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2019年6月22日 (土)

『ザべリオ』大口玲子歌集 青磁社

『桜の木にのぼる人』に続く、第6歌集。

タイトルの「ザべリオ」は、Xavierのイタリア語読みからきた表記で、フランシスコ・

ザビエルのことらしい。「今年は、フランシスコ・ザビエルが来日してから470年目に

あたる。」と、あとがきに記す。

 

キリスト教の知識にわたしは疎く、甚だ心許ない読みなのだが、そのことよりも

作者の子どもを詠んだ歌に先ず惹かれた。

 

  寒の水飲んで炬燵でオセロして完膚なきまで子を負かしたり

  ランドセル置きて出でゆき帰らざるわが家の放蕩息子をゆるす

  戦争が団栗の中に来てゐると少年はその手をひらきたり

  子が不意に原子爆弾の大きさを問ひたる夜の侘助の白

  われをもつとも傷つけることができるのはわが息子 桃に指をぬらして

  見に来てはだめと言はれて見に行かずプールで泳ぐ息子を思ふ

  子の肩をいだきよせむとしたるとき「やめて人前で」と言はれたり

 

 

幼な子から少年へと育っていく息子、その時々の作者の思いが真っ直ぐに

うたわれている。

1首目の容赦なく子を負かす母親というのもユニーク。

3首目は、渡邊白泉の「戦争が廊下の奥に立つてゐた」を彷彿するかのような歌で、

    「団栗」という小道具?が、 いかにも少年らしい。

4首目は、結句の展開が妙味。

5首目は、母親として共感。誰よりも息子に傷つけられるのが恐ろしい。(わたしも)

6・7首目、同じような体験が幾度もある。子はこうして段々、母親から巣立っていく。

     まぁ、考えようによっては、逆に労わられるようになったら御終い(笑)。


歌集題にもなった「ザべリオ」だが、キリスト教のカトリックとかプロテスタントの

区別も出来ない乏しい知識なので、それらに関わる歌を飛ばして、日常の歌を挙げたい。

 

  きみの黒きセーターを着て過ごしたる三月十一日余寒あり

  生ハムを一枚いちまいはがすとき鎌倉彫のお箸をつかふ

  面倒をやり過ごさむとする時に言ふなり「夫と相談します」

  山茶花のくれなゐこぼす木の下へわれは密書を携へて来つ

  宮崎へ移住後三年 雪を待つこころ隠して生きる夫は

  口論のさなか目を閉ぢ天からの雪に感応して立ち上がる

  人間は取り返しつかぬことをして海に赦されたいと願つて

 

1首目、「3・11」の歌。黒いセーターを着ることによって「喪に服す」作者。

2首目、「鎌倉彫のお箸」に意味があるのか、ないのか。偶々、鎌倉彫だったのか?

3首目、こういう人に限って大事なことは相談せずに決めたり‥‥(わたしだが(笑))

4首目、4句目の「密書」がコワイ。密書はただの生ゴミだったり。

5首目はせつない歌。「こころ隠して生きる」夫を思い遣っている。

6首目、降り始めた雪によって回避された口論。

7首目、海は赦してくれるだろうか。




                   2019年5月15日 初版発行

                      2600円+税

 

☆    ☆    ☆

宮崎の地で、誠実に、丹念に生きている大口玲子さん。

考えてみればまだ一度もお会いしたことがないような…

集中の「その人の棄教を長く思ひたるのちにヨガして祈り眠りぬ」

という歌があった。棄教ということで、わたしは直ぐさま雨宮雅子さんを

思い浮かべた。(間違っていたらごめんなさい。)

と、いうことで、明日は『昼顔讃歌-離教への軌跡』(高旨清美著 

六花書林)を勉強?したい。

 

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