、平成10(1998)年、『ばあこうど』創刊。

平成26(2014)年、俳誌『六分儀』代表となっている。


この二誌ともに、わたしなどもお世話になり、拙い短歌を掲載して頂いた。

『ばあこうど』は、当時、福岡市の自宅を編集部・事務局としており、

孝枝さんが切り盛りしていたのではなかったか。『六分儀』は、

引っ越された久留米市の自宅を編集室としていたようである。


「句夫婦の至福の旅や濃紫陽花」と薫氏の句にもあるように、句仲間であり

同じ文学を志す同志でもあったのだ。そのたいせつな夫君に先立たれた

孝枝さんの心弱りは、いかばかりであろうか。


しかし、こうして句集を編むという作業に没頭することで、悲しみを紛らわして

いたのではないだろうか。


巻末に「季題別索引」を掲載する念の入れようである。

ほんとうにお疲れさまでした。


孝枝さんが綴った「あとがき」の中で、故・久本三多さんの言葉が記されて

いた。久本さんといえば、もっとも信頼に足る敏腕な編集者であった。

(わたしの第一歌集『早春譜』昭和51年8月10日 葦書房刊)を手がけて

下さったのが久本さんだった。その久本さんの言葉。

     
     独りでいて寂しくない人間になれ


その言葉をわたしもいま噛みしめている。




     全山の木の実降らせよ谺せよ



     題字 山本素竹   装画 西島伊三雄   装丁 別府大悟

     序詩 森崎和江   画  長谷川陽三

     序  筑紫磐井   あとがき 多田孝枝


                           2019年2月22日 発行

                               2000円+税

 

 

« 2019年2月 | トップページ | 2019年4月 »