書籍・雑誌

2019年8月18日 (日)

花山多佳子歌集『鳥影』 角川書店

『晴れ・風あり』以後の作品を収める。第11歌集。

1968年に「塔」に入会しているから50年以上「塔」に在籍しているベテラン。

「塔」選者でもある。

 

   めぐりみな若かりしかばめぐりみな老い人となる時は来向ふ

   布団の中にトランジスター・ラジオ持ち込みて浪花節聴きゐしはほんとにわれか

   蒸し暑きこの夕まぐれ新米に手をさし入れてしばしを居りぬ

   刑務所の面会のごとしパソコンの画面の息子と言葉を交はす

   トランプの神経衰弱の気合ひもてプリントいちまい畳にさがす

   バスタオルの柄みな淡くなりたるをたたみつつゐて秋の夜なり

   うつむける幼子の口とがりつつボタンは穴にほら、通りゆく

   はらはらと飛び立ちゆける鳥影をいくたび見しや冬の散歩に

   「見る」と宣言をして鉄柵をにぎりしめたる子は川を見る

   左眼を手もて覆ひて読みゆくに脳はんぶんで読む感じせり

 

 

1首目、そういうことなんですよ。50年前はみんな若かった。

    その若かった「めぐりみな」も「老い人となる時」は、抗えない。

    ーー「芸術は長く人生は短し」(ヒポクラテス)ーー

2首目、「ほんとにわれ」なんですよ。自分でも自分のことが度し難い(笑)

    --「三たびわが身をかえりみる」(論語)ーー

3首目、忘我のひととき、至福のとき。新米はひゃっとして気持ちいいのかしら?

    ーー「物は試し」ーー

4首目、テレビのドラマなどで刑務所の面会などが放映されている。

    ただちにその場面が浮かんできたのだろう。母親である作者とカナダに居る息子が

    パソコン上で言葉を交わすことが出来る時代になったのだ。

5首目、いちまいのプリントとはいえ、気合を入れなければ出てこない。

    --「一念岩をも徹す」ーー

6首目、結句の「秋の夜なり」がまさに打って付け。夏の間、何度も何度も洗ったバスタオルは

    陽に晒され、柄の色が落ちて淡くなってしまっている。生活の草臥れ感もただよう。

    --「明日は明日の風が吹く」ーー

7首目、ばあばが手を出したらいけん。

    --「初心忘るべからず」

8首目、歌集題になった歌。「雀鷂(つみ)とふ小さな鷹の白き腹みあげてゐたり

    五月の梢(うれ)に」の歌も好きだな。「あとがき」によると、雀鷂(つみ)は、

    カラスよりも弱い鷹だそうだ。

9首目、宣言をするところがカワユイ。わが愚息も幼子のころは何をするにしても

    「宣言」してたな。たとえば「オシッコ」とか…

10首目、2首目、3首目もそうだが、これぞまさしく花山多佳子の歌だ。

    この10首目など、なにやら哲学的でさえある。脳はんぶんで読んだら、あとの半分は

    明日つかえる?

    --「濡れ手で粟」ーー

 

と、まぁ、「ことわざの読本」を傍らに読み終えた『鳥影』。

不謹慎でごめんなさい。花山さんの「大根」の歌が強烈だったので、脳裏に刻み込まれ、

ついつい、そのような路線の歌ばかりを挙げてしまいたくなって、困る。ほんとうに困る。

 

 

              2019年7月25日 初版発行

               塔21世紀叢書第353篇

                 2600円+税

 

2019年8月17日 (土)

歌集『微風域』門脇篤史 現代短歌社

「風に舞ふ付箋紙」にて、第六回現代短歌社賞を受賞した門脇篤史さんの第一歌集。

歌集のタイトルの文字がゴチックではなく、細字なのが特徴的。

帯も「あとがき」も無い。

帯があれば「第六回現代短歌社賞受賞」作品を含むと惹句を付けたであろうに。

潔いというか、潔癖なのかしらん(笑)

 

