書籍・雑誌

2017年3月26日 (日)

「磁場」 臨時創刊 村上一郎追悼特集号

サクラの季節になると村上一郎氏のことが頭をよぎる。

ことしはことに。




それというのも、山口弘子さんの『無名鬼の妻』(作品社)が届いたため

でもある。この書を読む傍ら、書棚から引っぱり出して、追悼特集号を

予習(復習)みたいに読んでいる。






「磁場」の村上一郎追悼特集号(昭和50年5月25日発行)、「無名鬼」の

村上一郎追悼号(昭和50年10月29日発行)といずれも今では貴重な冊子で

ある。以下の文章は「磁場」より。



       村上一郎さん。今日私は、あなたから娘に頂いた綿シャツを娘に

      着せ、海の見える丘に桜狩に行きました。繚乱の桜は白く煙り、私

      は一人焼酒を煽りつづけました。春の嵐に散華する桜に、鳥は啼

      き、魚たちはしずかに墨いろの泪を流涕(なが)すのに、私はあなた

      の名を呼ぶことも忘れ、赤と紺の縞の、娘のシャツのうごめきを、

      私の眸は、いつまでも追っていました。ありがとう、村上一郎さん。

         おやすみなさい。

                            出会い   岡田 哲也







岡田氏の文章に釘付けになったのは、この文章の冒頭、枕のあたりの次の

言葉であった。そこにはわたしが読んだ時に付けたラインが引かれてあった。





      --略 しかし、私達は人前で語りたがった。人に手柄を押売り

      した。つまり私達は、とりわけ私は、当時野心溢れた、申分なく

      傲慢な、いぢけた、どこにでもいるような文学青年の一人だった。

      --略








当時の青年を、自分自身を、怜悧に分析している。

いつの時代も〈文学青年〉は存在する。岡田氏はこうも書いている。

村上一郎氏との七年余の関係は、私に養生を教え、文学のかなしみを

教えて呉れた。」



この「磁場」には、いろいろなかたが追悼の文章を書いているが、歌人では

岡井隆、山中智恵子、百々登美子、馬場あき子氏らが寄せている。


1975年3月29日、文芸評論家であり、歌人でもあった村上一郎氏は、

日本刀による右頸動脈切断により自死。享年54歳であった。

氏はいま小平霊園に眠っている。






御影石に「風」と刻まれた墓碑。

お参りしたのは遠い遠い日のことである。





今年の祥月命日には、山口弘子さんの『無名鬼の妻』をこのブログで

紹介したい。

 

2017年3月21日 (火)

『葛原妙子と齋藤史』 寺島 博子  六花書林

葛原妙子と齋藤史、ともに六十代で出版した『朱霊』と『ひたくれなゐ』。

ふたりの表現者としての意識を探る書き下ろしの評論集。

「はじめに」と題された文章を読んで、身のひきしまる思いがした。

著者の寺島さんは「朔日」に所属する方で、五十代半ばであろうか。

ひそかに、地道に、書くことに専念していた5年の歳月の尊さ。

2011年から2016年上半期にかけて書き溜めたものと「あとがき」に記す。

  葛原妙子 明治40年生まれ    昭和60年(1985) 78歳没

  齋藤史   明治42年生まれ    平成14年(2002) 93歳没




  他界より眺めてあらばしづかなる的となるべきゆふぐれの水

                          葛原妙子『朱霊』昭和45年刊

  死の側より照明(てら)せばことにかがやきてひたくれなゐの生ならずやも

                          齋藤史『ひたくれなゐ』昭和51年









こうして、並べてみると「他界より」と「死の側より」の捉えかたが似ている。

その「他界」と「死の側」の言葉の重さ、価値などを実に丁寧に著者は

解きほぐしてくれる。






そういえば、妙子と史の第一歌集の高名な歌も並べてみると二人の

意識の在りようの相似が考えられなくもない。

   わがうたにわれの紋章のいまだあらずたそがれのごとくかなしみきたる

                           葛原 妙子『橙黄』昭和25年刊

   額(ぬか)の上に一輪の花の置かれしをわが世の事と思ひ居たりし

                           齋藤 史『魚歌』昭和15年刊



著者の考察が、なんともスリリングな一冊である。

                           2017年3月25日 2500円+税




2017年3月19日 (日)

