書籍・雑誌

2019年10月21日 (月)

歌集『うたとり』和嶋勝利  本阿弥書店

1966年東京都生まれ。1992年「りとむ」創刊に参加。

『雛罌粟(コクリコ)の気圏』に続く第4歌集。

 

昨今では珍しい箱入り。箱の色は御召茶?で金箔の白鳥座?が描かれている。

歌集の表紙の色は薄鈍色? なにげに瀟洒な造りであり、装幀者の渡邊聡司氏の

美学と著者の好みが合致したのかしらん。(すてきな造本。)

 

   平成は昭和の二日酔ひのごと無為の時間に出口が見えぬ

   葷酒とふ楽しきことはやめられず味噌をつけては食むエシャロット

   人の名は時代をうつすものなれば勝たねばならぬ戦争なれば

   にんげんの必死のすがた見せながら25メートル子は完泳す

   福島泰樹みたいと妻に疎まれて中折れ帽子もそれつきりなり

   ひいやりと朝の空気は黙しをり やあ樅の木よまた会ひに来た

   タラップを降り来る四人の法被にて永久に残らむJALといふ文字

   五十二で逝きたる父にあと三年かぞへてわれの元旦はある

   表情を苦き果(このみ)であしらへた雪だるま おお、それがぼくだよ

   『三省堂例解小学国語辞典』子の手を離れわが愛用す

   ちちのみの父の背丈は越えたのか越えられぬのか 夏、十四歳

   "うたとり〃は美しい声の鳥にあらず報告さるる疑はしい取引

   恋人をぼくから奪つた俊介とそれには触れず酒さし交はす

 

 

〈暮らし〉が丹念に描かれている。

歌が、絵空事でないのが良い。にんげんは働いて生きていかなければならない。

それがごく当たり前にうたわれている。生活の実感がある。

 

3首目、著者自身の名前のなかに「勝」があるのに拘った歌が他にもあった。

   「人の名は時代をうつすものなれば」は、現今の子どもたちの名前からも

   窺える。(正しく読むのも難儀な名前が多いし…)

 

4首目・11首目、おのが子をうたって出色。

10首目もいいな。子のお下がりの辞典をつかうお父さん。

 

5首目、福島泰樹の中折れ帽。(そういえばわがやに一つある。

   昔々、なんのはずみにか頂いたものだ。)

 

7首目、1966年のビートルズの来日、記憶に刻まれているのは羽田空港の

   タラップを降りる4人の姿だ。JALのロゴ入りの法被を着た4人の姿は

   記憶に刻まれている。とは云っても映像で観たのだが…

 

12首目、「うたとり」とは、証券業界の符牒らしい。疑わしい取引を簡略化して

    「うたとり」。あえて、歌集名にした著者。「うた」という響きゆえか。

 

13首目、あげなくても良いような歌だが、次の歌によって俄然ひかりを放っている。

    「その女(ひと)は半年のちに見合いして結婚したり ざまあみやがれ」

    正直な人だ。

 

 

和嶋さんは、丙午年生まれ。

わが愚息と同年同月生まれなのだ。

そう思って読むと、一層に生活者としての逞しさと苦悩?が、伝わってくる。

 

 

                  2019年9月20日 初版

                   2700円+税

 

 

*   *   *

午後7時35分、夕顔の花が1つ咲いていた。

やっぱり蔓を残していて良かった。

10月21日の夕顔の花、あなたは逞しい。

あなたはエライ🎵🎵🎵。





 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

2019年10月15日 (火)

『麻裳(あさも)よし』久々湊盈子歌集 短歌研究社

前歌集『世界黄昏』に続く第10歌集、524首をおさめている。

 

   六度目の年女だもの言うべきはおそれず言わん 玄冬がくる

   組織的犯罪集団にはあらず組織的短歌集団ひとつを統べる

   自己愛の最たるものにてしねしねと己が身を舐め飽がざるよ 猫

   心を容れるによき器なり歌という遊びにひと生(よ)退屈をせず

   追熟を待つ一箱のラ・フランス明日あることをつゆ疑わず

   それぞれに持ち合わす常識に差異あれど朝の六時に電話よこすな

   他人の不幸ツィートしては留飲を下げる下郎がパソコンに棲む

   麻裳よし紀路は卯の花曇りにて瀬音に耳をあずけて眠る

   戦火のにおいは男を誘(おび)くか「積極的平和主義」なる戦の備え

   鞘走りしたがる性(さが)は母譲り「おきゃん」のままにて古稀を越えたり

   六十からの時間は韋駄天走りにてこの手をこぼれてゆきし誰かれ

   朝プールに出でゆきしあと起きだして夫の作りし味噌汁を飲む

 