   側溝に入れなかつた雨たちがどうしやうもなく街をさまよふ

   置き傘をときどき使ふ傘であることを忘れてしまはぬやうに

   来年の夏がきちんと来るやうに使い古した付箋を貼りつ

   いつからか蛍光灯は間引かれて我らを淡くあはく照らせり

   鎮魂の儀式のごとく食器から値札シールをひたすらに剥ぐ

   権力の小指あたりに我はゐてひねもす朱肉の朱に汚れをり

   アヲハタのジャムの小瓶に詰めてゆく自家製ジャムのたしかなる熱

   故郷との距離思ひをりひとり立つコイン精米機の薄明かり

   子をなさぬ理由をけふも問はれたり 梅雨の晴れ間に散歩に行かう

   二分半ひかりを浴みてパンの上(へ)に正方形のとろけるチーズ

   故郷から届く馬鈴薯いくつかは鍬の刺さりし跡を残して

   今はなき臨終図鑑の上巻を誰に貸したか思ひ出さない

 

門脇さんの作品を纏めて読んだのは多分「はつか」(2017年1月22日 発行)だったと

思う。旧仮名遣いに先ず注目し、端正な歌に惹かれた。若い作者だと思ったが、歌が

騒がしくない。沈静された佇まいを感じた。(自分の中に確たるものを持っている

ひととお見受けした。)

 

拙ブログ「暦日夕焼け通信」(2017年6月12日)で、「はつか」の門脇さんの作品の感想を

記しているのをこのたび読み返してみた。チェックした歌は殆ど変わっていない。

ただ、今だったら6首目の「権力の小指あたりに我はゐてひねもす朱肉の朱に汚れをり」は、

10首の中だったら外していたと思う。それは「権力の小指あたりに」の部分がやはり気に

なるのだ。これはわたしの指向が2年経過して変わったのだと思いたい。

 

2首目、3首目はともに「やうに」の比喩があるのだが、言い得ていると思う。

作者の生真面目さが良いかたちで出ている。

 

10首目の「とろけるチーズ」の歌は「正方形」が際立つ。わたしなども経験しているのに歌には

出来ず、というより鈍感なんだね。

   

12首目の歌、結句の「思ひ出さない」に門脇さんの大仰に言えば信念がある。

「思ひ出せない」のではなく、思い出したくないのだ。思い出しても結局戻って来ない

(返してくれない)ものは、思い出さないほうがいいのだ。精神の安定のために(笑)

 

ともあれ『微風域』の世界は貴重だ。

この精神世界は貴重だし、保ち続けてほしい。

 

ところで、門脇さんって、島根県生まれなんだ。

わたしの父方の故郷が島根県邑智郡川本町。(よけいなお喋り(笑))

父は島根県から大分県の跡取り娘のうちに養子に来たのだ。

今でもあの「江の川」が時々目に浮かんでくる。

 

              栞 人間の「生」      楠 誓英

                絶望的な日常のなかで  阿木津 英

                ジャムとボイルドエッグ 内藤 明

                   2019年8月11日

                    2500円+税 

 

 

               

   

2019年8月16日 (金)

歌集『古酒騒乱』坂井修一 角川書店

2015年春から2017年春までの作品から、423首を選んで収めた第11歌集。

著者は、2015年5月より「かりん」編集人となっている。

「(略)焼酎、ワイン、泡盛、日本酒と思いのほかお酒の歌が多く(略)」と、

あとがきに記している。

 

  いきのこるこの苦しさや春ふかくスマートフォンがまだ鳴きやまぬ

  終はらない書いても書いても らつきようが夜中にひかるわたしの机

  けふこそは仮病で退かめ ねがへども飛行船さつきから動かない

  去りがたきページよここに與謝野晶子老いて売文の悲しみを告ぐ

  こもれびよ先生になつて二十年無芸小食笑はれながら

  いたづらに阿呆のふりして笑止よと『亀のピカソ』をいひしひとあり

  ふうとつく五十七歳息ふかし付箋の先がまだ揺れてゐる

  おとほしのちりめんじやこのちさきやま黒きてんてんの目があり悲し

  寒梅の二合、久保田の一合をのみどに送るわれもゆふやけ

  わがうたの詠み人知らずとなる日来よつばさをかへす宇陀のつばめよ

  この亀はこころの旅をしてゐるか石につまづき石のふりする

  かいつぶりなぜ子を持つや子のわれはちちはは捨てて歌なぞ詠むに

 

 

