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2019年6月

2019年6月30日 (日)

『恒成美代子歌集』現代短歌文庫 第144回配本 砂子屋書房

目次

『ひかり凪』(全篇)

『夢の器』(抄)

『ゆめあはせ』(抄)

歌論・エッセイ  竹山 広

         江口章子

         映画「カミ-ユ・クロ-デル」

         鷹女から蕪村へ

         文明の歌・隆の歌

         にがいあそび

         歌碑を訪ねて

         炭坑(ヤマ)の語り部

         時代の危機をうたう


解説      イノセント・ナルシシズム---歌集『ひかり凪』評  大辻 隆弘

        かうべをあげよ--------歌集『ひかり凪』評  久々湊盈子

        花のむこうに---------歌集『夢の器』評   小島ゆかり

        刻(とき)の旅--------歌集『ゆめあはせ』評 花田 俊典 

 

                      2019年5月18日 初版発行

                          1500円+税

 

 

☆    ☆    ☆

以下のかたから評を頂いています。ありがとうございました。

 

 

   母と飲む葛湯の甘さたとふれば〈鳶が鳶生む〉こともまた可(よ)し

                                                      『夢の器』「この世の端」から

 

    (略)調和をとるという点で「こともまた可(よ)し」は絶妙ですよね。

    良の字ではなく可、鷹を産んだ方がほんとは良いだろうけどこれもまた

           エエんや、という主体(子)の肯定し過ぎない自己肯定の絶妙さ。

           「葛湯」を飲む体調の優れない主体の様も、強い人ではなくて弱ったら

           「葛湯」に頼るくらいに平凡、その状況の設定もいいですよ。母も一緒に

            飲んでいるから、母も子と同じく体調が悪いのかな。それが仲睦まじく

            微笑ましくて。………上手いなあ。

                    (志田高ばここ)さん、より。

 

   ひるがへり咲く花水木いつさいのことは忘れてかうべをあげよ

   失ひてふたたびわれに戻りこし心ならずや頬うづむれば

                   『ひかり凪』「水上公園」から

 

    (略)花水木は永続性を象徴する。それは、忘れ続け、戻り続ける思いの

              連鎖だ。断ちきられるからこそ生まれる永続性。断ちきられ、断ちきり、

              そうすることで忘れていたはずの感情が復帰する。それは、同じ対象に

              向かってではない。その対象が変わることで、新たに生まれる感情なの

             だ。それは、あの時に感じた心の動きに似ている。ボクらはその思いが、

             思いの 連鎖であることに気づく。とまどいながら、ためらいながら、

             だが、高揚する心は止まらない。新であり鮮である思いは、かつての

            「私」を失うように留める。それは、例えば「あなた」への思いかもし

             れない。だから、それは創作者としての「私」の、生活者としての「私」

             の齟齬としても表れる。だが、これは、かすかな、かそけき齟齬なのだ。

           (略)               

                                                     (ブログ「パオと高床」)より

 

    

2019年6月29日 (土)

『いくつもの週末』江國香織 集英社文庫

1997年10月、世界文化社より刊行されたものの文庫化。

文庫になったのが2001年だから、それからにしてももう20年近くになる。

著者・江國香織さんが結婚し、その新婚生活?のエッセイ集。

とは言え、エッセイと短篇小説の中間みたいな感じ?

 

江國さんの繊細な、それでいて情熱的な、そして情動のおもむくままの日々が

綴られている。

カワイイひと。しかし、こういう女性を妻にすると男の人はシンドイだろうな、

とも思ったりする。

 

      私たちはいくつもの週末を一緒にすごして結婚した。いつも週末みたいな

      人生ならいいのに、と。心から思う。でもほんとうは知っているのだ。いつも

      週末だったら、私たちはまちがいなく木端微塵だ。(略)「月曜日」

 

      誰かと生活を共有するときのディテイル、そのわずらわしさ、その豊かさ。

      一人が二人になることで、全然ちがう目で世界をみられるということ。「色」

                                 

      どうして結婚したのかとよく訊かれるが、私は、自分用の男のひとが

      ほしかったのかもしれない。(略)    「放浪者だったころ」

      

「旅行にいってくる」と江國さんが言うと「じゃあ、ごはんは?」と訊ねた夫サン。

その手の話はよく聞く。まぁ、結婚何十年もすると当然のように男の人は妻に要求するらしい。

先だっては、白内障手術で入院する妻に対して「俺のごはんはどうするの?」と言った夫がいたらしい。

そんなことくらいでキリキリしていたら身がもたない。(笑)

