映画・テレビ

2017年12月10日 (日)

映画「火花」 又吉直樹原作

第153回芥川賞を受賞した又吉直樹の『火花』の映画化。

原作はすでに読んでいたので、どういう仕上がりになっているのか

気になっていた。

徳永(菅田将暉)の熱演もさることながら、神谷(桐谷健太)が好演していた。

神谷の伝記を書くということで、弟子にして貰った徳永。

徳永は神谷からの呼び出しにはとことんついてゆく。そのあたりの男同志の

友情というか、信頼関係が羨ましいくらいだった。


売れないお笑い芸人をやめて不動産屋 に就職してしまう徳永。

神谷も借金に追いまくられて、姿を消す。

そんな二人が再会するエピローグは、胸がいたくなる。

神谷は、豊胸手術をして笑いをとろうとしている。

原作を読んだ時もこの豊胸手術が気になったのだが、なんだか痛々しい

結末だった。

この先、二人はどうなるのだろう。

どうしたいのだろう。





売れないお笑い芸人と、歌詠み(歌人さん)を同一には論じられないが、

台頭してきた若者たちの短歌熱(?)がいつか醒めるのではないかと危惧

する。短歌では生活できないし、余技 ? にしては時間もお金もかかるような

気がしないでもない。


まぁ、そんなことよりも、先ず、自分自身のことだけど……

2017年11月23日 (木)

映画「ロダン カミーユと永遠のアトリエ」

オーギュスト・ロダンの没後100年を記念して製作された伝記映画。

カミーユ・クローデルはロダンに弟子入りを願い、彼女の才能に魅せられた

ロダンはクローデルを助手にする。モデルもつとめるクローデルは、やがて

ロダンと愛人関係になってゆく。






ロダンには内妻がおり、次第にその内妻のことや、自身の作品がロダンの

模倣としか扱われない屈辱感に侵されてゆく。ロダンによって女性彫刻家と

してその才能が華ひらく筈だったのに、芸術家同志の相克となり、愛が

いつのまにか嫉妬のかたちにかわってゆく。

師と弟子の関係は難しく、あやうい。

師が男性で、弟子が女性の場合は尚更だ。

カミーユ・クローデルを主人公にした映画は、1990年にも封切られている。

この時のクローデル役は、女優イザベル・アジャーニであった。彼女の熱演に

わたしはクローデルの精神の軌跡を思うと、せつなく、かなしかった。

40代で発狂し、48歳で精神病院に入る。それから30年の歳月を精神病院で

過ごしたクローデル。

        ーー略

        芸術創造の歓びと苦しみ。芸術と愛のはざまで精神のバランス

        を崩していったカミーユの狂気は、十九世紀末という当時の時代

        背景を別にしても、今現代を生きているわたしたち女性の誰もが

        陥りやすい、そして、だからこそ、超えなければならない命題の

        ように思えてならないのである。

                  映画「カミーユ・クローデル」の問い

                    『うたのある歳月』(本阿弥書店 2010年刊行)

上記の文章の初出は、朝日新聞1990年4月7日付けのわたしのエッセイの

一部である。「生きるとは、そして、愛するとは、どういうことなのだろうか。」と

このエッセイの冒頭には書いている。






娯楽作品とはちょっと趣きが異なるので、上映も限られている。

一日に一回の上映とは……少ないっ。

そういえば「海辺の生と死」も上映舘が限られていた、な。

2017年10月22日 (日)

映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」

東野圭吾の小説の映画化。

故郷の豊後高田がロケ地ということで、どのような映画に

仕上がっているのかと、観に行く。(原作は読んでいない。)

なかでも〈日本の夕陽百選〉のわがふるさとの真玉海岸に期待。

映画はファンタジーの要素のつよい、現在と過去(1980年代)が混在する

物語。ナミヤ雑貨店の店主(西田敏行)が手紙による悩み相談に応じる。







2012年、敦也(山田涼介)ら3人が逃げ込んだのは、空家となっていた

ナミヤ雑貨店。

そこで、繰り広げられる時空を超えてのあれこれ。






豊後高田の新町通り商店街は何度も何度も出たが、肝心の大分弁は

聞かれなかった。(クセの強い大分弁もたのしみにしていたのだが…

ロケ地を設定しただけなのか ? )

桂川の橋の上を走る敦也に、懐かしさが湧く。

そして、真玉海岸は、干潟の縞模様と夕陽をバックに歌と踊りをセリ

(門脇 麦)が演じる。曲は「REBORN」。この曲は1度聴いたらわすれられない

くらいいい。山下達郎がうたうと、もっといい。

近年、豊後高田は、「昭和の町」として有名になり、ツアーバスがやって

来るそうである。この映画でまた一段とロケ地巡りの観光客が増える

ことだろう。








ところで、映画館で優子さんに会った。

彼女は「ミックス。」を観るとか、立ち話で別れたが、映画館で歌人サンに

会うのははじめてだった。

2017年10月15日 (日)

晩菊の角を曲がるといつもゐる  北大路翼

NNK Eテレ 「俳句王国がゆく」を観賞(?)