黄金千貫、剣菱、若山牧水、赤霧、黒霧、ちらんほたる、泡盛、等々の歌があるにはあるが…

メラム・カクテル、カベルネ、デキャンタ、チェダー、ゴルゴンゾーラ、サンジョベーゼと

なると、わたしにはお手あげだ。

結局、お酒の歌は9首目の1首のみあげた

 

そういえば坂井さんが『短歌往来』で連載していた「世界を読み、歌を詠む」では

「お酒の素人」などと、ぼやき?ながらも、いろいろな国のお酒を紹介して、

その飲み方まで伝授(笑)していた。

 

   (略)酒の名はアグアルディエンテ(舌を噛みそうな名前だ)。サトウキビの蒸留酒

    である。これを切り子ガラスの杯に入れて、ストレートでひと口やるーーアグアル

    ディエンテはラム酒の仲間だが、ふつうのラムよりも香りが強く甘い感じ。

                       『短歌往来』2019年4月号より

 

   (略)冷蔵庫からグランクリュを出して、グラス三分の一ほど注ぐ。ほんの少しだけ

    黄緑がかった色合い。柑橘系の香り。シャルドネの冴えた味わい。ミネラル感。(略)

                       『短歌往来』2018年11月号より

 

と、まぁその回(著書)に合うような、お酒を選び、味わいながら、読み進めてゆくスタイルは

大人の文章の感じがして、とても好きだった。

さてさて12首引用したので少しでも鑑賞してみたい。

 

2首目の「らつきよう」はお酒のアテなのかしら。「書いても書いても」に合う。

3首目、仮病で早退したいのだけど、あの飛行船のように動けない。

6首目は前歌集の『亀のピカソ』を誰かが揶揄って「いたづらに阿呆のふりして」と言った

   のだろう。少しは心当たりがあったのだろうか?

9首目の結句「われもゆふやけ」がいい。この夕焼けは気持ちいい夕焼けだ。

10首目、せつなる願いでもあろう。

12首目の歌の結句が気になって仕方なかった。「歌なぞ詠むに」とある。

   漢字にすると「歌謎」と読めないこともない。

   単純に「歌など詠むに」の、「ど」ではダメなのかな、と。

   広辞苑で調べてみると、「何(な)ぞ」ナニソの転。何であるか。

   どうして。なぜ。なんという。どんな。の意とある。

   誤植かなぁと早とちりしたけど、そんなことはなかった先生は(笑)

 

 

                       2019年7月25日

                       かりん叢書第348篇

                       2600円+税

 

 

 

 

 

 

  

2019年7月30日 (火)

「水甕」2019年8月号 水甕社

今号には「創刊百年の結社誌が知る検閲の実際」が掲載されている。

この初出は「現代短歌」の2016年10月号。「現代短歌」編集長の諒解を得ての

転載らしい。これが実に読み応えがある。

吉川宏志さんが、春日真木子さんのご自宅にお邪魔してのインタビュー。

 

  戦争末期、空襲はあるし、印刷所は焼けるし、用紙は削減されるし、

  父(松田常憲・真木子さんの父)が「潔くやめませんか」と尾上柴舟に言ったら、

  「いさぎ悪く続けよう」とおっしゃった。(略)

 (略)駄洒落の名手ですから「条件(常憲)がいいから」と言われていたそうです。

 

かくして「いさぎ悪く続け」た結果の創刊100年である。

春日さんの語る検閲のことは微に入り細に入りで、ここに書き尽くせないが、

戦前の検閲と戦後の検閲の違いなども具体的に語っている。

そして、検閲の結果、掲載するべき短歌を削除される。

歌会を開くと特攻が来る‥‥なんて、信じられないようなことばかりだ。

 

   歌人がどのように戦時中に抵抗したかを学ぶことが、いま大切なのかも

   しれません。

 

春日さんのことばは、戦中・戦後を生きてきたひとの、体験者の言葉としても尊い。

このインタビュー、是非お読みくだされ。

同号には「斎藤茂吉短歌文学賞」贈呈式での春日真木子さんの受賞の挨拶も掲載されている。

 

   (略)私は九十歳を前に、すんなり老いに入って行きたくなかったのです。

    夕日だって明るく燃えて落ちるではありませんか。あれは明日また燃えるという

    当てがあるからだと思うのです。ですから私は自分の衰えを見せまいと思って

    厳しく老いを閉じたのでございます。(略)

 

 

