書籍・雑誌

2017年9月17日 (日)

『ライナスの毛布』 高田ほのか  書肆侃侃房

書肆侃侃房のシリーズのユニヴェール6。

作者は2009年、作歌を始め、2015年未来短歌会入会、加藤治郎に師事。

タイトル『ライナスの毛布』に込められた思いを「あとがき」に記す。

      
      わたしは嬉しい、苦しい、悲しいなどの人間の持つ感情のなかで、

      せつない が一番好きだ。触れたいのに、どうしても触れられない

      背中……少女マンガは、いまなお手放すことが困難な、私に

      とってのライナスの毛布なのだ。

少女漫画誌史上最高発行部数255万部という数字を達成した「りぼん」

(1994年)。小学生の作者にとって「りぼん」は、ライナスの毛布として、

着実に確実に根付いてしまったのだ。

「わたしにとって短歌を詠むことは、少女マンガの主人公の気持ちを編む

作業のように思う」とも記している。



     
     ショーウインドウ越しに毎日目が合ったあの子猫の目あの目はわたし

     理由ならひとつじゃなくてキスのあと舌に残った微かな苦味

     向かい合うアクア・グレイのテーブルはやけに長くてあなたが遠い

     行きつけの森井書店の貼り紙にわたしの首は傾いたまま

     バンダナを解けば夜空にふたりきりあの日確かにあった永遠

     逢える日は一番綺麗になれるよう逆算しながら今日爪を切る

     あの人とまるきり同じシャツを着てわたしの前にゆるりと立つな

     それはもうカーテンでしたひとりずつ風を着替えて消えてゆきます

     母が買った結晶柄の靴下を雪と気づかず今日も履く父

     葉のうえに葉陰は揺れてさわさわと蔦屋書店のカバーを外す



「少女マンガの主人公の気持ち」と断らなくても、ちっとも構わない。

(Ⅰ部には、オマージュ作品も勿論あるが……)

つまり、「作者その人の生を反映している。」Ⅰ部だとしてもいいではないか。

揺れやすい、傷つきやすい少女(?)の心が素直に吐露されていると思う。


2首目、5首目、7首目など、怜悧な心も垣間見られる。

嫌いになった理由は「ひとつじゃなくて」と、判断し「あの日確かにあった

永遠」が雲散霧消することだって、人生にはある。

7首目など、命令形の小気味の良さ。「わたしの前にゆるりと立つな」だって。







その一方、手堅い歌もちらほらとある。

4首目、9首目、10首目など、生活感も窺える。(わたしの好みでもあるが。)

8首目は、笹井宏之の歌を読み込んでいるらしい痕跡を感じたりもしている。







現代短歌にまた一人、若い才能が出立(しゅったつ)した。

                                         解説 「ゴーゴーラウンド」 加藤治郎

                     2017年9月17日    1700円+税

2017年9月14日 (木)