日曜日の雨の昼間、珈琲を飲みながらの憩いの時間だ。

後半の個人戦が面白かった。

         路地裏を風は留まらず実南天      福岡日向子

         晩菊の角を曲がるといつもゐる     北大路翼

         こすもすにまぎれてやがて僕の妻    大塚 




「実南天」がいいなと思っていたら、負けてしまった。

最後が「晩菊」と「僕の妻」の一騎打ち。

前半の北大路の「秋蝶の止まり指で涙拭く」の乙女チックな句から

想像して、ひよっとして「僕の妻」は、北大路の句かしらん ? と思ったけど、

「晩菊」の句の方だった。

ヒール(笑)な彼が「コスモスにまぎれてやがて僕の妻」だったら、その落差に

快哉したのに……

まぁ、優勝したのだから、善しとするか。

「いつもゐる」のは、何なのか、読者に委ねたところがいい。

(俳句の表記、間違えていたら、ごめんなさい。)








このところテレビづいていて、昨日はNHKテレビの「ファミリー」の再放送

「ノーベル賞の原点 山中伸弥・町工場の魂」を観賞。

山中氏の先祖のルーツを辿るものだったが、その父親の町工場での

奮闘ぶりに涙が零れた。







父親亡きあと、小さな工場を引き継いだ母親の精神の強靭さ。そしてその

モノ造りに寄せる誠実さが心に残った。

1000個ネジを作っても、一つ一つのネジは一軒一軒の家に届き、使われる

ということを忘れてはならないと。






ノーベル賞の受賞式に母親も出席できたこと。

そして、山中氏が皆さんにお土産で配ったチョコレートは、どなたも

冷蔵庫に入れたまま記念にとっていて、食べていなかったことだ。(笑)







そういえば、あのノーベル賞の記念チョコレートは購入者が多くて、

とうとう並んで買うことができなかった4年前のスウェーデンの旅を

思い出した。


2017年10月 9日 (月)

映画「エルネスト」 日本=キューバ―

エルネスト・チェ・ゲバラが命を落としたボリビア戦線。

1967年10月9日、39歳でゲバラは処刑された。

その没後50年にあたる今年、オダギリジョーの主演によって

日本とキューバ―の合作映画「エルネスト」が誕生した。






ゲバラよりファーストネームの「エルネスト」の戦士名を与えられたのは、

日系二世のフレディ前村ウルタ―ド。

医師を志し、キューバ―へ留学したのだが、ゲバラの人間性に魅せられ、

その部隊に参加する。





オダギリジョーが全編スペイン語で演じる。

医師の卵としての、前半の学生としての規範と清潔感。

構内を歩くフレディの後ろ姿や、その立ち居振る舞いがとても美しい。

そして、一転してゲバラの部隊に参加したのちは、艱難辛苦に晒される。

そのいずれも胸を打つ作品となっている。

(オダギリジョーは、素敵な役者さんだ。)


この映画の中で改めて考えさせられた「ゲバラ」という人物。

チェ・ゲバラは、1959年、来日している。

そして、広島に行き、原爆資料館を訪れ、原爆死没者慰霊碑にも

お参りしていることだ。慰霊碑をあとにしたゲバラはその碑文を読んで

「主語は何 ? 」 と呟く。

原爆を落とさなくても戦争は終っていたのに……と。

ゲバラの残した言葉はいずれも重い。

        核戦争には勝者などいない。

        憎しみから戦いは勝てない。



カストロが明言したように、我々は生きている時代を生きるのだ、とも思う。

巷で若者たちがゲバラの肖像の印刷されたTシャツを着ているのを

見かけることがある。彼等にどの程度、ゲバラのことがわかっている

のかとも思うが、それだけ伝説めいた英雄としてゲバラは在る。

映画を観終えて、

中公新書の『チェ・ゲバラ』(伊高浩昭 2015年7月発行)を向学のため

紀伊國屋で購入した。なにごともべんきょう也 (笑)。

2017年9月30日 (土)

映画「ユリゴコロ」 主演 吉高由里子

きゃ〜、怖かった。

あんな怖い映画だとは思わなかった。

血を見るのが怖いのか、刃物を見るのが怖いのか。

いずれにしても、あんな怖い映画は今度からパスだな。

(リストカットの場面では、顔をあげて観ることが出来なかった。)

怖いもの好きのひとにはうってつけの映画 (?) かな。

松山ケンイチが出ているというので、観たかった映画。

「あなたの優しさには容赦がありませんでした」と美紗子(吉高由里子)が

告白 ? するように、洋介(松山ケンイチ)の優しさは、何かを背負っている

ひとの優しさでもある。(挫折したり、何かでひどい傷つきかたを体験した

ひとは優しいと、わたしの体験上からも思う。)