ここまで写して泣きたくなってしまった。

春日さんの年齢まで生きるにはまだ15年もある。なのになんだろう、わたしのこの弱気は‥‥

こんなすてきな挨拶をなさる春日真木子さん、あなたの百分の一でもいいエネルギーが欲しい。

 

 

☆    ☆    ☆

帰宅すると、ベランダのゴーヤが黄熟していた。

今日は身も心も疲れている。

悲しい。

2019年7月29日 (月)

[ポエジー21] 『空間』生沼義朗 北冬舎

2004年から2017年に制作された356首を収める、著者の第三歌集。

「短歌人」編集委員。

 

  生者は青の、死者はグレイのストレッチャーで運ばれておりそれぞれの室に

  感覚は感情に支配されるゆえ昨日濃い水、今日薄い水

  外は雨。とおくに今井美樹の歌聞こえるオフィスは虹のごとしも

  「夫の川」という誤植あり、妻が殺した夫の死体が川を流れる

  家族とは神話だったか、おりおりに思うは一澤帆布のことぞ

  振込をされればただちに固定費は引かれ放銃(フリコミ)しているごとし

  神も仏もいなくなったと思う頃、門の向こうに軍神はいる

  ひと駅の間に「死ねや」が十回も出てくる会話を隣席に聴く

  生活(たつき)から人生までもこじらせる日々やりくりし一つ年とる

  武田百合子が沢田研二(ジュリー)讃える随筆を妻の寝(やす)めるかたわらに読む

 

アトランダムに10首抄出してみた。

雑多な、それでいて、著者の指向(嗜好)するものが伝わってくる。

洒落や諧謔を意図して作った歌では、ないだろう。

著者はいたって真面目なのだ。

 

3首目の「今井美樹」。そういえば大辻隆弘さんの歌に「今井美樹」を詠み込んだ1首が

あった。「あさかげの今井美樹的東京を‥‥」。今井美樹って短歌に馴染む?

4首目、「天」の誤植の「夫」。そこからの発想が「夫の死体」(笑)尋常じゃない。

5首目、「一澤帆布」に発想を飛ばすところがスゴイ。

7首目の結句に「軍神」を持ってくるあたり、テクニカル。

8首目、耳を欹てて聴いたいたのかしら。(笑)

 

と、いうことで感想にもならないような…

 

        栞 西村美佐子 空間という場所

          斉藤斎藤 あなたはだんだん好きになる

          2019年6月30日 初版発行

           定価 1400円+税

 

 

☆    ☆    ☆

夕焼けを見ようとベランダに出たら、夕顔の花が一つ咲いていた。

今夏はじめての夕顔の花。

今朝、水遣りの時に3つ蕾があることは知っていたのだが、その1つが咲いたのだ。

これだと明日も咲きそう。うれしい。

 

  

2019年7月 4日 (木)

「本の旅人」休刊号 №285 角川書店

あらら、なんとしたことか。

「本の旅人」が休刊になるのだって。

小林順編集長が「休刊に寄せて」の一文を巻頭に記している。

「別媒体への移行」だって。

「別媒体への移行」って、そりゃあないよと思う。

 

   PR機能は文芸情報サイト「カドブン」に移り、連載媒体としての

   機能は「小説 野生時代」および新しく立ち上がる電子雑誌

   「カドブンノベル」に移行します。

 

 

第一、わたしは梯久美子さんの「サガレン紀行」が読めなくなるのが口惜しい。

「小説 野生時代」8月号でお読みいただけます、なんて告知しているけど、

買わないと読めないよ~

 

そして、酒井順子さんの「鉄道無常」は、電子雑誌の「カドブンノベル」創刊号に

移行だって。こちらはなおのこと承服できない(笑)

「紙媒体」が「旧(ふる)い媒体」などとは、思っていないし、わたしは思いたくない。

 

 

285号まで続いた「本の旅人」が休刊なんて、信じられない。

あ~あ、なんとしたことか。

高齢者を置き去りにして……

  (置き去りにされてしまった(泣))

 

 

2019年6月30日 (日)

『恒成美代子歌集』現代短歌文庫 第144回配本 砂子屋書房

目次

『ひかり凪』(全篇)

『夢の器』(抄)

『ゆめあはせ』(抄)