 

それは兎も角、20年後の江國夫妻の日常が知りたい。

どうなっているのだろうか。

 

                                                 解説 井上 荒野

                 2015年9月12日 第23刷

                   420円+税

 

       

2019年6月28日 (金)

「語らざるものたちの言葉を引き受けて」 『図書』2019年6月号

岩波書店の『図書』6月号の対談は読み応えがあった。

梯久美子さんと若松英輔氏のお二人が「誰を書くか、いつ書くか」について語っている。

その中で梯さんは『狂うひと』を書くことになった動機を「写真を見て惹かれたのが

最初です。」と応えている。

若松氏の言葉の数々がビンビン胸に迫ってくる。

 

    (略)文字は過ぎ去ってしまうであろうかけがえのない出来事を

       この世に定着させるために、ある力がわれわれに与えたのだと。

 

    (略)無知は許されるが、欺きはいけないと思っています。

 

    (略)現代では、書き手が書いたものが完成形で、それをどれだけ正確に

       理解するかが読み手の仕事だと思われがちですが、ほんとうは書き手

                   すら気がつかなかったこと、もしくは書き手が深層意識でとらえなが

                   らも意識できなかったことを読み手が新しく求めていくのが、「読む」

                   ということです。

 

 

上記は全て詩人・評論家である若松氏の発言であるが、ことに赤字部分は「短歌の

読み」についてもいえることではないだろうか。短歌作者がその作品で「深層意識

でとらえながらも意識できなかったこと」を読み手が求めるというのは、難しいこ

とのようだが、そうあってほしいし、そうありたいものだ。

 

若松氏はこうも語っている。「詩を書いた人が詩人ですよ。厳密に言うと、書いて

いるときに詩人になる。」と。ゆえに、わたしの独言だが、短歌に置き換えると

「短歌を書いた人が歌人ですよ。厳密に言うと、書いているときに歌人になる。」

なんて。甘いかなぁ(笑)

 

 

☆    ☆    ☆

この『図書』の同号に、文芸評論家の加藤典洋氏の「私のこと」(その5  新しい

要素が掲載されていたけど、絶筆かしら? 氏は5月16日に71歳でお亡くなりに

なられている。哀悼。

 

 

2019年6月24日 (月)

歌集『夏燕』中西由起子 ながらみ書房 

現代女性歌人叢書21。「心の花」に所属の第三歌集。

 

   子を連れた娘が駅にわれを待つゴム一本に髪を束ねて

   着るものはどうでもよくて穿き通すグレーのスカート制服めきぬ

   万葉集巻五のなかば来て匂う三十二本並ぶしら梅

   今日の雨冷たく降りて鳥籠へみずから戻るインコと私

   立秋の伸び放題の藤の蔓 吐く息大事吸う息大事

   遺言書自分史戒名ととのえて酸素マスクに霧を吐く人

   美酒・男子(なんし)・うましき歌を伴いて巻五に咲ける白梅の花

   青空に昔のわれが棲んでいて時間は前にゆくのみならず

   キッチンのボールに二個の茄子泳ぎ何か覚束なき五月尽

   わたくしが少年ならば泣くだろう晩夏の来ている橋梁の下


元号が「平成」から「令和」になったとたん、『万葉集』が持て囃されている。

書店に行けば万葉集関係の本がずらり平積みにされている。

そして、太宰府には全国津々浦々からの観光客で日々賑わっているそうだ。

 

中西さんの3首目、7首目の歌は、「令和」やそれらに纏わる諸々とはいっさい

関係なく、即ち平成の作品である。そのことにわたしは大いに気をよくしている。

新元号が決まった途端、「巻五」のことをうたうのは容易いかもしれない。

 

中西さんの歌は、いつも平常心で素のままの姿である。

それは1首目の下句の娘さんを描写した「ゴム一本に髪を束ねて」や、2首目の

「着るものはどうでもよくて」のような無頓着振りに窺える。(そこが好き。)

 

5首目の下句「吐く息大事吸う息大事」、そして8首目の下の句の「時間は前にゆく

のみならず」という思索など、ふわふわと生きている人は気付かない。(あヽおまへは

何をして来たのだと……中也風にわたしは私に呟く)

 

歌集題になった歌をあげて、本集の紹介は終わり。

 

    夏燕ひとたび行けばもう来ずと思う駅舎を低く飛びおり

 

 

                令和元年五月一日発行

                  2500円+税

 

 

 

 

 

   

2019年6月23日 (日)

雨宮雅子作品鑑賞『昼顔讃歌ー離教への軌跡』 高旨 清美  六花書林

雨宮雅子さんのの9歌集『鶴の夜明けぬ』、『悲神』、『雅歌』、『秘法』、『熱月』、

『雲の午後』、『旅人の木』、『昼顔の譜』、『夏いくたび』、『水の花』の中の歌を

解釈・鑑賞した一書。

 

キリスト教の洗礼を受け、50年にわたってクリスチャンであった雨宮さんだが、

実質的には教会生活を殆どもつことがなく、観念に傾いたキリスト教観だったこと?

