書籍・雑誌

2017年4月21日 (金)

『木俣修のうた百首鑑賞』 外塚 喬  現代短歌社選書

木俣修の薫陶を受けた一人として、著者なりの木俣修像を描き出す

ことができたら……と、「あとがき」に記す。

人口に膾炙した作品ではなく、著者自らがこころ惹かれた作品を選んで

鑑賞している。

木俣修が亡くなったのは、1983(昭和58)年、4月4日だった。

すでにあれから30数年の歳月が過ぎている。

著者が編集発行する歌誌「朔日」に、2014(平成26)年5月号より連載を

はじめ26回で完結した「木俣修のうた百首鑑賞」である。






木俣修といえば、『昭和短歌史』の人という、印象が強い。

その緻密な短歌史のお世話になった人も多いことだろう。

作品よりも論客としての印象が強いのも前記『昭和短歌史』の著書の

所以でもあろう。






この百首鑑賞本は、とても丁寧であり、100首鑑賞とはいえ、引用されて

いる歌は260首程に及ぶ。この1冊を読めば、木俣修の全体像が理解できる

書となっている。






100首の歌を巻頭に並べ、集中に引用された260首程の歌は巻末に一覧

出来る。そして、年譜も付いているのは研究者にとってもありがたいのでは。

    来むとしは一つまとめたき仕事ありそれ以外には思ひ及ばず

                             『昏々明々以後』

     掲出歌は、最後に残された九首のうちの一首である。修は、四月

    四日、慶應義塾大学病院において腎不全のために七十六歳の

    生涯を閉じている。亡くなってから家族が紙片に書き残していた歌を

    発見している。ーー略


著者の外塚自身は「一つまとめたき仕事」を成して、こころ安らかにいる

ことであろう。

木俣修の歌といえば、わたしは5月になると以下の歌が思い出される。






    リラの花卓(つくゑ)のうへに匂ふさへ五月(さつき)はかなし

    汝(なれ)に会はずして








                     2017年4月21日発行 2000円+税


    

 

2017年4月16日 (日)

『万葉歌の世界』 久恒啓一監修 久恒啓子著 地研

「女流歌人が詠み解く ! 」の副題の付いた書で、タイトルの横に

「今に詠い継がれる最古の歌集」と添えられている。




副題の「詠み解く」は、「読み解く」では、ないだろうかと思いつつページを

捲る。著者は、『万葉集の庶民の歌』も以前出されている万葉集をライフ

ワークとして、研究している大分在住の「波濤」同人である。



本書の構成は以下のようになっている。


              〇遣新羅使人の歌

              〇中臣宅守と狭野茅上娘子との贈答歌

              〇山上憶良の歌

              〇防人の歌

              〇東歌

              〇作者未詳の歌






著者は参考にする学術書、研究書など買い集める傍ら、万葉歌の詠まれた

現地に実際足を運び調査している。現地に立つことによって気候や風土や

地理的条件を知り、彼らの悲しみや苦悩を想像している。






336ページのぎっしり字の詰まった(笑)書なので、まだ読みはじめたばかり

なのだが、とりあえず「山上憶良の歌」の章を読んでいるところ。





それで一つ気になったのは、巻末に「参考文献」は掲載しているのだが、

集中の引用文献の書名などが書かれていないことである。たとえば、

「梅花の宴」の章で、大庭みな子氏の言葉を3行に渡って引用している。

しかし、大庭みな子氏の書名も出版社もここには書かれていない。

(たぶん、大庭みな子氏の万葉関係の書だと思うが……)

これでは、どこからの引用かが読者には不明である。巻末の参考文献にも

掲載されていないのは、なぜなのだろう。


評論や評伝などで引用する場合は、出典を明らかにするのが大事だろう。

この書は、労作ゆえにそのことが惜しまれてならない。

そんなことを思いながら読み進めている。






                        2200円+税  2017年3月13日

    

 

2017年4月14日 (金)