歌集『書架をへだてて』 本間温子 青磁社

「塔」所属の第一歌集。

1999年10月から17年間の作品およそ2000首の中から473首を選び、

ほぼ編年体に収めている。






    戦争を知らない子らに戦争しか知らない子らに初日は差せる

    惑星が並んでいるよと夫が呼ぶ金、火、土星はなれて木星

    越後より届きし手紙二百余通母の歳月われらのさいげつ

    早朝の新幹線に乗りてゆくひと日死んでる母に会うため

    湯湯婆の湯はゆたんぽのかたちしてわれの足元あたためている

    図書館の書庫にいちにち感情を捨てて蔵書の除籍するなり

    三年を施設に暮らす君の家スモークツリーがふわふわ咲いて

    赤じそに赤き花咲き青じそに白き花咲く秋の日のなか

    曼殊沙華畦に遠見ゆページより顔を上げればまた曼殊沙華

    昨夜(きぞ)の訃を二十七戸に配りおり家並みうつる植田にそいて






町の図書館に25年勤め、その時の歌「本を選る父に抱かれしみどり児と

笑みかわしおり書架をへだてて」より、歌集題としている。





6首目の歌など、図書館の仕事「蔵書の除籍」というききなれない言葉が

出てくる。おそらく本を整理して処分するのであろう。

3首目は、義母即ち姑さんのことなのだが、お互いに細やかなやり取りが

あったに違いない。「母の歳月」はおのずと作者家族の歳月であり、培われて

きた交情を想像させられる。


7首目は「スモークツリー」という植物名が作品の中でうまく機能している。

煙の花のように見えるスモークツリーは別名、「煙の木」とも「霞の木」とも

呼ばれている。施設に暮らすため、空家になった家の庭に咲くスモーク

ツリーは、ふわふわと頼りない。



9首目の歌は、ちょうど曼殊沙華の咲く頃なので取り上げた。「ページより

顔を上げれば」の動作の描写が良い。


10首目、村の27戸の家々にお知らせする訃報。下の句の「家並うつる

植田にそいて」に田園風景が浮かんでくる。

歌集全体から受ける印象は、跋文で池本一郎氏が書くように「真実を生きる」

作者の生活が淡々とうたわれている。生活をだいじにして自らの立ち位置が

しっかりしている。


1首目のような社会的視野のある歌にも惹かれた。


装幀がこの歌集の温かさと知性にマッチしていて好感を抱いた。


                    2017年8月26日   2500円+税

 

2017年9月 4日 (月)

「りとむ」 2017年9月号

届いたばかりの「りとむ」を読んでいたら、あらあら不思議。

と、いうか、嬉しい発見 (?) をした。

今野寿美さんの歌の「こぼれてしまふ」の中の1首。

      焼夷弾の降るまへ銀の紙降りきうつくしかりきと語れり 聞けり

                          今野 寿美 「りとむ」9月号より

 

                           



なぜ、この歌に目が止まったのかといえば、8月22日の春日の教室で

永野雪子さんが出した歌がず〜っと気になっていたからだ。





      大空襲受けし福岡の街の空 火の粉の飛んで銀紙降りき

                          永野 雪子 8月22日詠草より


わたし自身が空襲を体験していないので、この歌の「銀紙降りき」が

わからなかったのだ。永野さんに「なんで銀紙が降ってきたの?」と

お訊ねした。でも彼女も「なんででしょうね」と言い「きれいでした」とも

言った。





今野さんの歌に触発されて、ネットで調べてみたら、「銀紙」は「アルミ箔」で

「電波妨害のために米軍が投下」したそうだ。一つ謎が解けた。

銀紙(アルミ箔)が降ったことも空襲体験者しか知らないことだ。







今年の夏はいつになく、わたしは教室の80歳以上の方々の背中を押す

意味で、「あなたがたがうたわないと戦争のことは風化してしまいますよ」と

伝えた。せめて、8月には非戦の歌を、と思う。付焼刃であろうとも、うたわ

ないよりうたった方がいい。体験者が声を挙げなければ……



今朝(9月4日)の朝日新聞の「朝日歌壇」永田和宏選の一首目の歌。

     しんじつを言えばこんなに悲しくて長崎市長の平和宣言

                           (水戸市) 中原千絵子

2017年9月 3日 (日)

歌集『風のおとうと』 松村正直  六花書林

40歳から44歳までの505首を収めた著者の第4歌集。

付箋を貼った歌はことごとく、

妻(君)、子、父、母とごく限られた人間関係をうたった歌が多くなってしまった。

著者にとってもっともだいじな家族、その家族の様相をうたった歌に哀感が

滲む。そういえば帯の文章も「歳月の濃淡のなかで、ゆらめく家族の日常、

言葉から滲み出る哀感。」と、すてきな的を得たことばであった。

    


    隣室に妻は刃物を取り出してざくりざくりと下着を切るも

    朝が来るたびに目覚めて君と会う白い皿にはパンが置かれて

    六十三個今朝は咲きたるあさがおがこの家のなかでいちばん元気

    子のためと言ってわれらがなすことのおおかたは子のためにはならず

    気軽に電話かけてきてよと父に言う掛けてくることなきを知りつつ

    叱りつけてわれの壊ししブロックを拾い集めて子の日曜日

    お母さん、お母さんと言って君は泣くわたしの方に背中を向けて

    つないでて欲しいと言われた右の手をいつ離ししか 覚めて思えり

    喪主である母を支えて立つ兄を見ており風のおとうととして

    母とともに暮らししはわずか二十年、二軒長屋に建て増しをして







1首目は、元気なころの妻であろう。古くなった下着をウエス(?)などに利用

      するために鋏を入れている。それだけなのに作者としては、

      居心地が悪いのだろう。夫と妻の緊張感が伝わってくる。「刃物」

      なんて、物騒な表現をせず「鋏」とすればいいのに。(よけいなこと

      だけどわたしは妻の味方 笑)



2首目は、「妻」でなく「君」の表記になっている。つらつら思うのだが、この

      作者が「妻」を「君」と表記している時は、妻を庇護する対象として

      みているようだ。「君」とうたった時の歌の方が優しさを感じる。

      「妻」という表記の時は単なる夫婦(?) で、〈情(じょう)〉が、

      伝わって来ないような。

            


