日記・コラム・つぶやき

2017年4月24日 (月)

ソーセージを章魚(たこ)の形に…

さがしもの、というか、どこかで読んだ歌とか文章のフレーズを

どこだったかな、と探しまわることがよくある。



右側のページに載っていたとか、二段組みの下の方だったとか…

そんな記憶の断片がちらちらして、その探している言葉が見つからないと

次に移れない性分である。

このたびは、タイトルにある歌で、

ソーセージを蛸の形にしようとしたのだが、それを喜んでくれる(?)息子は

もうこの家にいない、というような短歌だった。

この歌がなぜ目にとまり、気にかかったのかといえば、わたしもまた似た

ような歌を作ろうとしたからでもある。(結果、作らなかったけど…)


そうして、一昼夜(勿論、睡眠はとったけど。)、探しまわった挙句、ようやく

あったわ。

      ソーセージを章魚(たこ)の形にせむとして踏みとどまりつ

      息子はゐない          宮本 永子 (「朔日」2017・4)


結句の「息子はゐない」に母親の心情がせつないほど伝わってくる。

息子が居た時は弁当作りに勤しんでいたのか?

ソーセージは定番とはいえ、お弁当には欠かせないよね。





ということで、一件落着で、気晴らしに園芸店に行って来た。

ブルーベリーの鉢植えがあり、白い可愛らしい花を付けていた。

買いたかったけど、かろうじて「踏みとどま」ったわ。

枯らしてしまいそうな予感がしたから……





2017年4月19日 (水)

ハナミヅキ&藤の花

久留米まで往還。

久留米の街は、真っ赤な久留米躑躅が花盛りだった。

本日も良い日和なり。




沿線の藤の花をたのしみ、咲きはじめたハナミヅキの花を仰ぐ。

ハナミヅキは好きな花の一つで、いずれの歌集にも収めているような

気もしないではないが、とりあえず、1997年刊行の歌集から。





     那珂川(なかがは)のむかうが博多はなみづき咲く西中洲水上公園

     ひるがへり咲く花水木いつさいのことは忘れてかうべをあげよ

     夕風にふるふるそよぐはなみづき眼裏(まなうら)にあり眠らむとして

                     『ひかり凪』(ながらみ書房刊) miyoko


福岡は、那珂川を挟んで博多区と福岡にわかれる。

JRには、福岡駅はなく、「博多駅」である。

福岡駅があるのは、西鉄電車の「福岡駅」で、天神が始発になる。

1首目の歌は、当時は水上公園に花水木があったのだが、数年前に行ったら

なくなっていた。







あ、そうそう、久留米市内の池町川の両岸の八重桜が見頃だった。

濃いピンクのさとざくら(関山)で、花びらが風に舞い、池町川に散ってゆく。

この川は街川なのだが水が澄んでいて、流れが透明である。

桜の樹下には、ところどころにベンチが置かれている。

散策をするのに打ってつけの場所である。

この八重桜は何本くらいあるのだろうか。八重桜の並木道だ。








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本日、特定健診結果報告書を受け取った。

「生活習慣の改善を心掛けて下さい」と2項目について記されていた。

やっぱりねぇ~と、慄いている。



「生活習慣の改善……」って、そもそも、わたしに「生活習慣」って、

あったの?

この「生活習慣」は、ワルイ「生活習慣」なのね。

                             〈改善〉できるのだろうか?

2017年4月18日 (火)

温泉へ

福岡を出て、高速道路を筑紫野から浮羽を通り、日田・玖珠を経て

別府まで行った。

新緑の山々を仰ぐと、点々と咲いているのはたぶん山桜?

そして、高速道路の沿道には八重桜の花が、なんともなまめかしく咲いている。

木々の若葉の色が、陽に映えて美しい。






お昼は「山水舘」へ。グレードアップした食事ということで堪能した。

昼食ののち、温泉へ。

時間が充分あるので「いでゆ坂」を散策。

地獄蒸し工房鉄輪に寄ったら1時間待ちとやらだった。

レジ横に売られていた「温泉たまご」2個入りを買う。

半熟でとっても美味しかった。





湯けむり通りを通ってホテルへ。

本日のお土産は、いも焼酎・黒麺仕込みの「のみちょれ」。

「のみちょれ」とは、大分弁で「ぐいっち飲み干しちょくれ」らしいのだが…






          あらたふと青葉若葉の日の光      芭蕉





『奥の細道をゆく』(KTC中央出版 2001年6月刊)で、ねじめ正一が旅人と

して、日光を訪れている。この句を以下のように鑑賞している。





          いい句ですよね。なんていうんだろうな。尊いことよ、という、

          その「日光」という言葉から連想する日の光が青葉若葉を

          照らし輝いている、あーもったいないもったいない、そんな

          感じですよね。--略




2017年4月11日 (火)