『景徳鎮』 大辻隆弘歌集 砂子屋書房

2011年から4年間の作品、350余首を収める著者第8歌集。

『景徳鎮』とは、中国の青磁器産地の名前で、青ざめた白い肌地に

心惹かれたと「後記」に記す。







    何なすとなき冬の日を青鈍(あをにび)のひかりにゆがむ河口まで来つ

    道のうへを風痺(ふうひ)のひとり歩みをり慎みてそのかたはらを過ぐ

    ハルシオンやめてデパスを選みたるそのいきさつを嬉々として言ふ

    小心と保身を彼に遺伝しておもへば一生(ひとよ)なかばも過ぎぬ

    この歌が載るときにもう父はゐないさう思ひつつ歌を直しゐつ

    平かになりにし父の胸に射すきのふ雨水(うすい)を過ぎたる陽ざし

    聴覚は終(つひ)に残ると言ひしかどそを確かめむ術(すべ)はもう無い

    ノースリーブの腕のひかりの苦しくて好きになつたらあかんと思ひき

    踊り場の壁に掛けたる絵が揺れてどこから風が来るか知らない

    葡萄酒に浸しし麺麭を肉と呼ぶかかる思想をわれは好まず






①首目の歌は、歌集巻頭の歌。「青鈍(あをにび)のひかりにゆがむ」の

把握、この巻頭の歌は、著者の歌のありようを確と示している。抒情が

清明である。



②首目の歌は、恥ずかしながら「風痺(ふうひ)」がなんのことか一読、

 わからなかった。字を眺めているうちに、ひょっとして痛風?と思い

 あたった。

 (こういう難しい言葉を難なく遣う人には、高野公彦さん?がいる。)

③首目は、「嬉々として言ふ」のは、誰かということはこの歌では説明して

  いない。そこを誰と確定していないのがいいと思う。そういえば『歌壇』の

  5月号で 「4Wを伝えるのは短歌の目的ではないということ…」と、書き

 「 『読み』を信頼する」態度を説いていたのは、大辻さんだった。

④の歌は、土屋文明の「意地悪と卑下をこの母に遺伝して一族ひそかに

 拾ひあへるかも」が思い出された。




⑤首目の歌は、2013年3月に亡くなられた父君の、生前にその死を想定して

 詠まれたものだろう。その悲しみが美しい。



⑥首目の歌は、いちばん好きな?歌。「雨水(うすい)を過ぎたる」が効を奏し

 ているような。

⑦首目の歌は、確かめる術はないのだけど、とにかく最期まで耳元で声を

 掛けなさい、ということを看護師から言われたことを思い出した。母の臨終

 に、わたしたちは「おかあさん、がんばったねぇ」とねぎらい、「ありがとう、

 ありがとう」と告げたものだ。(わたくしごとながら…)



⑨首目、こういったなにげない歌もいいなぁ、と思う。




⑩首目は、歌集掉尾の歌。礼拝の場面でインティンクション?だろうか。

 「かかる思想」をわたしはよく理解していないのだが、結句の「われは

 好まず」の断定が気持ちいい。






歌集題もさることながら、満を持して出された歌集のような、力を感じる。

きっと好評を得るだろう。






                  2800円+税      2017年3月20日発行

 
  

2017年4月13日 (木)

『文脈力こそが知性である』齋藤孝 角川新書

書店で平積みされているのが目にとまった。

短歌をしていて、〈文脈〉というのをこのところよく考える。

而して、何か参考になるんじゃないかしらと購入。

ハウツー本といっていいのか、どうか。

齋藤孝の『語彙力こそが教養である』はベストセラーになったらしいが、

そちらは残念ながら読んでいない。







        ①知的であるということは、柔軟であること…

        ②知識の土台、感覚の共有がないと話が通じない…

        ③「違いを知る」ことが相手への理解のきっかけになります。

        ④言葉がもたらす影響について、客観性をもつこと、想像力を

         働かせることがとても大事…






まだまだあるけど…書けばきりがない。

ポイントがゴチックで表記されているので、読み易い。集中しやすいというか、

文章が平易で理解しやすいのが、うれしい。


        その場の状況を感知することができない、相手の感情に対する

        配慮もできない、ただ自分の主観的な視点だけで動いてしまう

        というのは、「子どもっぽい」ことです。







おお、なんと耳が痛いことか、

いや、読んでいるから、目か。

飛蚊症みたいに目の前に黒~い糸状のものがチラチラする…

状況を感知する力、なかなかムツカシイ。







                 840円+税  2017年2月10日 初版発行

 

