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2019年6月11日 (火)

歌集『わたしも森の末端である』松山紀子 角川書店

「りとむ」所属の第一歌集。

帯で今野寿美さんが記しているように、「抜群の力量」である。

帯だから〈惹句〉でしょ、なんて言う勿れ。

読み進めていくうちにこの「抜群の力量」に魅了された。加えて「歌のことばを発するときの

ごく自然な勘どころのよさ」に、たちかえり、振り返り、読み終えた。

 

 

    

    どんぐりと爪の手触り似てをればわたしも森の末端である

    日に添ひて緑濃くなるよき頃を東京に行き阿修羅はゐない

    ひとことがカチンと人を乾反(ひぞ)らせてもう戻れない元の仲には

    パソコンで確定申告する父がなにゆゑ電子レンジ使へぬ

    伝票のめくり方まで指示されてひげ根とらるるもやしなり今

    泣くために泣いてゐる友泣かせつつそろそろついてゆけなくなりぬ

    涙活といふは不遜なことなれど悲しい映画を今日は観に行く

    うたたねができなくなるから死にたくない今の父ならさう言ふだらうか

    朝の雨にまだ濡れてゐる雨傘を夕陽にさして干しつつ帰る

    苦労してないことあなたの弱味にてまつすぐ切れる虎屋の羊羹

 

 

歌集題を巻頭に据えた「どんぐり」の章。この章はこの1首のみで、歌集題を印象付けている。

(タイトルの『わたしも‥‥』と、助詞を「も」にしたところが良い。『わたしは……』だと、ちょっと(笑))

2首目、「阿修羅」は誰かの代替かもしれない。「阿修羅」のような人は東京にはいなかった?のか。

3首目、「乾反(ひぞ)らせて」なんて、なかなかつかえない。「人」の怒りのかたちをうまく言い当てている。

4首目、8首目の父をうたった歌には〈父と娘〉の関係がよく表されている。きっと父大好きな著者であろう。

5首目、自身の只今の状況を「ひげ根とらるるもやし」と譬えたのは面白い。遣る方無い思いを表出。

6首目は、3首目の歌と同様に友人との齟齬をうたっている。仲が良すぎるとこういう喧嘩?も起こり得る。

7首目の「涙活」なることばをはじめて見た。「就活」・「婚活」・「妊活」・「終活」は知ってるけど、

   「涙活」とは。著者の造語かしらん。

9首目、こんなこと、わたしもしたことある。歌の素材になるんだ。

10首目、上の句と下の句の因果関係はないと思うのだけど、なんだろう。この面白さ。

 

 

『わたしも森の末端である』の特徴をひとことで言えば、比喩の巧みさがある。それも新鮮な直喩。

オリジナリティのあるメタファが心地良い。以下、味わってほしい。

 

   瞳孔の開く目薬さして待つ患者のやうに梅の木しづか

   おろしたてのウールのやうな積み雲が樹木(きぎ)をぬらして街を冬にす

   脱水の途中で取り出すシャツのごと呼び出されたり違ふ現場に

   今要らぬ資格幾つか持つ矜持 胡瓜のいぼのごとく削がれぬ

   好かれたいと思ふそのときやはらかいティッシュのやうにほのかに湿る

 

 

著者の年齢? 言わない、言わない。(笑)

兎も角この第一歌集は推します。

 

 

               解説 「端末時代の森の末端」今野 寿美

                  りとむコレクション 108

                                           2019(令和元)年5月1日  初版発行

                     2600円+税

 

 

 

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