詩集『若葉のうた』 金子光晴  勁草書房

「孫娘・その名は若葉」の副題の付いた詩集。

       --略 いくたびもおもふやうに、孫へのいとほしさは、別離の

       いそがしさのために先手を奪(と)られて、思慮をはづれた溺愛と

       なる。他人(ひと)ごととしては、片腹痛くみてすごしてきたことが、

       じぶんのこととなると、平静のつもりで、かいくれ目安のつかない

       始末になりがちである。ーー略

                              詩集のあとがき

金子光晴の手放しの孫・溺愛ぶりが1冊の詩集に収められている。

「年若い人には、縁のない本だ。」と醒めた分析もしている。






それは、それとして、この詩集の最後の方に「小山哲之輔におくる。」として、

「一対」という詩が収められている。

その詩の終わりの方の四連が印象深い。



        愛情とは、からだとからだをよせて

       さむさをあたためあふことなのだ。


        それ以上のなにごとでなくても、

       それだけでも充分すぎるではないか。


昨日、一箱古本市とやらを覗いて買った1冊。

10円なんて、あまりにも可哀想な値段ではないか。

この詩集のことをブログに載せることによって、少しはお弔いができたかな。

                               昭和42年4月20日発行 








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偶々、朝日新聞の昨日、3月18日の「折々のことば」(鷲田清一)は、

文月悠光(ふづき・ゆみ)の詩集「洗礼ダイアリー」をとりあげていた。







       男の人に触られると傷つくものだと思っていた。

       抱きしめられて安心するなんて知らなかった。



  

     




       

2017年3月17日 (金)

「特集 島尾敏雄生誕100年 ミホ没後10年」  脈 MYAKU 2017・2

表紙は島尾敏雄とミホの写真。写真の背景はどこかの市場みたい。

お店の看板にTEL 54-×××× の番号が見える。敏雄は大きなボストン

バッグを持って、毛糸の帽子を被っている。

ミホは着物姿で、眼鏡をかけ、花鉢らしきものを抱えている。

仲の良いごくごく普通の中年の夫婦に見える。

写真からすると昭和50年代であろうか?





目次を見ると18名の方々が130ページにわたり、敏雄・ミホに関する

文章を書いている。

       おかあさんの謎          島尾 伸三

       死を生きた人            前田 速夫

       『死の棘』煉獄からヤポネシア論への恩寵的大反転

                           松本 輝夫

       『死の棘』再読のための覚書  坂口 博

       刹那の一瞥 ーー島尾 敏雄  内田 聖子

                                    以下 略 



巻頭の島尾伸三氏は島尾夫妻の長男。(『死の棘』の中の名前は、伸一)

この本が思いがけなくも届き、浮足立って読み始めたわたしの脳天を、

ぐわ~んと直撃するような筆致であった。






        あんなにぼくや妹に失礼極まりないことをやっておきながら、

       おとうさんとおかあさんは死んでからも、生前そうであったように

       ぼくのお金や精神や肉体を奴隷のようにこき使います。いいえ、

       そんなことが負担になっている訳ではありません。彼らはまだ

       死んでいないかのようです。


        哲学も文学も科学も、毎日を穏やかに生きるものには迷惑

       なのです。彼らは言葉を支える嘘に鈍感で、思い込みを表現と

       しているらしいのです。ーー略



二人の小説家が両親だった故のまこと率直な思いであろう。

肉親という〈愛〉に裏打ちされたことばながら、なんだかせつない。

ところで、今回この書を通読したことによって、以下の疑問が……

 

       ①ミホが衝撃を受けた敏雄の日記の17文字とは?

        わたしは俳句かと思ったが、前田速夫氏は「いくら十七文字

        だからといって、俳句などであるはずがない。」と書いている。

        その根拠は?

    

       ②あれだけ記憶力の良いミホが17文字の言葉を覚えていない

        だろうか。或いは、その言葉が記された日記はミホによって、

        廃棄されてしまったのだろうか。(ほんとうに17文字だったのか)

        (その17文字を封印してしまったのは、なぜ?)



       ③玄関に投げ込まれていたメモや電報は、女・千佳子が出したも

        のか、ミホが女になりかわって出し敏雄を試していたのか、

        或いは、敏雄自身が書いたのか?