従って、結果的には離教に至ったことを著者が記している。

 

しかしながら、雨宮さんといえばやはりキリスト教を抜きにして語ることは

出来ない。著者が副題に「離教への軌跡」としたのも首肯できる。

 

雨宮さんの歌は、わたしなども好きな方である。

それは、理知的な、自己の内面を視つめた歌であり、一方、息子さんとの関係や

伴侶である竹田善四郎氏を詠んだ歌などに通う人間としての温(ぬく)とさ、

だった。

 

  子を思ふ心ひとつを捨ててきし秋いくたびか群るるコスモス  『鶴の夜明けぬ』

  年月のちり吹きはらひ訪ひきたる子は年月のおくへ去りたり  『悲神』

  捕虫網かざしはつなつ幼きがわが歳月のなかを走れり     『雅歌』

  あひともに天いただかず点滴を享けゐる夫はきさらぎの河   『秘法』

  飲食を共にすることたいせつと思ふ取税人ザアカイ思ふ    『熱月』

  しんかんと干魚焼きゐる真昼間をきみは身体撮(しんたいうつ)されてゐむ

                                                                                    『昼顔の譜』

 

そうそう、肝心の著者・高旨さんの解釈・鑑賞の緻密さに教えられることが多かった。

何よりキリスト教のこと、旧約聖書・新約聖書まで深く理解しており、聖書に出てくる

人名やどういうことなのかをたちどころに解釈してくれる。(たとえば上記5首目の

「ザアカイ」が何者なのか、どういう役割をしていたのかなど詳しいこと多々。)

 

本集の初出は、故・雨宮雅子主宰誌の「雅歌」及び、同人誌「晶」に連載したものを

加筆修正して収めている。雨宮雅子ファンならずともお勧めしたい一書である。

 

                  2019年5月24日 初版発行

                      2500円+税

 

☆    ☆    ☆

なお、当ブログの2014年10月29日に「雨宮雅子さん哀悼」として、

第10歌集『水の花』(角川書店 2012年5月発行)に触れて、書いています。

 

      

2019年6月22日 (土)

『ザべリオ』大口玲子歌集 青磁社

『桜の木にのぼる人』に続く、第6歌集。

タイトルの「ザべリオ」は、Xavierのイタリア語読みからきた表記で、フランシスコ・

ザビエルのことらしい。「今年は、フランシスコ・ザビエルが来日してから470年目に

あたる。」と、あとがきに記す。

 

キリスト教の知識にわたしは疎く、甚だ心許ない読みなのだが、そのことよりも

作者の子どもを詠んだ歌に先ず惹かれた。

 

  寒の水飲んで炬燵でオセロして完膚なきまで子を負かしたり

  ランドセル置きて出でゆき帰らざるわが家の放蕩息子をゆるす

  戦争が団栗の中に来てゐると少年はその手をひらきたり

  子が不意に原子爆弾の大きさを問ひたる夜の侘助の白

  われをもつとも傷つけることができるのはわが息子 桃に指をぬらして

  見に来てはだめと言はれて見に行かずプールで泳ぐ息子を思ふ

  子の肩をいだきよせむとしたるとき「やめて人前で」と言はれたり

 

 

幼な子から少年へと育っていく息子、その時々の作者の思いが真っ直ぐに

うたわれている。

1首目の容赦なく子を負かす母親というのもユニーク。

3首目は、渡邊白泉の「戦争が廊下の奥に立つてゐた」を彷彿するかのような歌で、

    「団栗」という小道具?が、 いかにも少年らしい。

4首目は、結句の展開が妙味。

5首目は、母親として共感。誰よりも息子に傷つけられるのが恐ろしい。(わたしも)

6・7首目、同じような体験が幾度もある。子はこうして段々、母親から巣立っていく。

     まぁ、考えようによっては、逆に労わられるようになったら御終い(笑)。


歌集題にもなった「ザべリオ」だが、キリスト教のカトリックとかプロテスタントの

区別も出来ない乏しい知識なので、それらに関わる歌を飛ばして、日常の歌を挙げたい。

 

