映画・テレビ

2018年9月26日 (水)

テレビ NHKスペシャル「樹木希林を生きる」

PM7:30〜8:45 のNHKスペシャルを視聴。

長期密着取材の樹木希林さんのドキュメンタリーだった。

癌で余命宣告されながらも、粛々と映画の撮影に取り組む日々。

みごととしかいいようがないのだけど、希林さんにとっては「ふつう」の

ことかも知れない。

ごく自然体でこの番組に応じているのだろうが、視聴者としては感情移入

してしまう。


車を自ら運転して木寺ディレクターを送り迎えしている。

車を運転しながら発する言葉はどれも「樹木希林」のことばだった。

「若い頃はケンカ早くってね」 「仕事がなくなるかもと思った」


映画「万引き家族」のミーティングで、是枝監督に「他人をずるずると家に

入り込ませる」設定に納得がいかないと疑義を呈していた希林さん。

その精神の健康さ ? 。是枝監督は希林さんの言葉で脚本を辻褄の合う

ように、少しカバーしている。


希林さんはマネージャ―も付けていない。(そういえば、フジコ・ヘミングも

マネージャ―を持たない主義だった。)





レストランに呼び出された木寺ディレクターに見せた癌の転移の写真。

これを出せば、この長期密着取材も少しは見せ場があるでしょ ?

                                      (文言が違っていたらごめんなさい。)

ここまで番組のことを思い遣る心根。


人生の晩年を、死に際を「未熟なまんまで終わるもんじゃないかな」と、

サラリと言う。


最後の後ろ姿、歩み去る際のことばが「電車がなくなるよ。」(たぶん、

木寺ディレクターに掛けた言葉 ? ) そういう気配りのする人だった

希林さんは。




この番組の再放送があったら是非観てほしい。

再再放送があってもいい。

みんな何かを受け取ると思う。

〈生きるとは〉とか……

2018年8月19日 (日)

NHKテレビ再放送「プロ流儀」 2018年8月19日 13::05〜

たまたまつけていたテレビの橋本さとしの語りの声に耳を傾ける。

今回は、辞書編纂者の飯間浩明の仕事の流儀。

辞書を編むことは、心を編むことだと語る飯間浩明の熱いことばが心地よい。

1年間に4000語もことばを狩猟 ? する、その行動力。

そして、辞書は時代を映す「鏡」であれ !  と。


「的を射る」から「的を得る」への考察。

そして、その〈生存確認〉?  地道な行動が続く。

「黒歴史」など、今ではもうふつうに流通しているんだね。

人に知られては困る恥ずかしい、消してしまいたい歴史とかの意。


飯間さんといえば沢山の辞書関連の本を出している。

まだ未読であるが、今度書店に行ったら探してみよう。






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昨夜は、NHK BSプレミアムの「グレートネイチャー」を観た。

トルコのカッパドキアの奇岩が映しだされたら、2009年に息子と行ったことが

思い出された。はじめての海外旅行だった。

気球には乗らなかったけど、キノコ岩やラクダ岩などが目に浮かんでくる。



火山灰と堆積物で出来た凝灰岩。

1000万年以上前に火山の噴火によって出来たカッパドキア。

四国と九州を合わせたくらいの地が広がっている。


そういえば、岩の中のレストランで食事をし、岩で出来たホテルに

泊まったのだった。

パムッカレでは、裸足になって足湯に浸かった、な。


            思い出に浸り、ゆったりと、穏やかな(歌を忘れた)、
            だらだらとした(笑)この土・日となった。


2018年8月16日 (木)