       ④『狂うひと 「死の棘」の妻・島尾ミホ』の著者、梯久美子さんは、

        上記の②③も曖昧なままだが、それは意図したものではなく、

        答えが見出せなかったのか?







坂口博氏の文章「『死の棘』再読のための覚書」では、③のことについて、




       梯は、「いったい誰が書いたのかは、永遠にこの作品の謎として

       残ることになるのだろう」と、評論家ふうにまとめるが、作品

       『死の棘』を読み解くにあたっては、どれかに態度決定しない

       ことには先へ進めない。--略







                        定価 1200円+税   2017年2月25日発行

               発行所 脈発行所

               編集・発行 比嘉加津夫

 

 

 

2017年3月16日 (木)

高野公彦インタビュー「ぼくの細道うたの道」

「歌壇」の連載インタビューを毎月たのしみにしている。

聞き手は栗木京子さん。

4月号は第11回で、氏の4冊の本『うたの回廊』(柊書房)・『わが秀歌鑑賞』

(角川学芸出版)・『わが心の歌』(柊書房)・『短歌練習帳』(本阿弥書店)に

触れて話を進めている。

その中で『短歌練習帳』の「動詞の数は少なく」の話に注目した。

歌会やカルチャー教室などで交わされる「動詞が多すぎる」の言葉。

その取扱い方?というか、動詞を名詞化する方法は面白い。

「いい歌の動詞は一首平均二・八六」など、有意義な話であった。







「歌会では歌の批評だけやれ、無駄話はするな」の話は、以下のごとく。

       高野

       三か月に一度くらい、批評が始まる前に

       「前にも何度か言ってますが、ある歌を批評する場合、例えば

       犬の散歩している歌を採った時に、私も犬が好きで、私の飼って

       いる犬は〇〇で、何年前から飼い始め、私も近所を散歩して

       ますとか、そういう話はやめてくれ、歌の批評だけやってください」

       ということを言ってます。そのくらい無駄話が多い。


きびしくも面白い話が満載であった。

この対談の中で語られていた、「選者派遣制度」。

「コスモス」や「塔」の場合を知り、わが結社「未来」はどうなのかと、

思わざるを得なかった。




聞き手の栗木さんの絶妙な問いかけ、答える高野氏の真摯な答えがいい。










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昨日『死の棘』(島尾敏雄)を読了。

島尾夫妻の子どもの伸一・マヤの二人。

夫婦の日も夜もおかぬ凄絶な諍いを幼い二人が言う。

「もう、カテイノジジョウをしないでください」と。






一昨日と昨日、2日続けて外出。

白木蓮・雪柳・辛夷の花と、白い花ばかりが目についた。

風はまだ冷たいが、あと1週間もすればさくらの開花の便りが

聞けるかもしれない。



2017年3月12日 (日)

『狂うひと』 梯久美子 新潮社

〈「死の棘」の妻・島尾ミホ〉の副題の付いた評伝。

この書は読売文学賞を受賞した。

そして、8日に発表された第67回芸術選奨の文部科学大臣賞をこの書に

よって、評論部門で受賞している。(ちなみに歌人の小島ゆかりさんは、

歌集『馬上』で同賞の文学部門で受賞。)

巻末には「死の棘」の第一章から第十二章までのあらすじを掲載。

そして、島尾ミホ・敏雄の年譜が添えられている。

666ページの大冊で、優に単行本3冊分ほどの厚さである。

取材開始から11年をかけて書かれた評伝は、奄美に20回近く訪れたと

「謝辞」に記す。




島尾敏雄の『死の棘』は、精神に異常をきたした妻を看取る病妻ものとしての

評価?が高いが、著者は敏雄・ミホのそれぞれの日記や手紙、草稿や

ノート、メモのたぐいまで調べ、追及・考察している。


その筆致に魅了され。先へ先へと読みたくなり、この書を読んでいる間は、

至福の時であった。(17文字の謎? 17文字とは俳句?)

それにしても、モノカキの業(ごう)を背負っていたのは、やはり敏雄の方か?

「震災も戦争も自分をすり抜けていった」という島尾にとって、突破口と

いうか、現状に楔を打つような何かを欲していたのだろうか?