4首目、そう、おおかたは子のためにはならない。むしろ、わたしなど後年、

     子どもから文句を言われたりした。「ぼくは、●●●音楽教室は

     行きたくなかった」などと。

7首目、8首目は、「曼殊沙華」の章の2首。

     この章は、クライマックスとでもいうべき章で、胸がドキドキして

     せつなく、悲しかった。17粍か20粍か知らないけど、母(妻)の体の

     異変を「おできのようなものだ」と子に教える作者。

     だけど、子どもだって事態の深刻さは受け止めていたことだろう。

9首目は、歌集タイトルになった歌。

      「風のおとうと」は作者自身らしい。この象徴的タイトルはどういう

      意味なのだろう。風にもいろいろあるし、台風はイヤだな。熱風や

      北風もパスしたいし、薫風とか涼風がいい。

10首目、「母とともに暮らししはわずか二十年」って、みんなそんなもの。

     高校を卒業して東京の大学に行ってしまえば、20年にも満たない。

     一緒に長く暮らさないから、労わり合えるということもありそうな……







と、いうことで、作者の歌もすごくいいけど、うたわれた対象の妻(君)を

応援したくなってしまった歌集だった。そういえば、彼女には1度だけ

遠見したことがある。

それはさておき、10首のなかに入れなかった私の好きなとっておきの

1首を紹介しよう。

     

    ねえ阿修羅まだ見ぬひとに伝えてよ今日ここにいた私のことを

                  


                          2017年9月3日  2500円+税

 

 

2017年9月 2日 (土)

『世界黄昏』 久々湊盈子歌集  砂子屋書房

2012年から、2016年まで約5年間の作品から500首ほどを

自選し、ほぼ制作順に収めている。

著者の第9歌集。

なお、歌集のタイトルの読みは、『世界黄昏(せかいこうこん)』。

    修理不能とそっけなく言われて返されぬ姉の手に二十年ありたる時計

    虎杖(いたどり)を嚙めばいきなり少女期のわれに戻りて泣きたくなりぬ

    アンダルシアの古城の庭に鈴なりの非時香菓(かくのこのみ)は酸っぱ

    く苦(にが)い

    「蜜」というおみな現われ堅物のウチの亭主の目尻を下げる

    茱萸坂(ぐみざか)をのぼればひそと立ちている小高賢に今日も会える

    気がする

    どのような成り行きにてもわたくしは兵士の母と呼ばれたくない

    まだ緑(あお)き四照花(やまぼうし)五月の日にゆれていつでも今日が

    いちばん若い

    檄も来ずまして艶書(えんしょ)も来ずなりてわが身ひとつに絢爛と秋

    狂うにも遅すぎる齢 帯締めをきつく結びてひとと逢うなり

    いそいそと出でゆく夫を見送りてわれもいそいそ三日の独居

①首目は、姉の形見となった腕時計を修理に出したのだろう。しかし、

 やんぬるかな修理が出来ないと言われてしまったのだ。



②首目は、戦後の食糧難の時代が想起される。学校の帰りに虎杖を嚙んだ

 ことなど思い出したのか ?




③首目は、スペインの旅で見かける光景。オレンジの街路樹が所によっては

  ある。誰も盗まないし、取らないのは、酸っぱくて苦いから。

  (街路樹のオレンジは観賞用と添乗員さんが云ってた。)

 

④首目は、女性の名前の「蜜」だろう。姓名が2文字のあのひと。

  大人の色気があるとかで、男性ファンが多いらしい。

  堅物の亭主といえど、目尻が下がる(笑)


⑤首目は、茱萸坂といえば小高賢というくらい高名になった。当時の

 デモを思い出し、小高賢を偲ぶ。


そして、⑥首目の歌は、この『世界黄昏』の中でわたしの最も好きな歌。

きっぱりとした下の句のことば。

「濁声(だみごえ)に大鴉は鳴けり唱和して二羽また三羽世界黄昏(こうこん)」

の歌から歌集題はとられ、世界は夜明け前とは程遠く、黄昏がますます深く

なっていく気配がしている。




⑦首目から⑩首目までの4首は、久々湊盈子の気性がそのまんま出て

いるような(勝手な思い込みでごめんなさい。)飾り気のなさがいい。

「今日がいちばん若い日」とうたい、「われもいそいそ三日の独居」なんて

素晴らしい(笑)。湿潤な歌から、一線を画するところが久々湊盈子の短歌

だろう。

                   2017年8月10日  3000円+税

2017年8月22日 (火)