  きみの黒きセーターを着て過ごしたる三月十一日余寒あり

  生ハムを一枚いちまいはがすとき鎌倉彫のお箸をつかふ

  面倒をやり過ごさむとする時に言ふなり「夫と相談します」

  山茶花のくれなゐこぼす木の下へわれは密書を携へて来つ

  宮崎へ移住後三年 雪を待つこころ隠して生きる夫は

  口論のさなか目を閉ぢ天からの雪に感応して立ち上がる

  人間は取り返しつかぬことをして海に赦されたいと願つて

 

1首目、「3・11」の歌。黒いセーターを着ることによって「喪に服す」作者。

2首目、「鎌倉彫のお箸」に意味があるのか、ないのか。偶々、鎌倉彫だったのか?

3首目、こういう人に限って大事なことは相談せずに決めたり‥‥(わたしだが(笑))

4首目、4句目の「密書」がコワイ。密書はただの生ゴミだったり。

5首目はせつない歌。「こころ隠して生きる」夫を思い遣っている。

6首目、降り始めた雪によって回避された口論。

7首目、海は赦してくれるだろうか。




                   2019年5月15日 初版発行

                      2600円+税

 

☆    ☆    ☆

宮崎の地で、誠実に、丹念に生きている大口玲子さん。

考えてみればまだ一度もお会いしたことがないような…

集中の「その人の棄教を長く思ひたるのちにヨガして祈り眠りぬ」

という歌があった。棄教ということで、わたしは直ぐさま雨宮雅子さんを

思い浮かべた。(間違っていたらごめんなさい。)

と、いうことで、明日は『昼顔讃歌-離教への軌跡』(高旨清美著 

六花書林)を勉強?したい。

 

2019年6月17日 (月)

『クジャ幻視行』 崎山 多美  花書院

初出は「すばる」2006年1月号より2008年3月号に掲載された8篇が収められている。

いずれも「基地のマチ」としての「シマ」が下敷きにある。

文中の「シマコトバ」が理解し難い面もあるが、前後の文脈から意味は想像出来る。

何よりそのシマコトバが生き生きと描かれ、音楽性?がある。



「ピンギヒラ坂夜行」の主人公のピサラ・アンガは「視る」だけでなく、「聴くヒト」

であった。フツーのヒトにはどんなに耳を澄ませても聴くことの出来ない声を聴いて

しまう。しかし、立場が逆転し、尼僧の女から問い詰められる。

 

    思い出したくない事を記憶から追い出してしまうことさ。忘れてしまいたい

    ことを忘れたりしているうちに本当に忘れてしまうことよ。うまくいけば

    とりあえずは楽になるからね。でも、さ アンガ、ずーっと忘れたままって

    わけにはいかないんだよ‥‥‥。

 

アンガは思い出すことが出来なかった。このウガンは失敗したのだ。

アンガは木を攀じ登り、意外な結末が……




                   装本 石原 一慶

                  2017年6月2日 初版発行

                     1500円+税

                  

ーーー --- ---

著者・崎山多美は、沖縄県西表島に生れた経歴を持つ。

その小説やエッセイは沖縄を舞台にしたものが多い。

そういえば、砂子屋書房より『くりかえしがえし』を出版。

エッセイ集も2冊『南島小景』と『コトバの生まれる場所』が出ている。

 

2019年6月16日 (日)

『ランティエ』2019年7月号 角川春樹事務所

書店で『ランティエ』7月号をいただいた。

初見の雑誌である。所謂、PR誌みたいなそれである。

180ページ超あり読み応えあり。

連載小説が10篇近く掲載されている。

その中で先ず、目がいったのが井上荒野の「そこにはいない男たちについて」。

 

 

  ちょっとした諍いから仲直りする間もなく、俊生に死なれてしまった実日子。

 

  (略)あの時降りていれば、と実日子は何度でも考える。いや、公園に行って

      いれば。もっとうるさく言って、医者に行かせていれば、そうしたら今、

      俊生は私のそばにいたかもしれないのに。(略)

 

こののち、年下の鍼灸師・勇介とどのような進展になるのだろうか。

 

 

ところで、映画「長いお別れ」の監督の中野量太さんのお顔を初めて見た。

と、言っても写真だけど。

「ファンファン福岡」の№83に略歴と共に掲載されていた。

 