ところで、

ミホさんが短歌を作っていたとは……

                      2016年10月30日発行 3000円+税



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2015年の7月はじめ、加計呂麻島を訪れた。

島尾敏雄の足跡を辿る旅でもあったが、文学碑、特攻艇震洋基地跡などを

見て、奄美の島尾敏雄旧居を訪ね、そこの庭に建っている敏雄直筆の碑を

確認。鹿児島県立奄美図書館へも立ち寄った。

その折の加計呂麻島での拙短歌。





     みんなみの小さな島へいざなへるフェリー「かけろま」七月六日

     「島尾さん、あなたの声は……」書かれたる小川国夫の碑文の言葉

     ミホさんもマヤさんもともに眠る墓碑 島尾敏雄の『孤島記』の島

     黄の色の右納(いうな)の花の散る木下 すでにその色変はり赤錆ぶ

     呑之浦(のみのうら)のちひさな湾のみづの色みづの音さへかなしき  

     ものを

     
                 『秋光記』(ながらみ書房 2016年6月) miyoko

2017年2月28日 (火)

『新潮』 2017年3月号

瀬戸内寂聴さんと、梯久美子(かけはし・くみこ)さんが対談をしていた。

「ふたりの『狂うひと』ーー島尾敏雄とミホの闘い」。

これを読んだら、ますます梯久美子さんの『狂うひと』ーー「死の棘」の妻・

島尾ミホーーを、読みたくなった。

3000円もするのであきらめていたのだけど。

読売文学賞も貰ったことだし、「本当に狂っていたのは妻か夫かーー」なんて、

興味津津。







この対談の中で、注目したのは、

評伝小説を書く梯久美子さんに対して、島尾夫婦の息子である島尾伸三氏が

言った言葉「きれいごとにしないでくださいね」が、印象深い。梯さんはその

言葉が評伝を書く際のほんとうに力になりました、と語っている。





私小説は、「ここまで書くのか」と思われるところまで書くというのが大事で

自分を良く見せてはいけない、と寂聴さんは語っている。



やっぱり、買うわ。




ところで、

『週間朝日』の3月3日号に永田和宏さんがグラビアに登場して

いた。創刊95周年記念特別号なのだけど、「週間朝日様 九十五周年

おめでとうございます 永田和宏」の色紙を持って、にっこりしていた。

永田さんって、歌壇だけの世界でなく、あちこちで話題になる。

ノーベル賞受賞者や、ラグビーの選手や、その友人関係も幅広い……

2017年2月24日 (金)

歌集『冬湖』 石田比呂志  砂子屋書房

2011年2月24日に亡くなられた石田比呂志さんの最終歌集『冬湖』を

読んでいる。

この歌集題は、熊本の江津湖だろう。石田さんは『短歌真髄』(砂子屋書房 

2005年刊)のなかで江津湖のことを、次のように記している。






   --略 安永氏(安永蕗子さん)は江津湖散策を日課としているらしい。

    私も自転車で十分程の距離なので時に出かけては四季折々の湖を

    覗くことがあるが、そこには三千羽程の鴨(ゆりかもめ三百羽ほど)が

    いてその殆どが緋どり鴨だということを安永さんの文章ではじめて

    知った。そこでまた

       湧水湖肥後の江津湖は緋どり鴨真鴨浮かべる風雅の宿場

       残り鴨数羽湖岸に一冬(いっとう)を越えし自尊の首立てて浮く

    と声高らかに囀って挨拶代りに水に浮かべてやったら、鴨が尻に帆を

    かけて逃げてしまった。鴨に風流心が無いのか私の歌が腰折れな

    のか、今度安永さんに会ったら伺ってみよう。

最終歌集のタイトルになった『冬湖』は、2011年の4月号掲載予定の原稿、

特別作品「冬湖」30首である。石田さんはまさかそれが自身の絶詠になる

などとは思いもしなかったことだろう。







     甲斐のくに七覚川は水ほとり方代墓碑のネッカチーフよ

     閑散と真昼人無き無人駅ふたつ鶏(かけろ)が砂浴みいたれ

     平らなる能登は七尾の海面(うなおも)の潮の流れに干満(かんまん)
     を見ず

     七尾湾沖つ辺昏れて能登島の集落低く灯(とも)りはじめつ

     海峡の空低くゆく漂鳥を標的として襲う鳥あり

     あけぼののきざせる部屋に石に降る雨を聞きおり眼鏡を置きて

     縹渺と浮かぶ冬湖のゆりかもめ帰り行くべき故山もてりや

     置き去りにされし鷗も居残れる鷗も白し夕日が中に

     湖(うみ)に浮く鴨と湖岸にふくだめる鴨あり湖に浮く鴨寒し

     如月の風吹く湖に着水の鴨あり戻り来(こ)ぬ鴨のあり

     