歌論・エッセイ  竹山 広

         江口章子

         映画「カミ-ユ・クロ-デル」

         鷹女から蕪村へ

         文明の歌・隆の歌

         にがいあそび

         歌碑を訪ねて

         炭坑(ヤマ)の語り部

         時代の危機をうたう


解説      イノセント・ナルシシズム---歌集『ひかり凪』評  大辻 隆弘

        かうべをあげよ--------歌集『ひかり凪』評  久々湊盈子

        花のむこうに---------歌集『夢の器』評   小島ゆかり

        刻(とき)の旅--------歌集『ゆめあはせ』評 花田 俊典 

 

                      2019年5月18日 初版発行

                          1500円+税

 

 

☆    ☆    ☆

以下のかたから評を頂いています。ありがとうございました。

 

 

   母と飲む葛湯の甘さたとふれば〈鳶が鳶生む〉こともまた可(よ)し

                                                      『夢の器』「この世の端」から

 

    (略)調和をとるという点で「こともまた可(よ)し」は絶妙ですよね。

    良の字ではなく可、鷹を産んだ方がほんとは良いだろうけどこれもまた

           エエんや、という主体(子)の肯定し過ぎない自己肯定の絶妙さ。

           「葛湯」を飲む体調の優れない主体の様も、強い人ではなくて弱ったら

           「葛湯」に頼るくらいに平凡、その状況の設定もいいですよ。母も一緒に

            飲んでいるから、母も子と同じく体調が悪いのかな。それが仲睦まじく

            微笑ましくて。………上手いなあ。

                    (志田高ばここ)さん、より。

 

   ひるがへり咲く花水木いつさいのことは忘れてかうべをあげよ

   失ひてふたたびわれに戻りこし心ならずや頬うづむれば

                   『ひかり凪』「水上公園」から

 

    (略)花水木は永続性を象徴する。それは、忘れ続け、戻り続ける思いの

              連鎖だ。断ちきられるからこそ生まれる永続性。断ちきられ、断ちきり、

              そうすることで忘れていたはずの感情が復帰する。それは、同じ対象に

              向かってではない。その対象が変わることで、新たに生まれる感情なの

             だ。それは、あの時に感じた心の動きに似ている。ボクらはその思いが、

             思いの 連鎖であることに気づく。とまどいながら、ためらいながら、

             だが、高揚する心は止まらない。新であり鮮である思いは、かつての

            「私」を失うように留める。それは、例えば「あなた」への思いかもし

             れない。だから、それは創作者としての「私」の、生活者としての「私」

             の齟齬としても表れる。だが、これは、かすかな、かそけき齟齬なのだ。

           (略)               

                                                     (ブログ「パオと高床」)より

 

    

2019年6月29日 (土)

『いくつもの週末』江國香織 集英社文庫

1997年10月、世界文化社より刊行されたものの文庫化。

文庫になったのが2001年だから、それからにしてももう20年近くになる。

著者・江國香織さんが結婚し、その新婚生活?のエッセイ集。

とは言え、エッセイと短篇小説の中間みたいな感じ?

 

江國さんの繊細な、それでいて情熱的な、そして情動のおもむくままの日々が

綴られている。

カワイイひと。しかし、こういう女性を妻にすると男の人はシンドイだろうな、

とも思ったりする。

 

      私たちはいくつもの週末を一緒にすごして結婚した。いつも週末みたいな

      人生ならいいのに、と。心から思う。でもほんとうは知っているのだ。いつも

      週末だったら、私たちはまちがいなく木端微塵だ。(略)「月曜日」

 

      誰かと生活を共有するときのディテイル、そのわずらわしさ、その豊かさ。

      一人が二人になることで、全然ちがう目で世界をみられるということ。「色」

                                 

      どうして結婚したのかとよく訊かれるが、私は、自分用の男のひとが

      ほしかったのかもしれない。(略)    「放浪者だったころ」

      

「旅行にいってくる」と江國さんが言うと「じゃあ、ごはんは?」と訊ねた夫サン。

その手の話はよく聞く。まぁ、結婚何十年もすると当然のように男の人は妻に要求するらしい。

先だっては、白内障手術で入院する妻に対して「俺のごはんはどうするの?」と言った夫がいたらしい。

そんなことくらいでキリキリしていたら身がもたない。(笑)

 

それは兎も角、20年後の江國夫妻の日常が知りたい。

どうなっているのだろうか。

 

