書籍・雑誌

2018年8月20日 (月)

歌集『温泉』 山下 翔   現代短歌社

山下翔の第一歌集『温泉』

第一歌集という帯もなく、従って〈惹句〉なることばも見出せない。

装幀もいたってシンプル、というか、むしろ素っ気ないくらいだ。

カバーの色は鶸茶 ? 

カバーを外すと青藍色の表紙に白抜きの文字が力強い。

判型は四六判の変形。(変形といえば、わたしの第一歌集『早春譜』も変形。

2冊重ねてみると殆ど同じ大きさで、1ページ2首組なのだ。第一歌集という

文字もなければ、帯も無い。この偶然の符牒がなんとも嬉しい。)




    店灯りのやうに色づく枇杷の実の、ここも誰かのふるさとである

    自転車のタイヤがどうもやはいんぢやないかみたいな体調つづく

    わたしもすごくわかりますとふ相槌の、さうやつて呑まんでくれ俺を

    金折(かなを)れのやうに柱に凭れゐる我、この家をだれが支へる

    換気扇 がたんと回り始めたり母が煙草を吸つてゐたころ

    長崎の坂をよろこぶわが脚よあるいたところがふるさとになる

    石段のひとつひとつの傾きを足に合はせてのぼりつつあり

    この夏をいかに過ごしてゐるならむ花火のひとつでも見てればいいが

    ほむら立つ山に出湯のあることのあたりまへにはあらず家族は

    わが展く菓子箱もたれか組み立てて生活のかてとなしたるものを

    草食んでぢつとしてゐる夜の猫とほいなあ いろんなところが遠い


ホントは歌だけをあげて何も書かない方がいいのかも知れない。

わたしの拙い感想で読者を惑わしたくない。

先入観を植えつけたくない。

と、思いつつ、書いてしまうところがわたしの弱さ。



たとえば、4首目なのだが、初出は2015年8月2日に開かれた「第2回 福岡

合同歌会」に出詠されていた1首である。場所は「あいれふ」だった。

黒瀬珂瀾さんが在福していて、彼の司会で無記名の歌会だった。詠草は

黒瀬さん側が準備したので、わたしは作者がどなたなのかは知る由もない。

38首の中からの互選 5首。その中の1首がこの歌だった。



「金折(かなを)れ」などという語彙をうまく使い熟していることの驚き。

この時はルビは付いていなかった。金折れは、モノとモノを繋ぐ補強

金具である。この比喩の巧みさというか、たぶん実感に即して遣った

のだろうが、一転して「この家をだれが支へる」に、思わず涙ぐんでしまった。

きっと、この作者は「家」のことや「家族」のことに深い関心があるのでは

ないかと思った。



わたしは、情(じょう)に脆いのが欠点でもあるし、長所だとも思っている。

だから、即、そんな読み方をしてしまう。

こんな読みは、作者には迷惑だろう。(ごめんなさい。)


ついでに(厚かましくも)、10首目。

菓子箱を組み立てる内職があることを知ったのは、いつのことだったろうか。

この歌を読んで20代半ばの青年が「生活のかて」となしている人のことを

思い遣る精神に、心がふるえた。


作者の山下さんとは数度しか会ったことがない。

そんなに会ったことがないのに、とても身近に感じられるのだ。

孫世代(わたしには孫はいないが…)の山下さんが、いとしい。(笑)


「いろんなところが遠い」けど、山下さん、あなたなら大丈夫。

どうぞ、羽搏いてほしい。

そして、どんなことがあっても短歌をやめないでほしい。


           栞   島田 幸典  「そこに人間がいる」

                花山 周子  「『温泉』の特殊さについて」

                外塚 喬    「こだわりの人」

 


                             2018年8月8日発行

                             2500円+税


 

 

2018年8月14日 (火)

『真夜中の子供』 辻 仁成    河出書房新社

博多、中洲を舞台に無戸籍児の2005年4月より2019年7月

までの成長物語。

蓮司は、クラブ勤めの母・あかねと、同居するホストの正数と

中洲で暮らしている。

母は夜の勤めなので、蓮司は夜になると中洲を出歩く。

「夜中に子供がふらふらしちゃあいけんとよ」と警官に補導されても、

5歳の蓮司は「みんな優しか人たちばかりやけん、大丈夫と」と答える。

「中洲の人たち、お巡りさんが言うような悪か人ばかりじゃなか」。




母親のあかねからネグレクトされ、正数からは暴力を受けている。

親が出生届けを出していないものだから、無戸籍になってしまい、

義務教育さえ受けることが出来ない。

(児童養護施設に入る段階までいかないのは、たてまえとして親と同居

していることもあるし、何より戸籍がないものだから、役所の手続きから

零れてしまうのだろう。)