1首目の歌は、山崎方代の墓のことを詠んでいる。

「赤いネッカチーフーーわが方代の一首」(『短歌真髄』所収)のエッセイの

なかで「墓は何事も無かったかのように七覚川を見下ろす小高い岡の上で、

巻きつけられた赤いネッカチーフ(生前のダンディ振りを知る人が巻きつけ

てゆく)を川風に粋に靡かせながら……略」と記されている。



「方代一首」(『閑人囈語』 (砂子屋書房  急逝後の2012年2月刊)にも

この赤いネッカチーフのことが綴られており、引用されている歌は違うが

結語は「ああ、七覚川のほとりのお墓の、あの赤いネッカチーフよ。」とある。



2首目の歌は茂吉の「めん鶏ら砂あび居たれ……」が、下敷きにあるだろう。




3・4首目の能登・七尾の歌、「能登二首」の詞書がある。その他には能登の

歌はなく、2首だけながら、2首ともに味わい深い。





第6回の琅玕忌で、講演をなさった松村正直氏が「作品そのものを純粋に

鑑賞することも忘れてはならない。」と語った。そのことを思い出しながら

今回、10首選んだのだが、やはり、わたしの好みに傾いただろうか。


6首目の歌など、とりたててどうという歌ではないのだが、石田さんの気息が

伝わってくるようで、わたしは好きだ。結句の「眼鏡を置きて」が実にいい。

後ろから行って「石田さん、どげんしたと?」と、肩を叩いてあげたくなる

ようなさみしい後ろ姿だ。

最終歌集となってしまったのだが、もうこの世にいないと思うと、この世に

遺された歌たちを弔ってあげなければと、思う。


折りに触れ、思い出すこと。

石田さんの歌を忘れてしまうのではなく、読み続けること。








                        2017年2月18日  2500円+税



 

2017年2月22日 (水)

『野良猫を尊敬した日』 穂村弘 講談社

穂村弘の自虐ネタ(笑)のエッセイ62篇。

いずれのエッセイもオチがあり、ときに作り過ぎ?っていうくらいに

みごとなお話になっている。(不器用な生き方そのものが、穂村弘のボディー

であり、スタイルなのだ。)





「男の幻滅ポイント」に、声を出して笑ってしまう。

       ・キーボードのエンターキーだけ強く叩く

        カチャカチャと他のキーで入力して、最後に「どうだ」とばかりに

        「エンターキー」を叩く。やりたくなる気持ちはわかる。だが、その

        瞬間、小さな「俺様」が顔を出しているのだ。


        ・意味もなく、折りたたみ式の携帯電話をパカパカ開閉している

        ・携帯電話のメールアドレスがやたら長い

        ・ペンを廻す

        ・おかあさんが買ってきたような服を着ている

面白ネタ満載なのだが、時としてくすんとなるほどのせつない語りも。

たとえば「自分に忠告」、その3 「それが最後の会話になるから、ちゃんと

目を見て話せ」



        五年前のこと。実家から帰ろうとしたとき、目が不自由で

        いつもは奥の部屋から出てこない母親がよろよろと現れた。

        ー略 「栄養のあるものを食べて。車に気をつけて帰るんだよ」

        等々、「うるさいなあ、もう」と私は思っていた。でも口では一応

        「ありがとう」と云った。--あのとき「うるさい」と云わなくて

        よかった。その数日後に母が亡くなったからだ。--略 しかし、

        母の目を(そのとき)見ていなかった、のだと思う。





                      
昨日(2月21日)の朝日新聞「折々のことば」(鷲田清一)に、下記の言葉が

引用されていた。

        最後にかわした言葉が心残りだった、ということにならないように

                  田部井淳子「それでもわたしは山に登る」から。



穂村さんの母親との会話にしてもそうだが、生きていると、この生きていると

いうことが、突然絶ち切れることがあるなどと、考えられない。

来年も、来月も、明日さえも会うことが出来なくなるかもわからないのだ。







本日、2月22日は「にゃんにゃん」の日、猫の日だそうだ。

スージー・ベッカーの『大事なことはみーんな猫に教わった』みたいに、

猫に教わることは、まだまだありそう。






穂村さんは、「野良猫を尊敬」してるし……


                         2017年1月24日  1400円+税

 