 

以上、集中から、12首を私の好みで選んだ。

 

1首目、「言うべきはおそれず言わん」に彼女の真骨頂を発揮している。

    10首目の「おきゃん」、11首目の「韋駄天走り」など自身の性状?を

    認識していて、ある意味スゴイ。(そうであってもなかなか発語でき

    ないのは肝が据わっていない小心ゆえのわたし、であろう。)

 

2首目、「組織的短歌集団」の「合歓」を率いて、やがて30年になんなんと

    する。確たる覚悟なくしては「ひとつを統べる」ことは出来ないだろう。

 

5首目、「明日あることをつゆ疑わず」だから、生きていけそうな気もしている

    のはわたし。

 

6首目、結句の「電話よこすな」の命令形の恰好良さ。

   

7首目、「溜飲を下げる下郎」が、世の中に居るには居る。

 

8首目、歌集題にもなった1首で、

      (略)『万葉集』には「麻裳よし」という枕詞を使った長歌・反歌が

       六首あるが、その昔、紀伊の国から良質の麻を産出したことから

       「紀・城」にかかる枕詞に なったという。(略)            

                           「あとがき」より

 

12首目、まことよきあけくれであることよ。

    「夫の作りし味噌汁」の味の、なみだぐましさ(笑)

    詞書に「夫が三食作ってくれるようになってもう長い」と記す。

    平成元年から31年までを、31首にした「時は韋駄天ーー

    平成じぶん歌」の中の1首。

 

 

久々湊さんの歌を読んでいると、胸の中のモヤモヤも吹っ飛んでいってしまう。

気風(きっぷ)がいいというのは、たぶん久々湊さんのような人をいうのかも

しれない。うじうじしていなくて<竹を割ったよう>な、お人だ。

 

社会に向ける眼差しにも凛としたものがみなぎっていた。

この一集は是非ともテキストとして使いたい。

 

 

                 令和元年9月20日

                   3000円税

 

 

 

 

 

 

 

2019年10月11日 (金)

『ていねいに生きて行くんだ』 前山光則 弦書房

<本のある生活〉の副題付。

 

    加計呂麻、水俣、東京、福島……石牟礼道子、島尾敏雄との交流も

    含めて過去から現在まで、小さな旅の記憶をたどり書きとめた70の

    エッセイ集          (帯文より)

 

一の「孤」は島尾敏雄の章。

「加計呂麻島の浜辺を歩いた」には、「島尾敏雄生誕一〇〇年記念祭」の

イベントに参加した時のことが綴られている。

2017年7月7日から9日にかけての日程、行事が詳細にあり、参加しなかった私と

しては垂涎もの。

 

7月7日、「海辺の生と死」の上映

7月8日、加計呂麻島散策ツアー

7月9日、講演とシンポジウム

 

著者の筆致にたのしさが伝わってくる。この100年祭には参加出来なかった。

しかし、2015年の7月9日から11日にかけて奄美大島に行き、「郷土料理かずみ」で

島の料理を堪能し、島尾敏雄の旧居・文学碑も見学、加計呂麻島ではゆっくり

1日かけて散策したことが思い出された。(当ブログの2015年7月に

この旅のことは記している。もう随分前のことのようにも思われてくる。)

 

著者・前山さんの奥様は2017年9月に膵臓癌の診断が下り、10月4日に膵臓の

手術を受けている。その妻の使っていた「3イヤーズ・ダイアリー」との名が付いた

手帳の最後のページに書かれていた言葉。

 

     美しいものを

     信じることが、

 

     いちばんの

     早道だ。

 

     ていねいに生きて

     行くんだ。

 

淵上毛錢の「出発点」の詩である。

 

     妻が毛錢の「ていねいに生きて/行くんだ」との

     意志表明に共感しているという、

     そのことだけははっきりしている。 

         「ていねいに生きて行くんだ」より

 

9月27日、前山さんの講演を聴きに行くのを躊躇っていたのに、

行くように勧めてくれたのは連れ合いであった。予備知識もないままの

前山さんのご家族のことであったが、この書を読み進めるにつれて、

なんだか〈巡り合わせ〉というか、何かを感じている。

 