中洲育ちの緋真(ひさな)との出会い。緋真は小学校に行っているが、

以後12年間、緋真は蓮司のために食べ物を届けたり、風邪をひけば

看病した。「なんで緋真はそんなにしてくれると ?」 「緋真はどうしてそんなに

優しいと ? 」 。


無戸籍児、ネグレクト、暴力と、社会的なテーマを孕む本書だが、

中洲全域のMAP を 巻頭に掲げているように、著者、辻仁成の博多・中洲を

こよなく愛している思いが伝わってくる。


なかでも博多祇園山笠の描写は迫力がある。



      中洲は生きている、と思った。この世界は何か人智の及ばぬ

      すさまじい霊力によって支配され、動かされているのだとわかった。

      「オイサッ、オイサッ ! 」

      「オイサッ、オイサッ ! 」


2019年7月、19歳になった蓮司。

蓮司の身の上を通り過ぎていったさまざまなこと(この、さまざまなことが

本書の圧巻ともいえる。アクシデントあり、事件あり、ほのぼのとした

エピソードありで、本書を読めば堪能できる。)が、あった。


      自分には戸籍を取得する意思がありません。自分は誰に

      望まれて生まれてきたわけでもありません。しかし、自分の

      ことを愛してくれた人々が中洲にいます。出院したら中洲に戻り、

      中洲の外には出ず、今まで通りそこで中洲の人々と中洲の

      伝統を守って暮らしていきたいと思っています。


                                   2018年6月30日 初版発行

                                                 1600円+税


cat      cat

旅に携えた250ページの大冊だったが、読みだしたら、止められ

ないほどだった。

辻仁成のパッションの籠る1冊であった。

映画化されるらしいので、待ち遠しい。



PM  7:25     真っ赤な夕焼け

        たましいを連れて行かれるような夕焼けを見たので、

        『現代短歌』9月号の「歌人の俳句」の句を紹介。


            大夕焼け金目のものは置いてゆく    石川美南

            ゆふ焼けやひとすぢうねる銀のみち   江田浩司






PM  8:15      金星と繊い月が並んで輝いている。

2018年8月 5日 (日)

「現代短歌新聞」 平成30年8月号

「結社誌はやがて電子化され、紙ではなくなる」のタイトルに驚いた。

え〜っ、そんなぁ。と絶句(笑)

インタビューの佐佐木幸綱氏の発言である。

「(略)ネットでないほうがいいという人がまだ多い気はしますが、(略)」とも、

語っている。

「やがて」が、キーワードのようである。

「やがて」が、10年先なのか、20年先なのか ? それとも50年くらい先なのか。

10年先ということはないだろう。

ネットになってしまったら、高齢者はどうすればいいの ?



インタビューの最後に「いや、僕も紙で育ちましたから、愛着はあるし。

まだしばらくは紙の時代が続くと思いますね。」と締めくくっている。

少しほっとする。

要するに「まだしばらくは…」なのですね。


「やがて」とか「しばらく」とか、なんだか思わせぶりというか、

無責任(ごめんなさい) だなぁ、と独り言つしているのは、わたし。




同紙の吉村睦人氏の「添削コーナー」は、いつもマーカーを手にして

読み込んでいる。76回の今回は「詠嘆の終助詞『よ』『や』『かな』など」。

      友ら皆明日は海水浴に行くと言ふ仕事片付けわれも行くかも


この歌の結句の「かも」。

「現代日常語の『行くかも』知れない、の意の言い差しでしょう。」と記す。

そういえば、こんな「かも」の使い方をする人が多くなったような…




ところで、歌集の広告が「歌壇ニュース」の下段に掲載されていたけど、

山下翔さんの『温泉』、ついに出るんだ。

栞文の抜粋が載っていたけど、外塚喬さんの「(略)華やかな世界に憧れる

のはよい。しかし、歌を華やかにする必要はない。いぶし銀のよさという

言葉もあるではないか。(略)」 に、ぐっときた。そうなんですよ。共感、

共感ですぅ。

山下さんもそこいらへんのことは、既に肝に命じていると思う ?


