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2020年9月 6日 (日)

目覚めるといつも私が居て遺憾  池田澄子

『現代詩手帖』2010年6月号の孫引きで申し訳ないが、本日のタイトルは

池田澄子さんの『たましいの話』(角川書店 2005年7月刊)に収められている

俳句である。

 

この6月号では「短詩型新時代ーー詩はどこに向かうか」が特集されている。

その中でアンソロジーとして「ゼロ年代の短歌100選」(黒瀬珂瀾編)と

「ゼロ年代の俳句100選」(高柳克弘編)があり、このブログのタイトルは高柳さんの

選んだ俳句の中の1句である。

 

この句になぜ目が止まったかといえば、大好きな池田澄子さんの句であるし、勿論この

句のインパクトそのものに惹かれたためともいえる。加えて、この特集の中の座談会

(城戸朱理・黒瀬珂瀾・高柳克弘)で、黒瀬さんの発言に「おっ‼」となったこととも重なる。

 

       黒瀬  びっくりしたのは、池田澄子さんの「目覚めるといつも私が居て遺憾」

           ですね。これはいまの若手、斉藤斎藤さんなどと共通する感覚だと思い

           ます。こんな句を読むと、たしかに最近は短歌が俳句化して、俳句が

           短歌化しているなという気がしますね。

 

ああ、そうか、いまの若手は「短歌の俳句化」なのかと思った次第。

 

ところで、この号の目玉? というべきか、ホントはこの話題に先に触れたかったのだが、

岡井隆さんが長篇詩「食卓で洟(はな)を嚔(ひ)りながら書いた詩」が掲載されている。

 

200行を越す詩のなかで『草枕』・『坊ちやん』が出て、『ひとりの午後に』(上野千鶴子)、

『コルカタ』(小池昌代)、『旅人かへらず』(西脇順三郎)、そして『ヘーゲル入門』、

『鮎川信夫全詩集』と、縦横無尽に書名や人名が出てくる。北川透の名前もあった。

その作家や詩人たちは岡井さんが親炙しているかたたちと思われフルネームで記されている。

 

その中でただ一人フルネームでなく、ファーストネームで記されているのが<谷川雁>である。

それもこの長篇詩の「十五」の章で、以下のようにしたためている。

 

        十五

      「瞬間の王は死んだ。」(雁)

      死んでくれてよかった

      死からだらだらつとした信濃の日常詠が生まれて/

             「北がなければ日本は三角」に

      見えて来た

      宮沢賢治が語られ十代に向かふことができた

 

 

「北がなければ日本は三角」は、谷川雁の書である。

谷川雁は晩年、十代の若者たちを集めて宮沢賢治の本を読む会を行っていた。

(福岡市早良市民センターにて) その会に私も1度お邪魔したことがあるが、

真摯な、とてもいい会だった記憶がある。童心に還られたような谷川さんだった。

 

岡井さんがこの詩を書いたのは82歳の時であり、谷川雁に対してどのような

思いだったのだろうか。

私にはわからない。

 

 

 

 

   

      

 

 

 

 

 

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