縦糸と横糸がうまく交差して、後半で謎が解ける。

沼田まほかるのベストセラー小説の映画化らしいが、ミステリー仕立て

なのだ。


葈耳(オナモミ)という植物、知ってるかしら。

そう、あの洋服などにくっつく小さな楕円球のみどりのとげとげの付いた実。

あれがキーワードになる。

殺人現場にそれが落ちていた。






亮介(松坂桃李)が、実家の父の押入れから見つけたノート。

それが発端で、犯人捜しをするのだが……



松山ケンイチは影があるような役を演じきっていた。


                        それにしても怖かったなぁ〜

2017年9月18日 (月)

映画「奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール」

長い長いタイトルの映画を観た。

奥田民生の楽曲が映画のなかでつかわれている ? ということを

知った上での観賞。

シリアスな映画より軽いのが観たかったということもあった。

妻夫木聡が雑誌編集者のコーロキを演じ、水原希子がファッションプレスの

天海あかりの役。

妻夫木聡は、映画「怒り」での役が強烈だっただけに、この映画の

コメディっぽさに合っているのかどうか、ちょっと気になった。

最初のシーンで、あれ、妻夫木聡なの  ?  っていうくらい面立ちが

変わって見えた ?

しかし、あかりに翻弄されているコーロキの姿はイトシイ。



ともあれ、水原希子のスタイルの良さが俄然光る映画だった。




脇役で出ていたリリー・フランキー、やっぱりいい。

(最後の方の、刃傷沙汰はこの映画で必要だったのか ?  )

2017年9月 5日 (火)

映画「海辺の生と死」 満島ひかり・永山絢斗

島尾ミホの『海辺の生と死』(中公文庫 昭和62年刊)の映画化の

作品をようやく観賞することが出来た。

福岡で観られるのはイオンモールシネマの1ヵ所のみ。

博多駅まで出て、イオンモール行きのバスに乗り、福岡空港の彼方に

ある商業施設のイオンモールへ。



観客は想像していたよりは居たような。

それはともあれ、2時間35分の上映時間をたっぷり奄美・加計呂麻島の

景色と島唄を堪能した。

主演の満島ひかりの野生的な立ち居振る舞いは「ミホさん」を連想させるに

充分だった。


国民学校教師の島の娘・トエ(満島ひかり)と、海軍特攻班部隊隊長の朔(永島

絢斗)の恋。

悲しいフレーズの奄美の島唄。

          

          他の島の人と縁 結んじゃいけないよ

          他の島の人と縁 結んでしまえば

          落とすはずのない涙 落とすことになるよ

                       奄美島唄「朝花節」より

沖縄は陥落し、広島には新型爆弾が落とされ、いよいよ朔の出撃する時が

迫ってくる。トエは、水をかぶり身を清め母の遺品の喪服に身を包む。

短刀を握りしめ、浜辺を走る。走って走って、出撃する朔を見送って、

自裁するつもりなのか ? ………


エンディングで、脚本監修の梯久美子の名前が画面に映し出された。

そして、梯の『狂うひとーー「死の棘」の妻・島尾ミホ』(新潮社刊)も

スクリーンに。


cat     cat

このブログの2015年11月15日に、島尾ミホの『海辺の生と死』(中公文庫)の

ことは、書き込み済み。(参考までに)

2017年7月30日 (日)

映画「海辺の生と死」

T・ジョイ博多にも「海辺の生と死」を配給?してください。

東京のテアトル新宿と

神奈川のシネマ・ベティと

仙台のフォーラム仙台だけでしか

観られないなんて、

かなしいです。


いつになったら、博多の映画館で

上映されるのでしょうか?





こういうことって、どこの、どなたに、

お願いしたらいいのでしょうか?







わたしは「海辺の生と死」が、

観たいだけなのです。

ただ、観たいだけなのです。

2017年7月18日 (火)

映画「22年目の告白 ー私が殺人犯ですー」

事件が起きたのは1995年。

この年は、阪神大震災が発生し、オウム事件という凶悪犯罪もあった。

その年の連続殺人事件は、犯人を捕まえることもできず22年の歳月が

経ち、時効が成立した。


そこから、この映画がはじまる。

曽根崎雅人(藤原竜也)が、犯人として名乗りを挙げ、告白本を出す。

その告白本は大々的に売り出され、時の人となってしまう。

遺族への謝罪なども自ら強行し、世間の注目の的となる……

メディアを利用するところが、現代的でもある。


22年前、犯人を捕らえることができなかった刑事(伊藤英明)。

刑事と犯人、そして、「私が真犯人です」と名乗る男。

それに、ばりばりののパーソナリティの男が絡んでいく。


事件は二転三転し、ぞくぞくと鳥肌が立つ。

まさにスリルとサスペンスの映画。






それにしても、藤原竜也は独特の甘味がかったソフトな声だ。

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