注目の第一歌集、待ち遠しい。



cat      cat

「未来」が来ない。

わたしの所には、まだ「未来」が来ない。

久留米には、届いているのに……

2018年7月30日 (月)

世尊(バカボン)と吉祥天    

『短歌往来』(ながらみ書房)2018年8月号の巻頭作品に、高野公彦さんの

「鰥・寡・孤・独」21首が掲載されている。

高野さんの歌はいつも啓発されるものがあるのだけど、今回はまたまた

その語彙力というか、造語に魅了された。


       媼ゐて優先席に眠りゐる若き世尊(バカボン)を眠らせて佇つ

 


優先席に眠っているのは、若い人、男性  ?   

はたで見ていても癪に障るのだけど、高野さんはあからさまに「このバカ」

とは、仰らない。「世尊(バカボン)」ときた。「このバカ」より、きつ〜い

怒りの人称のようでもある。


     向かうから歩きスマホのだんまりの吉祥天が来たので避(よ)ける




駅のホームなどで、放送しているけど「歩きスマホ」は、他人に迷惑を

かけるし、本人だって危ない。きっと妙齢の女性だったのだろう。

高野さんは女性に甘い(笑)。「吉祥天」と名付けるとは。

吉祥天といえば、衆生(しゅじょう)に福徳を与えるものなのに……


高野さんは自身のことをどのように名告るのかといえば、

     水面を裏より突(つつ)きしんしんと目高泳げり鰥夫(やもを)のほとり

     怒りやすしまた泣きやすし忘れやすし茫としやすし翁童(をうどう)

     われは


夫を亡くした人や、自分のことを「寡婦」ということばでうたった作品は

稀にあるが、妻を亡くした男性は自分のことを「鰥夫(やもを)」とは、なかなか

うたわない。(うたえないのか ?  )

「翁童(をうどう)」 は、造語かしら。




そういえば、『歌壇』(本阿弥書店)8月号の「定綱が訊く ぶっかり

インタビュ|ー」で、高野さんが語っていたことを思い出した。

             死んだ言葉を生かす

     (略)死んでいる言葉ですから辞書の中にしかないけれど、それを

      短歌の中で生かして使うと、少なくとも歌人たちが読んでくれる

      可能性があって、…(略)





佐佐木定綱さんのインタビューでは、「雀隠(すずめがく)れ」や「日(ひ)の

辻休(つじやす)み」が話題になっている。

かように言葉に執するというか、「死蔵されている言葉をぼくが引っ張り出

して、生かして使って、うまくいけばそれがリレーされていく。」と、日本語を

見据えている。




ところで、

島田修三さんの1ページエッセイにも触れたかったけど、時間切れ。

機会があればお手にとって、読んでください。

タイトルは、「或る受賞式」。

      (略)かくして人も私も老いてゆく。若い人たち、ご迷惑をおかけ

      すると思うけれども、まあ、君たちも、いずれそうなるんだぜ。

 

2018年7月29日 (日)