        



        

2017年2月20日 (月)

『父の生きる』 伊藤比呂美  光文社文庫

詩人・伊藤比呂美が日本とカリフォルニアとを往復しながら、

父親の遠距離介護をしたノンフィクションの物語である。

2009年3月から2012年5月5日までが、日記形式で綴られている。

介護の問題はますます深刻になり、誰もがいつか通る道でもある。

介護をする立場が、いつかされる立場になるのも現実なのだ。

介護を体験することによって、自分自身の未知の<死>についても

考えさせられたりもする。

この書は実の父親であり、娘ということで、その関係が一層くきやかに、

<素>の姿で、語られている。



        略ーーところがそのとき、頼まれていたおせんべいを買い忘れ 

        たことに気がついた。「ごめん、ごめん」と言うや、父は声を荒げ

        げて怒り出し、「甘いものばっかりで、飽きちゃんうだ」「年寄り

        は食べることしか楽しみがないんだ」などと。「だっておとうさ

        ん、あたし仕事があるし」と抗弁すると、「そんなら来てくれなくて

        もいいよっ」と吐き捨てたーー略     2011年11月17日(木) 


 




        略ーー「強盗でも入って殺してくれたらいいんだけど、来てくん

        ないからさ、待ってるしかないんだ。他力本願だ」とご飯粒をこ

        ぼすように言いつづけた。「ま、あんたももう九十のおやじを持

        ってると覚悟しといてよ。六十や七十じゃないんだからさ、おれ

        は」                      2011年11月18日(金)






 

カリフォルニアに住む娘である著者は、日本の熊本に住む父親のため1年に

何度も帰国する。そばに居てやれない時は電話をかける。その電話の受け

応えが面白くもあり、せつなくもある。

親を送るということを全身全霊で受け止めている著者の姿に何度も涙しなが

ら、読み終えた。




   

       人がひとり死ねずにいる。それを見守ろうとしている。いつか死

       ぬ。それまで生きる。それをただ見守るだけである。でも重たい。

       人ひとり死ぬのを見守るには、生きている人ひとり分の力がいる

       ようだ。                    2012年4月1日(日)







この書の終わりの方に書かれている次の言葉は、しみじみと身に沁む。

「父が死んだ後、数か月にわたって、私は悔いてばかりいた。あのときもっと

そばにいてやれば、もっと熊本に帰ってやれば、と」







                              2016年6月20日初版1刷発行  560円+税 




 

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琅玕忌のために18日に熊本に行った。

その時、熊本城周遊バス「しろめぐりん」に乗車。

熊本で最も古い書肆の「長崎次郎書店」を訪れた。

森鷗外の『小倉日記伝』の中で「書肆の主人、長崎次郎を訪う」と

書かれている明治7年創業の書肆である。




平成26年夏に内装・品揃えを一新してあり、外観はレトロモダンな二階建て。

落ち着いた雰囲気の「長崎次郎喫茶室」が2階に併設されている。

新町電停から写真を撮ると、全景が入ってうれしい。



折角来たので熊本ゆかりの人の著書をということで、伊藤比呂美の

『父の生きる』を購入。ここの文庫カバーの「JIRO」のロゴがまた実にいい。





伊藤比呂美といえば、もう30年も前になるけど、福岡の赤坂のカフェで

開かれた高橋睦郎との2人の詩の朗読会に行ったことを思い出した。

あの頃は、お二人とも溌剌としていた。



わたし自身もまだ若かったし(笑)、介護の問題など遠い遠~いことで、

関心もなかったような齢(よわい)であったことよ。





角川の『短歌』2017年2月号の巻頭作品「老老行」(高橋睦郎)を読んで、

過ぎていった歳月を思わざるを得なかった。

 

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