映画「フジコ・ヘミングの時間」 KBCシネマ

企画・構成・撮影・編集・監督の小松壮一良が2年以上をかけて、

世界各国で撮影したドキュメンタリー映画。

60代で世界に見出された奇跡のピアニストのフジコ・ヘミングの演奏活動、

そして、猫たちに囲まれた暮らしをあますところなく伝えている。


  わたしがフジコ・ヘミングを知ったのは1999年のNHKのドキュメンタリー

  番組のあとだった。それも今は亡き S・I  さんが送ってきた短歌だった。

  「フジコ・ヘミングって誰なの?」って、その時に訊ねた。

  彼は滔々とフジコのピアノの素晴らしさを語ってくれた。

  たぶん、彼の遺品のなかにはフジコ・ヘミングのデビューCD「奇跡の

  カンパネラ」もあるのではないか。(今度の歌会で夫人に訊ねてみよう。)




映画はフジコの14歳の時に書かれた絵日記を捲っていくかたちで進行。

その絵日記の絵が実にいい。(スウェーデン人アーティストの父のDANか ? )

フジコの着る洋服は、19世紀パリのアールヌーヴォ風で、彼女のチャーミング

さを引き立て、パリの街にしっくり馴染む。





80代になった今でも毎日必ず4時間はピアノの練習をするフジコ。

そのピアノの音色には色が付いている。

「弾く人の日々の行いが表われる」と言うフジコ。



彼女が1年の半分を過ごすパリのアパルトマンには2匹の猫がいる。

その猫ちゃんにはドイツ語で語りかけるらしい。猫ちゃんや愛犬が彼女を

支えているのだ。



年間約60本世界のどこかでコンサートを開くフジコ。

「わたしはマネージャ―を持たない主義なの」には、驚いた。

交渉なども自身がするのか?


家族のいないフジコは、〈家〉に拘る。

東京・京都・パリ・ベルリン・LAと〈家〉を所有。京都の家は町屋造りの

古民家。

バリのアパルトマンは、アンティークで飾られている。





この映画は、ピアノ好きは勿論だが、音楽に興味がない人にも

お薦め。フジコの生き方がひりひりと伝わってくるから。


〈魂のピアニスト〉フジコ・ヘミング。


「ラ・カンパネラ」を、もう一度じっくり聴きたい。



冒頭の字幕は、 「人生とは時間をかけて私を愛する旅」 だった。









2018年6月23日 (土)

映画「万引き家族」  是枝裕和監督

第71回カンヌ国際映画祭で最高賞受賞の映画ということで、

やっぱり観に行った。


先日、朝日新聞で角田光代さんがこの映画のことを考察していたが、

難しいことは抜きにして、リリー・フランキーがどのような父親を演じて

いるのかが、わたしのいちばんの関心だった。



その関心もさることながら、改めて、角田さんの文章が思い起こされたのは

なんとも想定外であった。

「よく理解できないこと、理解したくないことを線引きをしカテゴライズすると

いうことは、ときに、ものごとを一面化させる。--略」 

               「理解できぬ世界は悪か」 角田光代  朝日新聞



家族とは、

居場所とは、

生活するということは、



なんともしれぬ重いものを背負いこんで観終えた。

それにしても、安藤サクラさんって、スゴイ。

演技などと思えないほど、自然体で役になりきっていた。


リリーさんも勿論、摩訶不思議なる父親を演じていた。




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20:40     月に木星が寄り添っている。heart01

2018年4月15日 (日)

映画「ペンタゴン・ぺーパーズ/最高機密文書」

実際にあった事件を映画化したもので、政府がひた隠しにしていた

ベトナム戦争に関する機密文書をニューヨークタイムズが

スクープしたのだ。しかし、政府の圧力によってその記事は差し止められて

しまう。


その同じ文書をワシントンポストが入手。

さて、どうするか。

新聞発行人(社長)は女性(メリル・ストリープ)。

政府の圧力に屈するか。

編集主幹(トム・ハンクス)と、心を一つにして奔走する。


        我々が任を負わなければ誰がやる。

        報道の自由を守るのは、報道することだ。


はらはらドキドキだった上映時間中。

観終わったあとの爽快感は上々。



是非、是非ご覧あれ。

記者さんたち、そして、あなたも……

2018年3月 7日 (水)