連載「世界を読み、歌を詠む」 坂井 修一  『短歌往来』

短歌関係の総合誌を年間購読していて、毎月楽しみに読んでいる。

このところ各誌それぞれ特集などに工夫をこらしており、読み応えがある。

その特集のことはさておいて、わたしがこのところ愛読している連載を

本日は、紹介したい。






『短歌往来』で連載が始まった坂井修一の「世界を読み、歌を詠む」

(9月号 ③回目)である。

文章の合間合間に書かれている坂井の動静(挙動)が、なんとも楽しい。

      
       『古事記』を読むならドブロクでもよいが、『聖書』はそうはいか

      ない。ミネラルウォーター(天然水)のペットボトルを冷蔵庫から

      取り出し、これを呑みながらあれこれ思いをめぐらすことになる。

と、いった〈ト書き〉的文章をはさみつつ進行してゆく。

歌の引用は井上法子の『永遠でないほうの火』の一首に移るのだ。

      
       こういうときは、先を急いではダメ。聖書と歌集を開きっぱなしに

      して、深呼吸する。そして、ミネラルウオーターを呑む。

考えつつ書き、書きつつ考える方法なのだが、この方法で思い出すのは、

岡井隆の『茂吉の歌私記』・『茂吉の歌 夢あるいはつゆじも抄』である。

九州の辺境で書きはじめたこの書は日記を盛り込みつつ、作品の読み

込みに全力を傾けている。

しかして、坂井修一のこの連載の副題が「ー楽しみと苦しみとー」とある

のは、意味深い(?)。

9月号の結語は以下であった。

      
      風呂からあがってパジャマを着て、再び本の山の中へと戻って

     ゆく。ジンとライムジュースを冷蔵庫から出して、混ぜ合わせ、

     ため息をひとつつく。洪水の後のノアの家族と動物たちに、老いた

     船長シド・ヨーハンに、そしてこの愚かな私に乾杯!

2017年8月21日 (月)

たましひのたとへば秋のほたる哉  飯田蛇笏

たましひのたとへば秋のほたる哉  飯田蛇笏

 

        --略

        たましひたましひ、とわたしはとなえる。たましひのたとへば

        あきのほたるかな。たましひのたとへばあきのほたるかな。

        たましひのたとへばあきのほたるかな。

         何回でもとなえているうちに、句の持つ意味ははるかなもの

        になり、音やかたちのつらなりだけが、となえる舌の上に残る

        ようなこころもちになる。  --略



川上弘美の第一エッセイ集『あるようなないような』の中に収められた

「近代俳句・この一句」の章の抜き書きである。

2002年の初版を買っているからたぶん読んだ筈、なのだけど。

偶々手に取ったら、また引き込まれて読んでしまった。

と、いうのも、その文章の続きに池田澄子さんの蛍の句が引用されている。

         じゃんけんで負けて蛍に生まれたの

         --略

         じゃんけん、とわたしはふたたびとなえる。じゃんけんで

         まけてほたるにうまれたの。じゃんけんでまけてほたるに

         うまれたの。

          うまれたの、という声は、外からきこえる誰かの声である。

         たとえわたしの声でとなえていても、この句を最初にとなえた

         のは、ことなる誰かであったにちがいない。--略



川上弘美と俳句。

「俳句が好きでたまらなくなってしまった」川上弘美。

なんだか謎が解けてきた。

川上弘美の『おめでとう』(新潮文庫 平成15年)の解説を池田澄子さんが

書いているのも、そうか、そういう流れだった (? ) のかと。



cat     cat

そういえば、564ページの大冊の評論集が届いている。

「〈現在〉との批評的対話!」

生半可な精神では読めそうに、ない。



 

2017年8月17日 (木)

『まくらことばうた』 江田 浩司  北冬舎

某歌会の題詠が「枕詞のある歌」ということで、べんきょう(笑)している。


書棚を探すと『まくらことばうた』(北冬舎 2012年12月刊 1900円+税)