「泥舟」に乗って…

靄のかかった岸辺に一艘の泥舟が見える。

行き過ぎようとしたら舟のなかから声がする。





      「乗って行きなさい ! 」

      「わたし、これから、図書館へ行くので、ごめんなさい。」


      「浮き世は夢、ゆめを見られますよ。」


      「そういえば、このところ夢を見てないわ。」






と、いう流れになって、戯れにその「泥舟」に乗ることにした。

ところが、その「泥舟」には「湯舟」まで用意されていたのだ。






      

      呼びかえす泥のほとりのちちははの家にひと間を借りて暮らした

      八月の墓にやかんで持って行く水ゆれているのが手にわかる

      知らない海の話をすこし飽きるまで明日あなたの扶養をぬける

      手帳を決めて連絡先を書きうつすこれは訃報のゆく宛て先だ

                                    「夏のはたて」



      山茶花のほころぶ冬の庭にいて離れなければふるさとはない

      うちをでる? はてなを顔にしたような母よあなたに似たわたしだよ

      洗濯機に絡まっているこれはシャツこれはふられた夏に着ていた

      恋人でも家族でもない半裸だなルーム・シェアは長い合宿

      湯上がりのくせを言われてはずかしい今のところはもめごとがない

      雨が降りだしたみたいに郵便は届きふたつの宛て名を分ける

                                     「長い合宿」

山階 基 (やましな・もとい)の「湯舟泥舟(ゆぶね・どろふね)」のネット

リントより。








わたしは、夢を見ることができた。

はかない昼のゆめかもしれない。

しかし、山階 基の夢は確実に育ち、稔りを迎えるだろう。

いまは、その、山階 基の才能が、

                   あたら潰えぬことを、祈念するのみである。







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「花散らしの雨」があがって、星がたくさん見える。

そういえば、「花散らしの雨」の言葉をはじめて知ったのは、

道浦母都子歌集の『花やすらい』(角川短歌叢書 平成20年9月)だった。

       花散らしの雨は夜来の雨となり軽パラソルの縞柄濡らす





今夜はその雨もあがり、大きな大きな月が、のぼりつつある。

そうか、今夜は満月なのだ。



ちょっと空を仰いでご覧。月が綺麗ですよ。




      

2017年4月 6日 (木)

だるいせつないこわいさみしい

昨日から花粉症が最高潮?

ティッシュペーパーの函を抱えて部屋のなかをウロウロしている。

くしゃみ・鼻みず、もうどうしょうもないくらい。

頭のなかもぼあ~んとして思考力減退。(もともと思考力ないし…)





スギ花粉よりヒノキ花粉の方がひどいということを今年は思い知る。




気晴らしに某コンビニに行き、4日売り出しの「栽培キット」を2つ買ってくる。

「ミニトマト」と「育てるヤクミ(青シソ)」。

 

     ①土(圧縮培養土)を膨らませる

     ②タネをまく

     ③育てる

     ④収穫する

以上の行程、タネまき後約80日、開花後35日で色付き始めるらしいけど、

ホントに収穫できるのかしら?ミニトマト。

そんなこんなで「だるいせつないこわいさみしい」を紛らわしている。

2017年4月 1日 (土)

未来福岡歌会(花見歌会)

本日、4月1日の福岡のお天気は晴れのち曇り。

温度は15/7  雨は大丈夫と思いますが40%の数字が出ています。




地禄神社の桜情報は、五分咲きくらい。

昨日の雨で地面が弛んでいますので、本日は室内の窓際の方に

卓を並べて花見をする予定。

出席者13名。詠草のみ2名となっています。

ささやかながら準備をしていますので、たのしみにしていてください。

みなさま、お待ちしています。(A・M 9 : 00)





              地禄神社の桜は咲くや 遠回りなれど帰りに立ち寄りあふぐ

                                       miyoko

2017年3月25日 (土)

桜始開(さくらはじめてひらく)

福岡市でサクラの開花を観測したと本日(25日)午後発表。

昨年より6日遅く、平年に比べて2日遅かったらしい。




1週間から10日程度で満開になる見込みなので、4月1日は歌会のあと、

花見決定。

地禄神社の桜太樹がみんなを待ってるよ。




そういえば、昨年は、4月2日にみんなで花見歌会をして、

翌日は宗像の観光をしたな。





        ゆさゆさと大枝ゆるる桜かな    村上鬼城     

        年寄の一つ年とる花見して     平畑静塔




2017年3月22日 (水)