                                                 解説 井上 荒野

                 2015年9月12日 第23刷

                   420円+税

 

       

2019年6月28日 (金)

「語らざるものたちの言葉を引き受けて」 『図書』2019年6月号

岩波書店の『図書』6月号の対談は読み応えがあった。

梯久美子さんと若松英輔氏のお二人が「誰を書くか、いつ書くか」について語っている。

その中で梯さんは『狂うひと』を書くことになった動機を「写真を見て惹かれたのが

最初です。」と応えている。

若松氏の言葉の数々がビンビン胸に迫ってくる。

 

    (略)文字は過ぎ去ってしまうであろうかけがえのない出来事を

       この世に定着させるために、ある力がわれわれに与えたのだと。

 

    (略)無知は許されるが、欺きはいけないと思っています。

 

    (略)現代では、書き手が書いたものが完成形で、それをどれだけ正確に

       理解するかが読み手の仕事だと思われがちですが、ほんとうは書き手

                   すら気がつかなかったこと、もしくは書き手が深層意識でとらえなが

                   らも意識できなかったことを読み手が新しく求めていくのが、「読む」

                   ということです。

 

 

上記は全て詩人・評論家である若松氏の発言であるが、ことに赤字部分は「短歌の

読み」についてもいえることではないだろうか。短歌作者がその作品で「深層意識

でとらえながらも意識できなかったこと」を読み手が求めるというのは、難しいこ

とのようだが、そうあってほしいし、そうありたいものだ。

 

若松氏はこうも語っている。「詩を書いた人が詩人ですよ。厳密に言うと、書いて

いるときに詩人になる。」と。ゆえに、わたしの独言だが、短歌に置き換えると

「短歌を書いた人が歌人ですよ。厳密に言うと、書いているときに歌人になる。」

なんて。甘いかなぁ(笑)

 

 

☆    ☆    ☆

この『図書』の同号に、文芸評論家の加藤典洋氏の「私のこと」(その5  新しい

要素が掲載されていたけど、絶筆かしら? 氏は5月16日に71歳でお亡くなりに

なられている。哀悼。

 

 

2019年6月24日 (月)

歌集『夏燕』中西由起子 ながらみ書房 

現代女性歌人叢書21。「心の花」に所属の第三歌集。

 

   子を連れた娘が駅にわれを待つゴム一本に髪を束ねて

   着るものはどうでもよくて穿き通すグレーのスカート制服めきぬ

   万葉集巻五のなかば来て匂う三十二本並ぶしら梅

   今日の雨冷たく降りて鳥籠へみずから戻るインコと私

   立秋の伸び放題の藤の蔓 吐く息大事吸う息大事

   遺言書自分史戒名ととのえて酸素マスクに霧を吐く人

   美酒・男子(なんし)・うましき歌を伴いて巻五に咲ける白梅の花

   青空に昔のわれが棲んでいて時間は前にゆくのみならず

   キッチンのボールに二個の茄子泳ぎ何か覚束なき五月尽

   わたくしが少年ならば泣くだろう晩夏の来ている橋梁の下


元号が「平成」から「令和」になったとたん、『万葉集』が持て囃されている。

書店に行けば万葉集関係の本がずらり平積みにされている。

そして、太宰府には全国津々浦々からの観光客で日々賑わっているそうだ。

 

中西さんの3首目、7首目の歌は、「令和」やそれらに纏わる諸々とはいっさい

関係なく、即ち平成の作品である。そのことにわたしは大いに気をよくしている。

新元号が決まった途端、「巻五」のことをうたうのは容易いかもしれない。

 

中西さんの歌は、いつも平常心で素のままの姿である。

それは1首目の下句の娘さんを描写した「ゴム一本に髪を束ねて」や、2首目の

「着るものはどうでもよくて」のような無頓着振りに窺える。(そこが好き。)

 

5首目の下句「吐く息大事吸う息大事」、そして8首目の下の句の「時間は前にゆく

のみならず」という思索など、ふわふわと生きている人は気付かない。(あヽおまへは

何をして来たのだと……中也風にわたしは私に呟く)

 

歌集題になった歌をあげて、本集の紹介は終わり。

 

    夏燕ひとたび行けばもう来ずと思う駅舎を低く飛びおり

 

 

                令和元年五月一日発行

                  2500円+税

 

 

 

 

 

   

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