歌集『つららと雉』 黒﨑 聡美    六花書林

2009年から2018年までの388首を収めた第一歌集。

「短歌人」所属。

      わたしたち何かがきっと足りなくて流されそうな草を見ている

      春雨は沼のにおいを漂わせ大人ばかりの家へと帰る

      こんな夜に星を見ようときみは言うきみが夫でよかったと思う

      恋人と妻のちがいはどこだろう鏡のなかの太い二の腕

      ひだまりにカステラの味思い出す関係をひとつ壊してしまった

      きみよりも祖父の体にふれる日々こうして家族になってゆくのか

      最初から夫のような人だった手をつながない散歩は続く

      やもりのような気配を持って家かげに停車しているパトカー一台

      待合室はさいしょに暮れてさかさまに戻されていた雑誌を直す

      少しずつ点が小さくなるようなきみとの暮らしにあかりを灯す



なんともまぁ、初々しいというか、「ひたすらさ」の伝わってくる第一歌集で

ある。

結婚して夫の家族との同居 ?   そのなかで夫を見詰め、夫との暮らしを

築こうと努力している健気な作者像が浮かんでくる。


1首目、2首目には、あやうさが心持ち伝わってくる。そのあやうさに作者は

気付いているのだろう。


3首目は「三月十一日」の章の、一首中の一首。

「こんな夜」とは、東日本大震災の起きた日を指している。


8首目、9首目はわたしの好きな歌。

好きなというより、こんなかたちで嘱目や日常をうたってゆけばいいのにと

思う。違和感や齟齬が自然に表出されていて、好ましい。


読後、つらつら思ったことは、幸せな結婚生活を営んでいるのだけど、

どことなく、不安定な、居場所を確保できていないような不安感が

そこはかとなく漂うことだ。そこが詩でもあるし、作歌するには

好都合なのだけど、……どうかしら。



小池光の栞文のタイトルは「期待の人」。

わたしも同じく「期待の人」だと思う。


                     栞文  米川千嘉子

                          穂村  弘

                          小池  光

                     2018年7月30日 初版発行

                         2200円+税

2018年7月28日 (土)

『祝祭』 中村重義句集  文學の森

昭和6年生まれ、現在「寒雷」「天籟通信」同人の第三句集。

句歴70余年、60000句ほどの中から選び抜かれた句を収載。


          花時計いま爆心地指す時刻

          俳号も擬態のひとつ黒揚羽

          爆心地の向日葵無口で押し通す

          帝王切開めきて西瓜に刃を当てる

          ガン宣告、供花は野牡丹だけでよい

          法名を決めて炎暑をたぢろがず

          子規といふ仕掛け花火のやうな人

          父の日は黙つて父になつてゐる

          あの世よりこの世が大事稲の花

          初御空句を詠むことは生きること



2句目の「俳号」だけど、中村重義は俳号ではなく、本名のようでもある。

しかし、俳号を持つ人は、俳句の上では「擬態」を装っているのかしら。

実人生の作者と、作品上の作者とかけ離れている人も、いるには居る

ような気もする。(短歌の世界でも…)


1句目、3句目の「爆心地」。原子爆弾を投下された8月6日、8月9日、

広島、長崎がただちに思い浮かぶ。


4句目は不思議な句。帝王切開をしたことのある医師ならばともかく、

西瓜に刃を当てる時にそのような連想がゆくところが、ユニーク。


5句目、6句目。詞書によると、大腸癌手術をしている。他の句の詞書にも

胆のう切除手術をしている。6句目の「法名を決めて」もむべなるかなと。

この炎暑さえ「たぢろがず」のおひとなのだ。



9句目、10句目。「この世が大事」と思うのも、命があればのこと。

命さえあれば、終生、句を詠むことが出来るのだ。


俳句って、人生を詠むことが出来るんだと改めて思った次第。


                         平成30年6月3日

                          3000円+税

2018年7月25日 (水)

歌集『午後四時の蟬』 竹内 文子  砂子屋書房

かつて「ゆにぞん」という短歌グループが名古屋(豊橋)にあった。

先鋭的なグループで、竹内文子・浜本芳子などを中心とした短歌誌で

ある。(この時期、羨望のまなざしで遠く眺めていたものだ。)