2017年4月12日 (水)

『新潮』2017年4月号 角田光代「深い森」私的感想文

梯久美子の『狂うひと』の書評。

書評といえど、4ページもの長い論評ともいえる。

さすが~というか、まいったまいったと思いながら図書館で読了。

        書かなければ現実ではない、

        ということを裏返せば、書けば現実となる、

        書けば存在する、ということになる。







敏雄とミホの二人の動静をかように論破するあたり、ホントにわが角田さま

である。そして、敏雄とミホの「書くことについて」は以下のように考察して

いる。


       人生を棒に振ることも厭わず、

       他人を思いどおりにするまで、

       運命を変えるまで、

       二人にしかわからないことを続ける。

       つねに言葉を介在させて。






そして、梯の『狂うひと』については、





      私がもっとも胸打たれ、感動するのは、本書が何をも脅かさず、

      何をも損っていないことだ。


これって、評伝を書くときの〈心構え〉みたいにも思えてくる。

読めてよかった、よかったよ。



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第40回俳人協会新人賞を受賞した『山羊の角』の鎌田俊氏。

『俳句』4月号に掲載されていた。その中で注目したのは、角川春樹氏の

「自己の投影」という言葉。それを句作する上で鎌田氏は頭に置いているの

だろうか。

昭和54年生まれといえば、今年38歳。「河」所属。

「自分の心の年譜につながる句が出来のよしあしに拘らず愛着があった」

という角川源義氏の言葉もひいてある。




短歌の新人賞受賞の人たちとの違いを(方法論的に?)痛感した。

2017年4月 7日 (金)

『竹下しづの女・龍骨 句文集』 福岡市文学館選書 

平成28年11月9日〜12月11日にかけて福岡市文学館企画展は

「竹下しづの女と龍骨」だった。

その図録?ともいうべき書が、福岡市文学館選書として、ようやく刊行に

なった。

竹下しづの女の句文集は勿論だが、息子の龍骨の「成層圏」なども

収められており、貴重な一冊となっている。




竹下しづの女は、明治20年3月19日、福岡県行橋市に生まれ、

昭和26年8月30日没、享年64歳。

しづの女といえば必ず引き合いに出される俳句は、

        短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎(すてつちまをか)






この書の「自句自解」のなかで次のように書いている。



        --略

        即ち此句に現われてる女は、現今の過渡期に半ば自覚し半ば

        旧習慣に捕えられて精神的にも肉体的にも物質的にも非常なる

        困惑を感ぜしめられ懊悩(おうのう)せしめられている中流の

        婦人の叫び=(心の)であります。--略

「須可捨焉乎」については、俳句だって最も現代的な語で表わして意の

迫ったところを表してもよいのだろうと断行したと。

漢文表記、字余り、破調、口語使用と大正9年の作品としては、斬新過ぎる。

それゆえに、当時の俳壇で様々な議論も起きたのだろう。でも「須可捨焉乎」

って、この書の解説の野中亮介氏も書いているけど、反語だと思う。





        --略

       「捨ててしまおうか、否、決して捨てることなどしない」そこには

       単なる否定を越えた強い現状肯定があります。

                [解説] 心高鳴り    野中 亮介(俳人)