ほんとうに「ていねいに生きて行くんだ」と。

 

                2019年9月30日

                 2000円+税

        

 

 

    

2019年10月 3日 (木)

『混乱のひかり』加藤治郎歌集 短歌研究社

帯に書かれている「今度は、『普通の歌集』を作ろうと思った。」は、

著者の言葉なのか、版元が考えたのか、判然としない。「あとがき」にも

その言葉は見当たらない。

加藤さんが言いそうな言葉でもあるが、事実はどうなのだろう。

帯文のことは刊行前に承知だろうから、先ずここで読者は(わたしは)

一発咬まされた(笑)ような気がしないでもない。

「普通の歌集」って、なんなの?

じゃあ、今迄の歌集は「普通の歌集」じゃあなかったの?

 

なんて文句タラタラみたいだけど、はっきり言ってこのたびの第11歌集は

スゴイ。やっぱり彼は<歌の申し子>みたいな存在だ。

 

  栞紐はねのけて読む冬の朝 歌はひかりとおもうときあり

  あかあかと内なる肉の輝けり生きてゆくほか生きるすべなし

  貝殻にみちているのは貝の肉 兵役義務兵役免除兵役拒否

  めやべあろめまぐるしくて嘔吐する 俺はしずかにNOを言いたい

  すきとおるオニオンスライス酢にひたす兵役のない国に生まれて

  じゃあまたと呪文のように言い放つ五条通のおとこはふらち

  とまります呼続大橋(よびつぎおおはし)ねむたさはどうやら

  きっと目の奥にある

  自転車に乗れなくなった母がいて珈琲豆をこりこりと挽く

  幾本も錆びた線路が横たわる俺の居場所はおれの体だ

  母がいてほかにはだれもいないから実家というのは果樹園なんだな

  そうじゃんか純粋だって思ってもだれかのいいね欲しがっている

  ちりるると水にちいさな声がしてかなしみなさい人生は長い

  みなもとは世代の憎悪と知っている鏡の奥に散るさくら花

 

1首目、「おもうときあり」は、思わない時の方が多いのかしらん。

 

2首目、下の句は「小池調」みたいでもある。

 

3、4首は『歌壇』の2015年10月号に掲載された「存立危機事態」の20首

 連作中の2首。なぜ私が覚えているのかというと、読後、衝撃を受け

 「時代の危機をうたう」として作品評に取り上げたからである。

 ことに4首目の初句を「あべやめろ」と読み解いたことを或る人から褒められた?

 けど、加藤さんにとっては「めやべあろ」なんて発想はお手のもの。政治や社会の

 ことは直球では詠まない、韜晦のすべを心得ている。

 

5首目、詞書に「二〇一六年五月、オバマ大統領、広島訪問」とある。この時期、

 大統領の折鶴を詠んだ人が結構いたような。加藤さんはそういう轍は踏まない。

 

6首目、「ふらち」にドッキン。「不埒」と漢字でないところがいい。

 

8・10首目、鳴海のおかあさん、加藤ミユキさんを思い出す。お洒落でヘアカラーが

 むらさき色で、それがとても似合っていた。加藤さんに実家があり、母親が居る

 というのは何よりの心のアジールなのだ。(もっと、もっとおかあさんのことを

 歌ってほしい。)

 

9首目、これぞ、加藤治郎 ! ! 「俺の居場所はおれの体だ」なんて、どこかの

 健康食品のコピーにでもお買い上げ頂きたい(笑)くらいだ。(この歌、スキデス。)

11首目、わたしはツイッターもフェイスブックもしないので、よくわからないのだけど、

 「いいね」を、みんな欲しがってるの?

 

12首目、人生が短いひともいるのよ。

 

13首目、「世代の憎悪」って、なんておぞましい言葉だろ。これって世代の下の人が

 上の人に向かって言うのだろうか。それとも……

 

 

と、いつものように軽口でごめんなさい。

ショッキングな第11歌集でした。

そして、「あとがき」の言葉はいたって真摯なもので、感動しました。

 

 

  (略)私は、成熟には程遠い。今年の十一月に還暦を迎える。

   しかし、今も意識は、青春を走っている。そのギャップに愕然と

   する。混乱のひかりを抜けてどんな世界が開けるか。実り豊かな

   第二の歌人生(うたじんせい)を夢みている。(略)

 

 