が目についた。栞文・日高堯子、島内景二、田野倉康一。

総歌数は666首。

いずれの歌にも「枕詞」が付いている。

いろは順に並べられており、

目次は、[い]のまくら」、[は]のまくら、[に]のまくら というふうに並んでいる。






読みながら、著者・江田浩司の熱量に舌を巻いている。

よくもまぁこれだけの枕詞をものにしたことだと。

江田浩司の一つの挑戦であり、その挑戦の成果はこの本書の読者には

ただちに伝わるだろう。



著者、江田浩司の造語的な「枕詞」はあるのだろうか。

たとえば、正岡子規が「久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは

見れど飽かぬかも」(『竹の里歌』所収)のような、「天(あめ)」に

かかる枕詞「久方の」を「アメリカ」にかけているような際どい枕詞が。

      いはそそく垂水(たるみ)の岩の月光(つきかげ)に酔(ゑ)ひ

      酔(ゑ)ひて寒きパトス燃え立つ

      いつしばのいつとしもなき夢心地 幸ひ響け春雷家族


江田さんの歌らしさを纏っている のを、最初の方から選んでみた。




と言うのも、文語で枕詞をつかった歌は、作者の個性(極端に言えば

私性まで)が消えてしまうことだ。形式としての短歌は美しいが、

聖も俗も蔓延る現代の(現在の)世の中に生きているにんげんにとって、

果たして歌としてどうなのか ? という思いも兆す。






さて、某 歌会でどんな歌が飛び出すのか大いにたのしみである。

えっ、他人事じゃあない、枕詞のある歌をつくらなくちゃ。

 

2017年8月16日 (水)

『おめでとう』 川上弘美 新潮文庫

「よるべない恋の十二章」との紹介文が裏表紙に付く。

12の恋の物語である。




川上弘美の文章は、川上弘美固有の香り(空気)を纏う。

ことに、心理描写に長けている。

〈ことば〉の人らしく、日常の何気ない会話のなかに相手の心や表情を

読み取る。

そして、自己分析をする。







      未練というからには、未練を持つ状況を考えねばならぬ。

      未練とはつまり執着、「してはならぬ」のに、つい執着してしまう

      ことだろう。                 「天上大風」より





この人は短歌に向いているかも ? と、思ったりしてしまう。

(川上さんって、俳句をしているんだったかしら ? )

              ーー略

      会えば別れがくる。人の心は変わる。愛する最中での別れの

      予感。いや予感と言っては生温(なまぬる)い必ず別れがくると

      いう確信。もっと言えば、明日の期待を持つことで次の絶望が

      約束されることへのおそれ。各編に流れるものは、愛の不確かさの

      確かさである。--略

                          「解説」 より   池田澄子





おお、なんということか。

解説を俳人の池田澄子さんが書いている。

「アマリリスあしたあたしは雨でも行く」(『思ってます』 池田澄子句集

ふらんす堂刊)

大雨でもたとえ豪雨でも逢いに行くのは(深読み)池田さんの真骨頂。

その〈愛の達人〉 ? ? の、洞察力の見事な解説には痺れる。





それにしても、川上さんって、造語というか、すてきな言葉を

この書では、編みだしている。



たとえば「公式でない恋愛」。




いまメディアを騒がしている●●も「公式でない恋愛」って、

品良く(笑)、言ってほしいものだ。





                      平成15年7月   400円+税

 

 

2017年8月15日 (火)

『薬屋のタバサ』 東 直子  新潮文庫

過去を捨てて知らない町にやってきた山崎由実。

古びた薬局の手伝いとして住み込むことになった。

そこの店主、平山タバサ。独身・身寄りなし。何を考えているのか

わからないようなワケありの人物 (?)





小さな町の、古びた薬局の、店主・タバサと来歴不明の主人公の

山崎由実が繰り広げる物語である。






歌人・東直子が2009年5月に新潮社より刊行した小説だが、

読みすすめていくうちに、くらくらとするような才能を感じた。






       一緒に暮らすとは、

       恥ずかしいことを少しずつ分け合っていくことなのだと

       思う。

      
       時間が過ぎていく。今生きている人はみな、昨日よりも

       一日分、死に近づき、今日が終われば、また、一日、

       死に近づく。そしていつか、必ず肉体は「死」という、

       たった一文字で片づけられるもので終わりを迎えるのだ。


東直子の初の小説は2006年の『長崎くんの指』。

『いとの森の家』の単行本化は、2014年10月。

ちなみに、この『いとの森の家』は、坪田譲治文学賞を受賞している。

この『いとの森の家』より、5年も前に出版されているのが

『薬屋のタバサ』なのだ。






なんで、こんなことをくだくだと記すのかといえば『薬屋のタバサ』の物語の

展開というか、プロットが素晴らしい。並の(笑)作家が考えられないような

展開なのだ。

現実と、夢と、幻のなかを、浮遊するような、展開に先を急いで読みたく

なってしまう。(移動時間はおろか、この文庫は読み終るまで手放せ

なかった、よ。)






そして、結末は……

東直子は、ただもの(笑)じゃないと、確信した。









                        解説 藤谷 治

                        平成29年8月発行  520円+税

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