映画「北の桜守」の試写会へ

サユりストならずとも吉永小百合を好きと応える人が多い。

本日は連れ合いと試写会へ行ってきた。

座席500位あるらしいが殆ど埋まっていた。


戦中・戦後を生き抜いた母子の物語。

母親てつを吉永小百合、その息子修二郎を堺雅人。

2人で各地を旅し、記憶を拾い集め、蘇らせる。

記憶に向き合うのは怖いことだけど、記憶に向き合うことによって

前に進むこともできるのだ。(時に忘れたい記憶があるにしても…)


結婚を申し込むために訪れた(佐藤浩市)、この時てつ(小百合)は白妙の

喪服で迎える。結婚の申し込みを断るための喪服であった。(目の覚めるような

美しい小百合さんだった。)






何度も何度も涙が出て、ぐちゃぐちゃに。

今日は花粉症もマックスみたいで、目は痒く、くしゃみばかりの日だった。

沈丁花も咲き始めた。



「北の桜守」は3月10日封切り。

是非、ご覧あれ。

2017年12月10日 (日)

映画「火花」 又吉直樹原作

第153回芥川賞を受賞した又吉直樹の『火花』の映画化。

原作はすでに読んでいたので、どういう仕上がりになっているのか

気になっていた。

徳永(菅田将暉)の熱演もさることながら、神谷(桐谷健太)が好演していた。

神谷の伝記を書くということで、弟子にして貰った徳永。

徳永は神谷からの呼び出しにはとことんついてゆく。そのあたりの男同志の

友情というか、信頼関係が羨ましいくらいだった。


売れないお笑い芸人をやめて不動産屋 に就職してしまう徳永。

神谷も借金に追いまくられて、姿を消す。

そんな二人が再会するエピローグは、胸がいたくなる。

神谷は、豊胸手術をして笑いをとろうとしている。

原作を読んだ時もこの豊胸手術が気になったのだが、なんだか痛々しい

結末だった。

この先、二人はどうなるのだろう。

どうしたいのだろう。





売れないお笑い芸人と、歌詠み(歌人さん)を同一には論じられないが、

台頭してきた若者たちの短歌熱(?)がいつか醒めるのではないかと危惧

する。短歌では生活できないし、余技 ? にしては時間もお金もかかるような

気がしないでもない。


まぁ、そんなことよりも、先ず、自分自身のことだけど……

2017年11月23日 (木)

映画「ロダン カミーユと永遠のアトリエ」

オーギュスト・ロダンの没後100年を記念して製作された伝記映画。

カミーユ・クローデルはロダンに弟子入りを願い、彼女の才能に魅せられた

ロダンはクローデルを助手にする。モデルもつとめるクローデルは、やがて

ロダンと愛人関係になってゆく。






ロダンには内妻がおり、次第にその内妻のことや、自身の作品がロダンの

模倣としか扱われない屈辱感に侵されてゆく。ロダンによって女性彫刻家と

してその才能が華ひらく筈だったのに、芸術家同志の相克となり、愛が

いつのまにか嫉妬のかたちにかわってゆく。

師と弟子の関係は難しく、あやうい。

師が男性で、弟子が女性の場合は尚更だ。

カミーユ・クローデルを主人公にした映画は、1990年にも封切られている。

この時のクローデル役は、女優イザベル・アジャーニであった。彼女の熱演に

わたしはクローデルの精神の軌跡を思うと、せつなく、かなしかった。

40代で発狂し、48歳で精神病院に入る。それから30年の歳月を精神病院で

過ごしたクローデル。

        ーー略

        芸術創造の歓びと苦しみ。芸術と愛のはざまで精神のバランス

        を崩していったカミーユの狂気は、十九世紀末という当時の時代

        背景を別にしても、今現代を生きているわたしたち女性の誰もが

        陥りやすい、そして、だからこそ、超えなければならない命題の

        ように思えてならないのである。

                  映画「カミーユ・クローデル」の問い

                    『うたのある歳月』(本阿弥書店 2010年刊行)