   (略)これからの時代、認知症という病気にかかわらない人の方が少ないのでは

   ないかと思ったんです。僕は、今撮るべき映画、撮らなくてはいけない映画と

   いうものがあると思っていて、そういう作品を撮っていきたいと思っています。

         (略)

 

 

46歳 ? 、笑顔がいい。「福岡を舞台にした映画を撮りましょうか(笑)」なんて、

言っちゃって、笑いごとではなく、撮ってほしい。

 

 

☆   ☆   ☆

23:00     月が美しい。

     月の南東に見えるのは、木星。月に寄り添うように輝いている。

     明日は満月ですね。

 

 

 

 

 

 

2019年6月15日 (土)

『白仏(はくぶつ)』 辻 仁成  集英社文庫

フランスの文学賞、フェミナ賞・外国小説賞受賞作。

明治から昭和まで、激動の時代を生き抜いた男の一生を描いた長編小説。

(なお、この小説は辻仁成の祖父・鉄砲屋 今村豊がモデルとか)

 

     人は死んだらどこさん行くとやろか

     人は必ず死ぬったいね

     死ぬって、いつや

     死は負けではなか。負けたっと違うぞ。

 

 

幼少の、つまり7歳頃より「死」を語る場面が多い主人公・江口稔。

物語の舞台が筑後川の最下流の、有明海に接する河口の島・大野島と

いうことで、その地の方言が心地良い。

初恋の相手・緒永久(おとわ)が亡くなったのち、夜こっそりその墓処に

行く。

 

    

       死者の肉体は崩壊しても、死者の記憶はまだ生きている者の中に残って

       いる。つまり、緒永久は自分の中に今いるんだ、自分が存在している限

       りその生は消え去ることはないのだ。

  「おとわしゃん」

 

大正7年12月、稔は徴兵によって東シベリア、ボアラノイスクへ駐屯。極寒の

吹雪の中、三八銃を抱えて。赤軍兵士に対して、引き金を引き、その上瀕死の

相手に銃剣で止めの一撃を加える。

 

敗戦が決まり、日本軍が解体し、稔は50歳にして肉類全てを食べることが出来

なくなる。肉を見るとあのシベリアの記憶が蘇るのだ。和尚さんに自分の罪を

告白する。

 

   戦争の真っ只中のできごっやけん、仕方んなかこったい

   戦争が一番悪か。そげんせんかったら、おまんが殺されとるかも

        しれんのやけん

 

 

昭和28年6月の集中豪雨は1000ミリを超え、それは年間降水量の50%強にも及ぶ

大雨となった。大野島は海抜ゼロメートルの地。結局、江口工作所の小型耕運機は、

農家から一銭も集金が出来ず倒産した。娘・倫子が諭すことばに泣いた。

 

   死のうなんて考えたらいかんたい。

   どうせほっといても人間はいつか死ぬったい。

 

晩年の稔は、村の墓地に眠っている遺骨を砕いて、「白仏」を創造することに使命感

を抱く。

                          

 

                        解説  山口 昌子

                        2015年8月25日 第1刷

                          640円+税

 

 

☆    ☆    ☆

辻 仁成の小説の中でも、これは断トツに力作だと思う。多分、40歳前の作品だと

思うが、これだけ「死」が、頻出する作品は珍しい?知らなかったなぁ。読んで

最高に良かった。

 

 

 

                        

 

 

 

 

 

 

2019年6月11日 (火)

歌集『わたしも森の末端である』松山紀子 角川書店

「りとむ」所属の第一歌集。

帯で今野寿美さんが記しているように、「抜群の力量」である。

帯だから〈惹句〉でしょ、なんて言う勿れ。

読み進めていくうちにこの「抜群の力量」に魅了された。加えて「歌のことばを発するときの

ごく自然な勘どころのよさ」に、たちかえり、振り返り、読み終えた。

 

 

    

    どんぐりと爪の手触り似てをればわたしも森の末端である

    日に添ひて緑濃くなるよき頃を東京に行き阿修羅はゐない

    ひとことがカチンと人を乾反(ひぞ)らせてもう戻れない元の仲には

    パソコンで確定申告する父がなにゆゑ電子レンジ使へぬ

    伝票のめくり方まで指示されてひげ根とらるるもやしなり今

    泣くために泣いてゐる友泣かせつつそろそろついてゆけなくなりぬ

    涙活といふは不遜なことなれど悲しい映画を今日は観に行く

    うたたねができなくなるから死にたくない今の父ならさう言ふだらうか

    朝の雨にまだ濡れてゐる雨傘を夕陽にさして干しつつ帰る

    苦労してないことあなたの弱味にてまつすぐ切れる虎屋の羊羹

 