              令和元年九月十日

               2500円+税 

 

 

 

 

 

 

2019年9月27日 (金)

『以後』石 寒太 句集  ふらんす堂

9月25日の当ブログ『犬が見ている』(岡部隆志句集)に続いて、

句集の紹介。時節柄、秋の句ばかりを選んでみた。

 

   らふそくの泪のしづく秋の修羅

   手をつなぐ佛まばたく秋日燦

   いつよりの鬱の兆しやいわし雲

   桔梗や引き返すならこのあたり

   のぼりゆく梯子段消ゆ鰯雲

   茎ばかりつつ立つ曼珠沙華の夜明け

   いちめんのほろびのはじめ曼珠沙華

   秋の水こころの芯を通りけり

   秋風や先に死なれしはなしなど

   何をしてゐても風吹く九月かな

   加齢とは華麗のことよふぢばかま

   秋薔薇剪り口にわが詩の生れよ

 

   十年前がんを患い手術。生還以来ますます忙しく、以前より

   東奔西走の毎日を送っている。退院以後の十年の句を纏めて、

   ここにささやかな記念としたい。

                  (あとがきより)

 

この句集は2012年の刊行だから、あれから約7年が経過。

石 寒太さんは、<以後>お元気でしょうか。

「東奔西走」の日々であってほしいことを祈りつつ‥‥

 

         2012年12月25日

          2517円+税

   

   

   

   

   

  

2019年9月26日 (木)

『梨の花』小池光歌集 現代短歌社

2014年から2017年の作品を収めた第10歌集。

年齢では67歳から70歳である。

 

  女子会のとにもかくにも盛り上がるとなりの席にひとりもの食ふ

  手に入れし古書を開きてぞんぶんにさしくる春のひかりを吸はす

  をりをりにリップクリーム塗ることあり六十七歳のわがくちびるに

  板の間に横たはりつつ「ぼろ切(きれ)か何かのごとく」なりたる猫は

  伯耆の国より送られきたる干柿はわれに食はれて種のこりたり

  未発表の歌百首ばかりたまれるは財布に金の唸(うな)るがごとし

  革靴の先そんなにも尖らせて何にいらだち歩くといふや

  わが希(ねが)ひすなはち言へば小津安の映画のやうな歌つくりたし

  すがすがとわれは居るべし雪ふる夜(よる)再婚話のひとつとてなく

  「はい」とのみ返信一語娘(こ)のメールすなほにあればかなしかりける

  わが半生かへり見すれば自転車泥棒いちどもせずに来たりしあはれ

  百円ショップで買つたと言ひてヘアブラシ長(をさ)のむすめがわれに

  くれたり

 

『思川の岸辺』で泣いたわたしたち(?)は、このたびの歌集でちょっと安堵し、

それでもやっぱり何かしら背中をトントン叩いて、励ましてあげたくなる。

 

1首目だってさみしい。初老の男が「ひとりもの食ふ」のは。よりによって盛り上がる

 女子会の隣とは…


2首目、古書ってどうしてあんなに匂いがきついんだろう。「春のひかりを吸は」して、

 正解。


3首目は、小池さんでも(笑)そんなことするのかと驚き。若い男性が人前で塗って

 いるのを見かけると、いゃーな感じになるのだけど。


4首目、鈎括弧の中の言葉は、茂吉の『白桃』の中の「街上に轢(ひ)かれし猫は

 ぼろ切(きれ)か何かのごとく平たくなりぬ」を引用している。それにしても、

 小池さんちの猫ちゃんも老衰で昇天なさった。

   (『文藝春秋』2014年12月号に掲載された「死にたる猫」の連作を思い出す。)

 

5首目も茂吉ばり。「ただひとつ惜しみて置きし白桃(しろもも)のゆたけきを

 吾は食ひをはりけり」を思い出す。

 

6首目は、面白い、愉しい。下句の譬えがなんとも小池さんらしい。

 

7首目、苛立って歩いているのと違う。あの先の尖った革靴って流行(はやり)

 なのかしらん。似合う人も居るにはいるが…

 

8首目、そう、小池さんの短歌は小津安二郎の世界に通じるものがある。

 ご自分でわかって(笑)いらっしゃる。

 

9首目、「居るべし」だなんて…。心底では、期待している?のかしら。

 

10首目、素直に育ったのも、親の教育(躾)のせいでしょう。

 