折角なのでしづの女の俳句を『定本 竹下しづの女句文集』より。






               子をおもふ憶良の歌や蓬餅

               涼しさや帯も単衣も貰ひもの

               汗臭き鈍(のろ)の男の群に伍す

               悪妻の悪母の吾の年いそぐ

               苺ジャム男子はこれを食ふ可らず

               かたくなに日記を買はぬ女なり

               離れ棲む子の天遠し星祭る

               憂愁は貧富を超ゆる青葉木兎

               天に牽牛地に女居て糧を負ふ





早逝した夫のかわりに、仕事(図書館勤務)をし、5人の子どもを育て、

農地を耕し、母の看病に奮闘した竹下しづの女。

その俳句から、彼女の<生>のありようが伝わってくる。





そして、しづの女の次のことばはスゴイ。

芸術に進歩はない。あるのは変遷ばかりである。」(句文集の「あとがき」)





俳句をなさらないかたでも、読んでほしくなる一冊である。


                   2017年3月31日  福岡市文学館 発行

                   有限会社 海鳥社発売

                   1500円+税

 

 

 

        


    

 

2017年4月 4日 (火)

『うた燦燦』 道浦 母都子  幻戯書房

百人一首から現代まで、エッセイの中に180首の歌を収録している。



         Ⅰ うた彩々

         Ⅱ ふり返り

         Ⅲ 口ずさみ「百人一首」

         Ⅳ あこがれ


4つの章で構成されており、Ⅰの「うた彩々」では、春・夏・秋・冬と四季に

わたっての歌を引用している。その中の秋の章から1首を。





        海を見よ その平らかさたよりなさ 僕はかたちを持ってしまった

                          服部 真里子『行け広野へと』から

 

        --略

        「海を見よ」の初句の強さから、結句まで一気に打ち下ろして

        いくような一首。「僕」は、ひょっとすると、海のことなのかもしれ

        ない。平らかで、たよりない、でも、かたちを持って存在する海。

        海の不安定性を呈示し、そこに、自分を重ねているのだろうか。

        -ーー略

道浦母都子の鑑賞がたのしい。




そして、Ⅱ章では、プライベートなことをさらりと綴っている。

『無援の抒情』により全共闘運動を象徴する歌人となってしまった著者の

心根が素直に語られている。





わたしはⅢ章の百人一首の鑑賞が好きだ。

固くなくて、読み易く、理解しやすい。自身に引きつけて鑑賞しているところ

など著者らしいと思いつつ読んだ。

                       2017年4月17日  2400円+税







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春の暖かな日差しを受け、天地万物が清らかで、生き生きするころ。

本日は「清明(せいめい)」であった。

福岡の桜も今日あたりが見頃だったようで、また明日から天気は下り坂。

ただいま、空には上弦の月が朧に浮かんでいる。

2017年4月 2日 (日)

『風に献ず』 福島泰樹歌集 国文社

昭和51年7月7日に刊行された歌集で扉には、

 

       風に献ず 自刃せる村上一郎氏に 


と、記されている。

       弥生三月なにを悲しむ汽車は野に医者は花見にゆきしとぞ聞く

       椿落ちおれはせつなき歌つくる いざ鎌倉へゆくこともなし

       絢爛と散りゆくものをあわれめば四月自刃の風の悲鳴よ

       花吹雪 鬱金薄墨鬱血の林を抜けてゆきたるや君

       典雅なる人にしあらばもしや君は霞食みつつ赴きしかとも

       その人のやさしさゆえに昂りて「志気と感傷」薄明に閉ず

 

1ページ1首組の短歌。作者の声が琅琅と響きわたるようでもある。



村上一郎氏の墓碑に刻まれた「風」の一文字。

そして、村上一郎氏の妻君の長谷えみ子さんの歌集が『風に伝へむ』で

あった。




         

 

2017年3月26日 (日)