 

歌集題を巻頭に据えた「どんぐり」の章。この章はこの1首のみで、歌集題を印象付けている。

(タイトルの『わたしも‥‥』と、助詞を「も」にしたところが良い。『わたしは……』だと、ちょっと(笑))

2首目、「阿修羅」は誰かの代替かもしれない。「阿修羅」のような人は東京にはいなかった?のか。

3首目、「乾反(ひぞ)らせて」なんて、なかなかつかえない。「人」の怒りのかたちをうまく言い当てている。

4首目、8首目の父をうたった歌には〈父と娘〉の関係がよく表されている。きっと父大好きな著者であろう。

5首目、自身の只今の状況を「ひげ根とらるるもやし」と譬えたのは面白い。遣る方無い思いを表出。

6首目は、3首目の歌と同様に友人との齟齬をうたっている。仲が良すぎるとこういう喧嘩?も起こり得る。

7首目の「涙活」なることばをはじめて見た。「就活」・「婚活」・「妊活」・「終活」は知ってるけど、

   「涙活」とは。著者の造語かしらん。

9首目、こんなこと、わたしもしたことある。歌の素材になるんだ。

10首目、上の句と下の句の因果関係はないと思うのだけど、なんだろう。この面白さ。

 

 

『わたしも森の末端である』の特徴をひとことで言えば、比喩の巧みさがある。それも新鮮な直喩。

オリジナリティのあるメタファが心地良い。以下、味わってほしい。

 

   瞳孔の開く目薬さして待つ患者のやうに梅の木しづか

   おろしたてのウールのやうな積み雲が樹木(きぎ)をぬらして街を冬にす

   脱水の途中で取り出すシャツのごと呼び出されたり違ふ現場に

   今要らぬ資格幾つか持つ矜持 胡瓜のいぼのごとく削がれぬ

   好かれたいと思ふそのときやはらかいティッシュのやうにほのかに湿る

 

 

著者の年齢? 言わない、言わない。(笑)

兎も角この第一歌集は推します。

 

 

               解説 「端末時代の森の末端」今野 寿美

                  りとむコレクション 108

                                           2019(令和元)年5月1日  初版発行

                     2600円+税

 

 

 

2019年6月10日 (月)

歌集『寒椿』林ひかる 株式会社 GC

「八雁」所属の第一歌集。1994年より2018年までの作品を収める。

25年の歳月は、著者の魂の記録でもあり得よう。

離婚や再婚や死別の人生上の経歴よりも、それらを乗り越えて今の著者があること。

生きてゆくくるしみや悩みの歌もさることながら、わたしは色々な人生上の経験が現在の著者の

精神界を形成していることに興味がある。

従って、そんな歌を個人的には10首選んでみた。

 

   灯のともる窓辺に見えて夕餉する一家族ありひとは哀しも

   病む友に手紙を書きたりわが庭に居眠る猫のことなど記して

   抜け落ちたる猫の乳歯を手のひらに転がしており外は雨降る

   振り向くな泣くな怒るなまだ死ぬな呪文のごとく吾呟けり

   飼い猫のつぎに老人はかわいいと施設に働く息子言いけり

   玄関の狭くて柩の入らぬゆえこころ奮いて日日を働く

   延命のための治療を拒絶すと書きて一枚財布に入れつ

   われに向き汝はバツイチ没イチと嬉しそうなり平井靖治

   もの知りに心のケアなど言うなかれ時の過ぐるに優るもの無し

   爺さんはみな婆さんに付き添われ待合室のソファに坐る

 

 

1首目の作者のまなざしには孤独感が滲む。

2首目の病む友に送る手紙、病のことを労わるよりも著者のさりげないユーモアが良い。

3首目も1首目と同様に所在ないようなさみしさが漂う。

4首目はそのまま自励の歌。自分で自分に気合を入れているのだ。

5首目を読むと、息子さんは精神的に豊かに育っている。(よかったねぇ。)

6首目、笑ってしまったが、そういえば、わがやだって玄関から柩は入らぬことだろう。

7首目、先日つれあいは「日本尊厳死協会」に入会した。じゃあ、わたしもということで、夫婦で入会。

8首目、平井靖治さんが面と向かってこんな軽口が叩けるのも親しいからだろう。一歩間違えばハラスメントに

    なりかねない。著者がこうして歌にするあたり、器が大きいというか、これこそ著者の全人的な表われで

    あろう。(スゴイ、わたしには真似できない。)