「朝日新聞」 第二万四百六十九号

        「一億の總力結集」首相談 (東條首相)

        「政務の企畫運營に萬全」

        大東亜戦争完遂のためには●めて申すまでもなく戰力の増強が

        不可●の要件である。





●は、字が潰れて読めないのだが、これはわたしの誕生日の朝日新聞の

コピーである。





福岡タワーの展望台には400円のコインを入れると誕生日の新聞がコピー

できる。2009年9月、来福したOさんらと福岡タワーに昇った。その時、

Oさんが自分の誕生日の新聞をコピーしたのだ。Oさんは、覚えている

だろうか?

それから福岡三越に「柳原白蓮展」を観に行った。


今日は所用のため、福岡市総合図書館へ。

早めに出て、福岡タワーへ寄った。エレベーターで展望室へ。

360度ぐるっと福岡の街がたのしめる。今日は天気晴朗で、志賀島も

能古島も見えた。

そして、前記の誕生日の新聞をコピーしたのだ。


       内閣に戰力增強の三機關

       顧問に民間七氏

       經濟協議會と行政査察






等々、物騒な言葉が並ぶ誕生日の新聞であった。
(横書きの文字は、右から左へ並び、時代が窺える。)


そして、気付いたのだが、一面に北原白秋の歌集『牡丹(ぼたん)の

木(ぼく)』の広告が掲載されている。河出書房発行。



今日の帰りはWさんが車で送ってくださった。

車窓よりこぶしの花を眺めながらのご帰還であった。

2017年3月20日 (月)

シルバニアガーデン(かしいかえん)

パンジー、ビオラ、ノースボール、アリッサム、ストックとパステルカラーの

お庭になごみながら散策。

それにしても人出の多いこと。

子どもたちの歓声があちこちでする。

そうか、ここは子どもたちの喜ぶ遊園地だったのかと思う。





この「かしいかえん」に来るのも実に45年ぶりくらいかしら。

幼い息子を連れて、母と一緒に春の1日を遊んだことを思い出した。

遠い遠い日のことである。

そういえば、チューリップがたくさん咲いていたな。





石原和幸氏のプロデュースしたというガーデンを観るのが今回の目的。

フラワータワー、フラワーキャッスルなどを巡る。

リニューアル開園に向けて突貫工事(植え付け)をしたのか、まだいずれの

花や植物も根付くというところまで至っていない。

しかし、さすがに春の花々は可憐で美しい。

(400種類、10万ポットの花々を植え込んだのだって。)



折角来たので一つくらい遊具で遊んでいくべく選んだのが観覧車。

てっぺんまで昇ると海が見えた。





    観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日(ひとひ)我には一生(ひとよ)

                            『水惑星』 栗木 京子

 



帰りに気付いたのだが、大きなミモザの木があった。

真っ黄色な花を掲げていた。


2017年3月13日 (月)

偶然、そして連想

2月22日に穂村弘の『野良猫を尊敬した日』をこのブログで

紹介した。その同じ日のブログに偶々、鷲田清一の「折々のことば」

(朝日新聞)を引用した。





本日の「折々のことば」には穂村弘の『野良猫を尊敬した日』のエッセーの

ことばを鷲田清一が取り上げている。




       めんどくさいという気持ちに、どうしても負けてしまうのだ。

       これはもう一種の犯罪……他人ではなく自分自身に対する

       犯罪だ。                 穂村 弘

上の2つのことは、偶然だろう。

その偶然がたのしい。

偶然はたのしいが、連想ということでいえば、昨日読了した『狂うひと「死の

棘」の妻・島尾ミホ』から、連想して島尾敏雄の『死の棘』(新潮社)をふたたび

みたび繙いている。




夫婦の凄絶な闘いに胸がかきむしられるが、以前よりいっそう胸が

痛むのは伸一とマヤの言葉。





       伸一は、

       「もうぼうや、いろんなことを見てしまったから仕方がない。

       生きていたってしょうがないから、おかあさんの言う通りになる。

       ぼうや、おかあさんといっしょに行って、おかあさんが死のうと

       言えば、いっしょに死ぬよ」


       「マヤハ、シミ(、、)タクナイ」(注・マヤは、死にたくない)

       と言って泣ぎじゃくっていたが、でもそのあと、こどもらは疲れて

       眠ってしまった。







読みはじめて三分の一。

まだまだこの闘いは続くし、いとけない子どもたちが案じられる。




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