11首目の「自転車泥棒」には、まいったなぁ。まぁ、要するに半生をかえりみた時、

 法に触れるようなことはしてこなかったという自恃にも繋がる。

 

12首目、百円ショップで買ったというのがいい。ヘアブラシというのが実にいい。

 (14000円のおせちとどちらが嬉しかったのだろう。どちらも嬉しい(笑)。

  そりゃあそうだ、娘からの贈り物だし…)

 

 

恣意的な引用で小池ファンの方々にはごめんなさい。

どうぞ、是非お手にとられて<小津安>短歌を味わってください。

 

 

          2019年9月14日 発行

            3000円+税

       

 

2019年9月25日 (水)

『犬が見ている』岡部隆志句集  ふらんす堂

2015年、ながらみ書房より『短歌の可能性』を出版している

著者の第一句集である。あとがきによると「(略)私は俳人でもないし、

句会などで句作を続けてきたわけでもない。」と記されている。

俳人でもない著者があえて句集を刊行していたのは、それなりの理由が

ある。それはおいといて、私がこの句集に引き寄せられたのは、福島泰樹

主宰誌の『月光』(2019年6月 №59)の氏の文章(「渡邊浩史歌集

『赤色』の世界」)を読んだ時のひらめき(感動)による。

 

            秋雨やたまには良いことだってある

      天高く誰もが愉快であればいい

    秋天や人の生き死に無きが如

    たましいを込めたつもりだが秋の空

    虫たちよ鳴いてばかりじゃ分からない

    秋めくや書棚の本の自己主張

    秋桜や背の高きから折れていく

    死者の記憶抱え切れずに彼岸花

    犬だけが空を見ている秋日和

    誰も死ぬじたばたするな秋の空

 

先日の小さな旅に携えたこの句集。

従って、秋の句ばかり選んでみた。

何度読んでもいい。何度読んでも心がひりひりする。

そして、氏の「あとがき」の言葉が美しい。

 

    (略)…それにしても日本の自然は優しい。この

     優しさがなければ、私は俳句を作り続けることは

     できなかった。…(略)

 

 

        2018年10月1日 初版発行

           2500円+税

 

 

 

    

2019年9月16日 (月)

『図書』2019年9月号 岩波書店

「こぼればなし」を読む。

 

    ◎こういう時代状況では、PR誌のあり方も変化していくのが

    趨勢ということでしょうか。KADOKAWAのPR誌『本の旅人』が

    七月号をもって休刊するとの報に接することになりました。

    九五年の創刊からほぼ四半世紀、二三年にわたる刊行でした。

 

おやおや、他版元のPR誌のことに編集子が触れている。

 

    ◎小林さん(『本の旅人』編集長)の指摘するように、紙媒体と

    電子媒体が単純に対立するものではないでしょう。電子書籍が

    紙媒体を近いうちに駆逐すると思われていた米国でも、紙の本

    への回帰ともみられる現象があるようです。

 

当ブログ(「暦日夕焼け通信」2019年7月4日)で『本の旅人』の休刊に

ついて悲鳴(笑)をあげた私としては、この「こぼればなし」に注目をした。

「紙の本への回帰」。そうあってほしいものと願っている。

 

さてさて、同・9月号の小池昌代さん(詩人)の「別離」は読み応えがあった。

梅を収穫し、梅酒に仕込む話なのだが、微に入り細に入り観察・考察して

いる。このエッセイの起承転結の「転」の部分で、若い頃の恋のことに

触れている。

 

    あの時、世界は崩壊した。

    約束というものは、はかないものだ。何の保証もないそんな危うい

    ものをかわし、わたしたちは平気な顔で断崖を生きていたのだ。

 

そう、このエッセイの「結」の部分は、どうぞ、ご興味のあるかたは、

『図書』9月号をゲットしてお読みください。(さぁ、走ってください。

なくなりますよ〜(笑))

考えさせられたエッセイ(短篇小説のような)でした。

 

    

2019年9月 9日 (月)

『紫のひと』松村正直 短歌研究社

「短歌研究」作品連載他、総合誌などに発表された作品を収めた

著者の第五歌集。

表紙にも背文字にも「歌集」の文字は見当たらない。かろうじて帯に

「静けさと不穏が隣り合う第五歌集」の惹句がある。

 

歌集題も装幀も今までの歌集からはちょっと想像できないような艶っぽさがある。

「(略)新鮮な気分で歌に取り組みたいと考えた‥‥」(あとがき)の結果、かなり

構成された、練られた、一集の印象がした。

 