上記の文章の初出は、朝日新聞1990年4月7日付けのわたしのエッセイの

一部である。「生きるとは、そして、愛するとは、どういうことなのだろうか。」と

このエッセイの冒頭には書いている。






娯楽作品とはちょっと趣きが異なるので、上映も限られている。

一日に一回の上映とは……少ないっ。

そういえば「海辺の生と死」も上映舘が限られていた、な。

2017年10月22日 (日)

映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」

東野圭吾の小説の映画化。

故郷の豊後高田がロケ地ということで、どのような映画に

仕上がっているのかと、観に行く。(原作は読んでいない。)

なかでも〈日本の夕陽百選〉のわがふるさとの真玉海岸に期待。

映画はファンタジーの要素のつよい、現在と過去(1980年代)が混在する

物語。ナミヤ雑貨店の店主(西田敏行)が手紙による悩み相談に応じる。







2012年、敦也(山田涼介)ら3人が逃げ込んだのは、空家となっていた

ナミヤ雑貨店。

そこで、繰り広げられる時空を超えてのあれこれ。






豊後高田の新町通り商店街は何度も何度も出たが、肝心の大分弁は

聞かれなかった。(クセの強い大分弁もたのしみにしていたのだが…

ロケ地を設定しただけなのか ? )

桂川の橋の上を走る敦也に、懐かしさが湧く。

そして、真玉海岸は、干潟の縞模様と夕陽をバックに歌と踊りをセリ

(門脇 麦)が演じる。曲は「REBORN」。この曲は1度聴いたらわすれられない

くらいいい。山下達郎がうたうと、もっといい。

近年、豊後高田は、「昭和の町」として有名になり、ツアーバスがやって

来るそうである。この映画でまた一段とロケ地巡りの観光客が増える

ことだろう。








ところで、映画館で優子さんに会った。

彼女は「ミックス。」を観るとか、立ち話で別れたが、映画館で歌人サンに

会うのははじめてだった。

2017年10月15日 (日)

晩菊の角を曲がるといつもゐる  北大路翼

NNK Eテレ 「俳句王国がゆく」を観賞(?)

日曜日の雨の昼間、珈琲を飲みながらの憩いの時間だ。

後半の個人戦が面白かった。

         路地裏を風は留まらず実南天      福岡日向子

         晩菊の角を曲がるといつもゐる     北大路翼

         こすもすにまぎれてやがて僕の妻    大塚 




「実南天」がいいなと思っていたら、負けてしまった。

最後が「晩菊」と「僕の妻」の一騎打ち。

前半の北大路の「秋蝶の止まり指で涙拭く」の乙女チックな句から

想像して、ひよっとして「僕の妻」は、北大路の句かしらん ? と思ったけど、

「晩菊」の句の方だった。

ヒール(笑)な彼が「コスモスにまぎれてやがて僕の妻」だったら、その落差に

快哉したのに……

まぁ、優勝したのだから、善しとするか。

「いつもゐる」のは、何なのか、読者に委ねたところがいい。

(俳句の表記、間違えていたら、ごめんなさい。)








このところテレビづいていて、昨日はNHKテレビの「ファミリー」の再放送

「ノーベル賞の原点 山中伸弥・町工場の魂」を観賞。

山中氏の先祖のルーツを辿るものだったが、その父親の町工場での

奮闘ぶりに涙が零れた。







父親亡きあと、小さな工場を引き継いだ母親の精神の強靭さ。そしてその

モノ造りに寄せる誠実さが心に残った。

1000個ネジを作っても、一つ一つのネジは一軒一軒の家に届き、使われる

ということを忘れてはならないと。






ノーベル賞の受賞式に母親も出席できたこと。

そして、山中氏が皆さんにお土産で配ったチョコレートは、どなたも

冷蔵庫に入れたまま記念にとっていて、食べていなかったことだ。(笑)







そういえば、あのノーベル賞の記念チョコレートは購入者が多くて、

とうとう並んで買うことができなかった4年前のスウェーデンの旅を

思い出した。


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