9首目、〈一億総評論家〉みたいな世の中、何かあるとよってたかって(笑)訳知り顔で物申す世の中。

10首目、まさに、まさにである。「病院にて」の詞書がある。著者がその様子を見て、羨ましいのかどうかは

    わからない。主観を入れていない所が良い。

 

 

                    跋文 阿木津 英

                    2019年6月15日 第1刷発行

                       2500円+税

                      

 

 

2019年6月 9日 (日)

映画「長いお別れ」 監督 中野量太

2007年より2013年冬頃までの一家族の物語。

父親(山崎努)、その妻・母親(松原智恵子)、長女(竹内結子)、次女(蒼井優)が

好演している。ことに父親役の山崎努は細かいところまで認知症役を演じていて見事。

 

父の70歳の誕生パーティを、母の提案で家族揃ってお祝いをしようというところから物語は

始まるのだが、長女はアメリカ暮らし、次女は仕事も恋もうまくゆかず、悩んでいる。

そんな中、どうにか都合をつけて揃ったが、母の口から父の認知症の症状のことが告げられる。

 

父は中学校の校長も務めたほどの教育者、書斎ではいつも本を読んでいる。

ある日は句集か。「万緑の中や吾子の歯生え初むる」草田男の句が出てきた。

『相対性理論』などの厳めしい読書も。しかし本を逆さまにして読んでいる。

父は時々「帰る」と言って家を出ていく。

帰るってどこに? 「ここがあなたのおうちよ」

 

家族とは、生きるとは、そして、介護の問題など、含みの多くある映画であった。

「長いお別れ」とは、少しずつ記憶をなくし、忘れていくことからの謂でもある。

 

          この頃はね、いろんなことが遠いんだよね。

          遠いっていうのは、さみしいんだよね。

 

こんな科白が耳から離れない。

 

 

☆   ☆   ☆

つれあいを奮励 ? するために、大分からMさんが(大学時代の友人)来福した。

わざわざ会いに来てくれたこと、感謝の思いでいっぱい。

 

                     

 

2019年6月 5日 (水)

『えーえんとくちから』笹井宏之 ちくま文庫

『えーえんとくちから』(パルコ出版)が刊行されたのは、笹井宏之さんの

三回忌(2011年1月24日)の折だった。

その『えーえんとくちから』が文庫になり、今わたしの手元にあるのは

すでに第三刷である。

 

「まっすぐでピュアな」笹井さんの歌は若者たちは勿論だが、わたしのような

高齢者でも胸にしっとり入ってくる。もう高名になった歌ばかりなのだが、この文庫には

詩や俳句も収められている。

そこで、本日は笹井さんの俳句を紹介したいと思う。

 

        砂のねむり

     くしゃくしゃにしていた夏をひらきます

     茹でられてあなたはグリンアスパラガス

     (ひまわりが比喩からもどります)どうぞ

     蟷螂はしずかに祈り死後の雨

     燃えている雨もあったでしょうあの日

     ひまわりの首をつかんで泣きました

     トマトだと思っていたら愛でした

     狂おしく咲かない薔薇を叱ります

     死ぬために夜の樹を抱くあぶらぜみ

     眠れないあなたのために鳴くかじか

     砂浜へ砂のねむりを聴きにゆく

     八月の私へそっと置き手紙

 

 

ああ、笹井さんは俳句も作っていたのだと思う。

本書には「文庫版のためのあとがき」を父君の筒井孝司氏が執筆。

解説は穂村弘さん。

           2019年3月25日 第三刷発行

               680円+税

 

 

 

☆   ☆   ☆

今朝、赤く色づいたミニトマトを3個収穫した。

2本のミニトマトにいくつくらい実がついているのだろうかと数えてみた。

Aは136個、Bは131個だった。一つの花の塊りからおおよそ10〜15個くらいの実が

付いている。今年は2本のミニトマトで収穫は150個くらいかしらと思っていたけど、

嬉しい誤算。

ゴーヤ―の黄色の花に蝶々が来ていた。ネットに蔓が上手に(笑)のぼっていってくれている。

 

それにしても今日は暑かった。久留米は33.3℃、だって。

暑さのために?電車の中に忘れ物をしてしまった。

   

2019年6月 2日 (日)