ただ、思うのは(個人的だが)作者の意図した方向へ誘引されてしまいそうになり、

「物語読み」したくなるのを、なるべく抑えて読んだことだ。

 

    上流へむしろながれてゆくような川あり秋のひかりの中を

    もう一度分岐点までさかのぼることはできずに枇杷の咲く道

    四天王のうちの二体は東京と京都に行きて本堂広し

    ふくざつな建物なれど矢印の向きに従い出口まで来つ

    皮膚が砂に覆われてゆく、感情の薄さを君に言われるたびに

    つかまえたはずが捕まえられていた洗濯ばさみに垂れるハンカチ

    生まれつき癇の強い子でありしかな柿の若葉をいつも見ていた

    連れ合いが死に、犬が死に、猫が死に、日当たりの良い家に母住む

    正直(まさなお)もずいぶん白髪が増えたわね食事の間に四度言われる

    どこへ向かうわけでもなくてまたここに戻りくる舟、ふたり乗り込む

 

1首目から4首目まで、方向を指示するような歌を偶々あげてしまったが、

これってかなり意味があるかもしれない。というのは10首目にあげた歌を

とても好きなのだが、この歌は『紫のひと』の全体の感じを象徴している

ように思えてくる。

集中の終りの方の「みずのめいろ」の1首。小題は漢字で書けば「水の迷路」

だろうか。

「上流へむしろながれてゆくような川」は、錯覚であり「分岐点までさかのぼる

ことはできず」に、「矢印の向きに従い」、結局「またここに戻りくる」

しかないのだ。

 

「物語読み」を禁じていた筈なのに、やはり誘引されたみたいだ。

集中の「君」や「あなた」の使い分け様は、なんなの? と、愚痴りたくもなる。

(5首目の「君」は、「妻」でないと言えないような言葉だけど、どうかな?)

そして、何より「書き下ろし」までして、加えて、構成していることだ。

 

歌を面白くするための、読者にサービスするための、

「性愛の歌」、ではないと信じたい。

切羽詰まった〈いのちの叫び〉であってほしいのだ。

謹厳実直な松村さんは「この先どこへ向かって進んで行くのか」(あとがき)

……行くのでしょうか。

 

 

           塔21世紀叢書三五七篇

            2019年9月3日

             2500円+税

 

 

 

 

 

    

 

 

 

2019年9月 1日 (日)

歌集『人間旦暮(秋冬篇)』坪野哲久 不識書院 

本日は9月1日ということで「関東大震災記念日」でもある。

それによって「防災の日」も出来たわけだと知った。

 

明治29年9月1日生まれの坪野哲久に『九月一日』の歌集がある。

この歌集は紅玉堂書店より昭和5年に刊行されているが発売禁止に

なっている。この幻の歌集については歌誌「月光」の2019年4月 №58で

福島泰樹が「野晒の歌 坪野哲久 壱 『九月一日』前後 」として同誌に

13ページに及ぶ論を執筆している。(なお、同号では「坪野哲久没後三十年」 

の特集を組んでいる。)

 

今、わたしの手元にある坪野哲久の歌集は『人間旦暮 春夏篇』・『人間旦暮 

秋冬篇』(2冊ともに不識書院にて1988年12月に出版。)『留花門』(邑書林 

1989年11月刊)の3冊である。

9月1日生まれの哲久にちなんで、本日はこの3冊の歌集を繙く。

 

    輪読の果てたるあとに座の五人もりそばを食うわれの生日

    人間にいかなる虚位が要(い)るものぞ働かずして罪ふかく食う

    つつましく原初を想え人間は貴も賤もなく生まれいでしを

    いまの世のうざうざしきを拒むわれ思惟の残りを星へと運ぶ

           『人間旦暮 秋冬篇』「九月一日」より

 

 

連作の9首の中から4首のみ引用した。

書き写しながら身のひきしまる思いがしてくる。

安穏と生きている自分自身が鞭打たれる。

哲久が生きていたら「いまの世」をなんと詠むだろうか。

 

坪野哲久は「関東大震災に遭遇。在日朝鮮人の虐殺を目撃したことが、以後の

哲久に、大きな影響を与えることになる。(略)」(福島泰樹・「月光」文より)

関東大震災の日に17歳の誕生日を迎えている哲久。

 

本日は9月1日なり。

 

  

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