『紫のひと』松村正直 短歌研究社
「短歌研究」作品連載他、総合誌などに発表された作品を収めた
著者の第五歌集。
表紙にも背文字にも「歌集」の文字は見当たらない。かろうじて帯に
「静けさと不穏が隣り合う第五歌集」の惹句がある。
歌集題も装幀も今までの歌集からはちょっと想像できないような艶っぽさがある。
「(略)新鮮な気分で歌に取り組みたいと考えた‥‥」(あとがき)の結果、かなり
構成された、練られた、一集の印象がした。
ただ、思うのは(個人的だが)作者の意図した方向へ誘引されてしまいそうになり、
「物語読み」したくなるのを、なるべく抑えて読んだことだ。
上流へむしろながれてゆくような川あり秋のひかりの中を
もう一度分岐点までさかのぼることはできずに枇杷の咲く道
四天王のうちの二体は東京と京都に行きて本堂広し
ふくざつな建物なれど矢印の向きに従い出口まで来つ
皮膚が砂に覆われてゆく、感情の薄さを君に言われるたびに
つかまえたはずが捕まえられていた洗濯ばさみに垂れるハンカチ
生まれつき癇の強い子でありしかな柿の若葉をいつも見ていた
連れ合いが死に、犬が死に、猫が死に、日当たりの良い家に母住む
正直(まさなお)もずいぶん白髪が増えたわね食事の間に四度言われる
どこへ向かうわけでもなくてまたここに戻りくる舟、ふたり乗り込む
1首目から4首目まで、方向を指示するような歌を偶々あげてしまったが、
これってかなり意味があるかもしれない。というのは10首目にあげた歌を
とても好きなのだが、この歌は『紫のひと』の全体の感じを象徴している
ように思えてくる。
集中の終りの方の「みずのめいろ」の1首。小題は漢字で書けば「水の迷路」
だろうか。
「上流へむしろながれてゆくような川」は、錯覚であり「分岐点までさかのぼる
ことはできず」に、「矢印の向きに従い」、結局「またここに戻りくる」
しかないのだ。
「物語読み」を禁じていた筈なのに、やはり誘引されたみたいだ。
集中の「君」や「あなた」の使い分け様は、なんなの? と、愚痴りたくもなる。
(5首目の「君」は、「妻」でないと言えないような言葉だけど、どうかな?)
そして、何より「書き下ろし」までして、加えて、構成していることだ。
歌を面白くするための、読者にサービスするための、
「性愛の歌」、ではないと信じたい。
切羽詰まった〈いのちの叫び〉であってほしいのだ。
謹厳実直な松村さんは「この先どこへ向かって進んで行くのか」(あとがき)
……行くのでしょうか。
塔21世紀叢書三五七篇
2019年9月3日
2500円+税
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