このたびの歌集で知ったことだが、「ゆにぞん」とは、岡井隆の歌集名

『斉唱』からとられている。音楽用語では「斉唱」は「ゆにぞん」なので、

浜本さんがこの方が響きが柔らかいうえ、どこかしゃれている、と提案した

そうだ。岡井さんも「うん、いいね。それにしよう。」と賛意を示している。



岡井隆という指南者が名古屋にいて、当時、名古屋は熱い風が吹いていた。

九州からも名古屋詣でをする人がいたくらいだ。


そんな訳で「竹内文子」という名前はわたしの頭の中にしっかりインプット

されていた。このたびの第四歌集を読んで先ず思ったことは、岡井さんも

この歌集の刊行を喜んでいるだろうな、ということだった。

読んだ歌に付箋を貼っていくたびに思ったことは、岡井隆の薫陶を受けて

いたことが随所に感じられたことだ。


     ちはやぶる秋の天使が降りて来る梯子をかけたままの林檎樹

     東京と三河の蟬では鳴き方がたしかに違ふと幼が言へり

     極楽も地獄もどつちつかずの身才太郎畑(さいたらばたけ)に

     鍬ふるわたし

     進歩なしさりとて退歩なきひと日夕凪どきは喘いでゐたり

     こねこねになつてしまつた会議ではをとこをみなも所詮は同じ

     脳機能は年相応の老化です。吹きつさらしの屋上庭園

     わたくしは雲でも富士でもとりあへずやたらと甘いもろこしを喰ふ

     窮極のやんちやキャラつて文具店の前に落ちてる消しゴムみたい

     熱中症にやられたわれにそんなことあつたのかよとカナカナが鳴く

     だんご虫にもいろめいろありて高貴なるやからはどれもだんご作らず


わたしが拙い感想を綴るより、どうぞ、味わってほしい。

「あとがき」に喜寿の後期高齢者です、などと書かれているが、どうして

どうして、この洒洒落落(しゃしゃらくらく)たるさま。

作者の〈生〉の充実ぶりが伝わってくる一集である。

3首目の「才太郎畑(さいたらばたけ)」などという言葉に初めてまみえた

     衝撃(笑)

5首目の「こねこね」という関西弁 ? の面白さ。

最後の歌の「だんご虫」の歌は、あるいは社会批判になっているやも知れま

せぬ。

                         2018年7月18日初版発行

                                3500円+税


cat     cat

朝出の玄関でのいつもの会話

         「クーラーはつけなさいよ」

         「ハイ、ハイ、ハイ。」

         「返事は1度っ pout 」

         「はあ〜い」




つまり、奴の思惑は「トシヨリ」は暑さを感じないから、

クーラーをつけない、と思っているみたい。


             

暑いよ、ホントに暑いよ。

だけど朝の9時からクーラーなんて付けるのは、世の中の

人に対して申し訳ないような……

2018年7月16日 (月)

歌誌「月光」 2018年5月号 №55

福島泰樹主宰誌が届いていたのだが、積ん読(笑)をしていた。

本日はゆっくり拝読。

本号の特集は「福島泰樹第三十歌集『下谷風煙記録』」。


伊藤一彦、藤原龍一郎、加藤英彦、東直子、田中綾、岡部隆志ら各氏の

評が読み応えがあった。


    (略)残された者にできるのはひたすら詠い続けることだけなのだと…(

    (略) なぜ、死者を呼び戻すのか。それは時代が失ってしまった

    大切なものを奪い返すためだろう。

                    渉れ、悲嘆の河を    加藤 英彦

    (略)死を悼み、魂を鎮めるための仕事を一貫して続けておられることの

    原点は、母の死にあることは間違いないのではないかと思う。

            残酷なこの世に漂う/魂のための集大成   東 直子

    (略)死者たちが思い残したであろう思いを、生き残った私は債務として

    負ったということである。(略)

             『下谷風煙録』を読む     岡部 隆志   
 



この『下谷風煙録』 のことは、当ブログの2017年11月10日に歌を引用し

わたしの個人的感想を詳細に記している。従って、本日は歌を5首のみ

参考のために以下に記す。


     この俺の在所を問わば御徒町のガードに点る赤い灯である

     御徒町大原病院ぼくを生んだ同じベッドで母ゆきたまう

     昭和十九年三月 ぼくは祖母に抱かれ遺骸の母を見ていたのだろう

     ふかぶかと夢をみていた生まれ来て死にゆくまでのあいうえおせよ

     死はやがてあまたの生を呑みこんで蕩けるようにやってこい俺に


そういえば、この「月光」№55は、「第五回黒田和美賞発表」となっている。

受賞者は佐久間章孔さん。なつかしいお人である。むか〜し、「未来」に

いて活躍していた。受賞の言葉のなかに「大病を得て入院し、気力・体力が

衰えた時、私小説というものをあらためて知ったのである。ー略ー」と記す。

この人の上にも重い人生が横たわっていたのだ。

 

 

 


cat    cat

このところ「福岡市熱中症情報」が毎朝届く。

本日は、午前9時にはやくも29℃で厳重警戒。12時は危険。

15時に厳重警戒で、18時より21時まで警戒である。

「熱中症」になるのは怖いので、エアコンを付けて読書三昧(笑)


P・M 8:30      月の下(背中) ?   の方に金星が寄り添っている。

         昨夜と反対の位置。

         素敵な月のかたちだ。





2018年7月15日 (日)

