« 季節の便り(37) 忘れないために | トップページ | 今日の今日燗熱うせよ越の酒  角川照子 »

2019年12月12日 (木)

『海、または迷路』 小田鮎子 現代短歌社

2011年、第26回短歌現代新人賞を受賞した著者の第一歌集。

「牙」及び「八雁」に発表した作品など、413首を収めている。

 

   陣痛を待つというより待ちわびる我よりも母 母よりも父

   母乳だけ飲んで半年生きる子と食べなくなって死にゆきし祖父

   自転車の前と後ろに子を乗せて漕ぎ出すペダル最初が重し

   眠らせておかねばならぬ我ありて春の日溜まり避(よ)けて歩めり

   亡き人の乗りし自転車よく見ればサドルが左に少し傾く

   詳しくは知らず互いのことなどはみなママという皮膜を持てば

   午後四時の公園に来て子とふたりさ迷えりここは樹海のひとつ

   子がわれの歌を読みつつ悲しむ日いつの日か来る必ず来べし

   職業のなきわれゆえに契約は夫の名前を書かされている

   洗濯物が良く乾くというそれだけで平和と思う馬鹿かわたしは

   思い出せないほど海を見ていない天草の海まだ帰れない

   ブランドのもので覆って悟られぬようにしている心の値段

 

跋文で、阿木津英さんが「相対化することのできるまなざしをもっている。」と

書いていたが、聡明な著者のありようが歌集全体から窺える。

 

2首目の歌、生まれて半年のわが子の〈生〉と、死んでしまった祖父の<死>を

等価で詠むあたり、怜悧な知性を感じる。ふつうだったら、母乳を飲んで育つ

わが子に愛情どっぷりだけの歌になってしまうところだが。

 

4首目、上の句には溢れ出るような自我を押し殺しているせつなさがある。

 

6首目、9首目。「ママ」ということでしか認知されない悲しみ・口惜しさ。

それは、職業を持っていないがゆえに契約だって「夫の名前」を書かされることに

なる。それが、現実なのだ。

 

10首目の<平和>。平和と思う自身の心処を嫌悪し「馬鹿かわたしは」とうたう。

洗濯物が良く乾いて、平和と感じる心は「馬鹿」とも思えない。だが、そこに埋没

してしまう自分がやりきれないのだ。

 

12首目の自己評価。それさえも「ブランドのもので覆って」いる。

(この歌は『月明りの下 僕は君を見つけ出す』抄 私家版歌集より)

 

 

母として、妻として十全に生きようとすれば、「私」を覆って、私が私であることに

眼を閉じなければならない息苦しさ。しかし、著者はすでに目覚めている。目覚めて

いるがゆえの葛藤をうたっているともいえる。

 

そんな歌集全体の流れのなかでの故郷の歌。

11首目の「天草の海」。歌集題にもなった「海」は、きっと天草の海なのだろう。

帰れないねぇ。帰りたいねぇ。

 

 

                 跋文 阿木津英

                 2019年12月3日 

                  2500円+税

 

 

*    *    *

旧暦、11月16日。

今夜は満月です。まんまるなお月さまが東の空に。

   酒呑みが酒を呑めない冬満月  miyoko

 

 

 

 

 

 

 

   

 

  

« 季節の便り(37) 忘れないために | トップページ | 今日の今日燗熱うせよ越の酒  角川照子 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事