「磁場」 臨時創刊 村上一郎追悼特集号

サクラの季節になると村上一郎氏のことが頭をよぎる。

ことしはことに。




それというのも、山口弘子さんの『無名鬼の妻』(作品社)が届いたため

でもある。この書を読む傍ら、書棚から引っぱり出して、追悼特集号を

予習(復習)みたいに読んでいる。






「磁場」の村上一郎追悼特集号(昭和50年5月25日発行)、「無名鬼」の

村上一郎追悼号(昭和50年10月29日発行)といずれも今では貴重な冊子で

ある。以下の文章は「磁場」より。



       村上一郎さん。今日私は、あなたから娘に頂いた綿シャツを娘に

      着せ、海の見える丘に桜狩に行きました。繚乱の桜は白く煙り、私

      は一人焼酒を煽りつづけました。春の嵐に散華する桜に、鳥は啼

      き、魚たちはしずかに墨いろの泪を流涕(なが)すのに、私はあなた

      の名を呼ぶことも忘れ、赤と紺の縞の、娘のシャツのうごめきを、

      私の眸は、いつまでも追っていました。ありがとう、村上一郎さん。

         おやすみなさい。

                            出会い   岡田 哲也







岡田氏の文章に釘付けになったのは、この文章の冒頭、枕のあたりの次の

言葉であった。そこにはわたしが読んだ時に付けたラインが引かれてあった。





      --略 しかし、私達は人前で語りたがった。人に手柄を押売り

      した。つまり私達は、とりわけ私は、当時野心溢れた、申分なく

      傲慢な、いぢけた、どこにでもいるような文学青年の一人だった。

      --略








当時の青年を、自分自身を、怜悧に分析している。

いつの時代も〈文学青年〉は存在する。岡田氏はこうも書いている。

村上一郎氏との七年余の関係は、私に養生を教え、文学のかなしみを

教えて呉れた。」



この「磁場」には、いろいろなかたが追悼の文章を書いているが、歌人では

岡井隆、山中智恵子、百々登美子、馬場あき子氏らが寄せている。


1975年3月29日、文芸評論家であり、歌人でもあった村上一郎氏は、

日本刀による右頸動脈切断により自死。享年54歳であった。

氏はいま小平霊園に眠っている。






御影石に「風」と刻まれた墓碑。

お参りしたのは遠い遠い日のことである。





今年の祥月命日には、山口弘子さんの『無名鬼の妻』をこのブログで

紹介したい。

 

2017年3月21日 (火)

『葛原妙子と齋藤史』 寺島 博子  六花書林

葛原妙子と齋藤史、ともに六十代で出版した『朱霊』と『ひたくれなゐ』。

ふたりの表現者としての意識を探る書き下ろしの評論集。

「はじめに」と題された文章を読んで、身のひきしまる思いがした。

著者の寺島さんは「朔日」に所属する方で、五十代半ばであろうか。

ひそかに、地道に、書くことに専念していた5年の歳月の尊さ。

2011年から2016年上半期にかけて書き溜めたものと「あとがき」に記す。

  葛原妙子 明治40年生まれ    昭和60年(1985) 78歳没

  齋藤史   明治42年生まれ    平成14年(2002) 93歳没




  他界より眺めてあらばしづかなる的となるべきゆふぐれの水

                          葛原妙子『朱霊』昭和45年刊

  死の側より照明(てら)せばことにかがやきてひたくれなゐの生ならずやも

                          齋藤史『ひたくれなゐ』昭和51年









こうして、並べてみると「他界より」と「死の側より」の捉えかたが似ている。

その「他界」と「死の側」の言葉の重さ、価値などを実に丁寧に著者は

解きほぐしてくれる。






そういえば、妙子と史の第一歌集の高名な歌も並べてみると二人の

意識の在りようの相似が考えられなくもない。

   わがうたにわれの紋章のいまだあらずたそがれのごとくかなしみきたる

                           葛原 妙子『橙黄』昭和25年刊

   額(ぬか)の上に一輪の花の置かれしをわが世の事と思ひ居たりし

                           齋藤 史『魚歌』昭和15年刊



著者の考察が、なんともスリリングな一冊である。

                           2017年3月25日 2500円+税




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