第15回 「夕映忌」

花田俊典先生を偲ぶ「夕映忌」が、福津市勝浦のイタリア料理Enzoで開催された。

午後3時にSさんと福間駅にて待ち合わせ。皆さん揃ったところで花田先生のお宅へ。

お庭に咲いていた柏葉あじさいが先ず目についた。

以前よりももっともっとお庭に花が殖えて、今は百合の花季。あちこちに白い大きな百合の花が。

皆さんとレストランのお迎えの車が来る6時まで、ビールを飲みながら談笑。

 

会場は、Enzoの2階のオーシャンビューのお席。

本日は曇り空で夕映えはホントに絶望的だったのに、な、なんとしたことか、午後7時10分、

真っ赤な太陽が雲間より姿を見せ、みんな立ち上がって拍手。

テラスに出て、写真を撮ったり、しばし、食事を中断。

こんなことって、あるんだ、ホントに。

真っ赤な夕日は、幻みたいでもあった。

 

       花田先生のシャレた演出‥‥ Mさん

       15回忌 夕映 ひかり凪 とてもいい夕映でしたね Nさん

       恥ずかしがりやの夕映でした。 Nさん

       今年も思い出になる会でした。 Sさん

       70㎏ ?  90㎏ ?    長男君

       今年古希になります      Nさん

 

 

等々、寄せ書きをしてくださった皆様、ありがとうございました。

(お名前だけのかたの署名は掲載を割愛しました。)

 

追記 長男君の「70㎏? 90㎏?」の寄せ書きは、彼が筋肉を鍛えて、90㎏まで

   体重を増やすというので、わたしと花田夫人がダメ・ダメ 70㎏にしときなさい、と

   野次ったから‥‥かしら。(笑)

 

 

2019年6月 1日 (土)

『遅速あり』三枝昻之歌集 砂子屋書房

「現代三十六歌仙 35」。前歌集の『それぞれの桜』と制作時期の重なる著者の第13歌集。

平成22年から30年の作品477首を収めており、290ページに及ぶ大冊。

 

    丘の辺に三十年を重ねたり薬の数を二つ増やして

    風を生むクロスバイクと漕ぐ脚とひかり隈なき河口へ走る

    ペーパーゴミ四つ束ねて捨てに行くそこから土曜の朝がはじまる

    菊名にて乗り換え茂吉に会いに行く少年日記の中の茂吉に

    結核という近代のほのぐらさ子規を盗り啄木を盗り節を盗りぬ

    青春に見ない見えないもの多しああこんなにも銀杏の早稲田

    七草に六つ足りないなずな粥仮のこの世に二人して食む

    非力なる歌と歩みて五十年非力なる力にこだわりながら

    世間からゆっくりゆっくり遠ざかる日の暮れ方をひとり酌むとき

    「たかゆきは間遠だねえ」と病室に嘆きし母をときに思うも

    早過ぎたtake off だよ冬枯れの滑走路には夕日が残る

    青春の、子を抱く日々の、晩年の 届かぬままの青空がある

 

 

読むたびに挙げたい(引用したい)歌が違ってくる。何度も付箋を貼りかえ、ようやく12首に抑えた。それでも恣意的だなと思いつつ、これも個人の感想なのだから……

 

1首目、多摩丘陵を夕日が沈む頃歩く著者。その丘の辺に30年の歳月を重ねている。

 

2首目、風と一体になり、河口へ走るクロスバイク。そのバイクも「二十四年 愛車ルイガノ禁止令が連れ合いから出る」の詞書の付いた歌が後半にある。その歌がなんとも遣る瀬なさを醸している。「息子からのプレゼントだし筋トレにもなるし転倒は一度だけだし」(この駄々っ子ぶりが好き。)

3・ 7・ 9首目は日常の暮らしの歌。3首目、生ゴミでなくて良かった。(何が?)7首目、1月7日の七草粥を食べるしきたりを曲がりなりにも実践している「なずな粥」がいい。9首目、ひとりの豊穣のひととき。

 

4・5首目のような歌がこの歌集の根幹をなすとも思える。そういえば、三枝さんはどこぞの文学館の館長だったか? 

10首目、母の嘆きは重重知りながら、多忙ゆえに見舞うのが「間遠」になるのだろう。


最後の歌は、東日本大震災をうたっている。詞書「死者一〇三三人、関連死一〇八人」。 

 

                           りとむコレクション

                           2019年4月20日

                            3000円+税

 

☆     ☆     ☆

5月がまたたくまに過ぎて、6月。

6月は「夕映忌」、「柘榴忌」、そして近藤芳美先生の忌日が6月21日。

 

    

    

    

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