『片山廣子』 古谷智子 本阿弥書店

「心の花」の歌人・片山廣子の評伝。

441ページもの大冊であり、著者の渾身の力がこもる一書。


明治11(1878)年生まれの片山廣子は、与謝野晶子と同年ながら、

その歌も言動も晶子に比べると世の認知度が低い。

しかし、優れた近代歌人であり、松村みね子名のアイルランド文学の

翻訳者でもあった。




著者の「はじめに」の文中に「廣子は生来の立ち位置を少しもずらすことなく

一点に立ち、時代を見据え、静かな知的変革をはかった。(略)」と、書かれて

いる。


この書で知った、芥川龍之介との接点に少なからず興味が湧いた。

Ⅲ部の「匂い立つ思慕」は、廣子が芥川に送った手紙を引用しながら

筆を進めている。

42歳で夫・貞次郎に逝かれた廣子にとって、芥川との出会いは、その後の

文筆生活のみならず全余生を彩ったことだろう。しかし、その思慕は芥川の

自死によって実ることはなかったし、廣子の自分自身を律する姿勢は変わる

ことはなかったのだろう。



    (略)わたくしたちはおつきあひができないものでせうか

    ひどくあきあきした時におめにかヽつてつまらないおしやべりが

    できないものでせうか あなたは 今まで女と話をして倦怠を

    感じなかつたことはないとおつしやいましたが わたくしが女で

    なく 男かあるひはほかのものに、鳥でもけものでもかまひませんが

    女でないものに出世しておつきあひできないでせうか これはむり

    でせうか                 大正13年9月5日付


     



14歳年下の芥川との出会い、適齢期の子を持つ節度と自制、そして懊悩。

男と女という関係でなく、知性を磨きあい、深めあう関係を欲っしていたとも

とれる。


まだ、全ページ読み終っていないのだが、短歌作品を少し紹介したい。



     うつせみは木より石よりさびしけれ此ますぐなる性(さが)を捨てばや

     我が世にもつくづくあきぬ海賊の船など来たれ胸さわがしに

     よろこびかのぞみか我にふと来る翡翠の羽のかろきはばたき

     いくたびか老いゆくわれをゆめみつれ今日の現在(うつつ)は夢

     よりもよし

     動物は孤食すと聞けり年ながくひとり住みつつ一人ものを食へり


                        平成30年7月7日 第一刷

                           3800円+税



cat     cat

P・M 8:00      細い細い月が、金星に「おいで、おいで。」をしている

         みたいだった。

 

2018年7月10日 (火)

「誌上大歌会」  角川『短歌』 2018年7月号

『短歌』7月号の特集、「誌上大歌会」が面白かった。

結社も世代も越えた5名が自由詠で一人3首出して、選歌する方式。

勿論、無記名だから、誰の歌かわからない筈。

点盛り結果の一覧表を掲載。

そして、何よりその批評の読みの深さやこまやかさが参考になった。

参加者は、小池光(短歌人)、栗木京子(塔)、坂井修一(かりん)、

小島なお(コスモス)、服部真里子(未来)の5名だった。

最後に「作者一覧」として、歌と名前を発表している。




本日、わたしの関係している教室で皆さんがたの歌を無記名で

披露してみた。(ごめんなさい)

点が沢山入ったのは小島なおさんの歌で2首。「ほんとうのさみしさからは

ほど遠く樗(おうち)の下に逆さまのバケツ」と「のりしろのような時間が

ほのひかる葉桜の下をパトカー過ぎる」だった。

坂井修一さんの「夜の底わたしくたくたあめふらし進むも引くも

しよつぱい春だ」は、男性に人気があった。



小池さんが、なおさんの歌を2首選んでいたのが、さもありなん(笑)と

思ったことであった。たぶん、下の句に惹かれたのでしょう。

それにしても、みんなの意見は「小島なおさんって歌が上手いねぇ、」

だった。











cat     cat

北部九州も昨日、梅雨明けした。

電車の窓から見た雲の峰。

ああ、ほんとうの夏がやって来た。

         積乱雲つねに淋しきポプラあり    金子兜太




ことしの夏の訪れはことのほか淋しい。

せつない夏だ。



より以前の記事一覧

その他のカテゴリー