書籍・雑誌

2019年6月17日 (月)

『クジャ幻視行』 崎山 多美  花書院

初出は「すばる」2006年1月号より2008年3月号に掲載された8篇が収められている。

いずれも「基地のマチ」としての「シマ」が下敷きにある。

文中の「シマコトバ」が理解し難い面もあるが、前後の文脈から意味は想像出来る。

何よりそのシマコトバが生き生きと描かれ、音楽性?がある。



「ピンギヒラ坂夜行」の主人公のピサラ・アンガは「視る」だけでなく、「聴くヒト」であった。

フツーのヒトにはどんなに耳を澄ませても聴くことの出来ない声を聴いてしまう。

しかし、立場が逆転し、尼僧の女から問い詰められる。

 

      思い出したくない事を記憶から追い出してしまうことさ。忘れてしまいたい

      ことを忘れたりしているうちに本当に忘れてしまうことよ。うまくいけば

      とりあえずは楽になるからね。でも、さ アンガ、ずーっと忘れたままって

      わけにはいかないんだよ‥‥‥。

 

アンガは思い出すことが出来なかった。このウガンは失敗したのだ。

アンガは木を攀じ登り、意外な結末が……




                   装本 石原 一慶

                  2017年6月2日 初版発行

                     1500円+税

                  

ーーー --- ---

著者・崎山多美は、沖縄県西表島に生れた経歴を持つ。

その小説やエッセイは沖縄を舞台にしたものが多い。

そういえば、砂子屋書房より『くりかえしがえし』を出版。

エッセイ集も2冊『南島小景』と『コトバの生まれる場所』が出ている。

 

2019年6月16日 (日)

『ランティエ』2019年7月号 角川春樹事務所

書店で『ランティエ』7月号をいただいた。

初見の雑誌である。所謂、PR誌みたいなそれである。

180ページ超あり読み応えあり。

連載小説が10篇近く掲載されている。

その中で先ず、目がいったのが井上荒野の「そこにはいない男たちについて」。

 

 

    ちょっとした諍いから仲直りする間もなく、俊生に死なれてしまった実日子。

 

    (略)あの時降りていれば、と実日子は何度でも考える。いや、公園に行っていれば。

    もっとうるさく言って、医者に行かせていれば、そうしたら今、俊生は私のそばに

    いたかもしれないのに。(略)

 

こののち、年下の鍼灸師・勇介とどのような進展になるのだろうか。

 

 

ところで、映画「長いお別れ」の監督の中野量太さんのお顔を初めて見た。

と、言っても写真だけど。

「ファンファン福岡」の№83に略歴と共に掲載されていた。

 

     (略)これからの時代、認知症という病気にかかわらない人の方が少ないのでは

     ないかと思ったんです。僕は、今撮るべき映画、撮らなくてはいけない映画と

     いうものがあると思っていて、そういう作品を撮っていきたいと思っています。(略)

 

46歳 ? 、笑顔がいい。「福岡を舞台にした映画を撮りましょうか(笑)」なんて、言っちゃって、

笑いごとではなく、撮ってほしい。

 

 

☆   ☆   ☆

23:00     月が美しい。

     月の南東に見えるのは、木星。月に寄り添うように輝いている。

     明日は満月ですね。

 

 

 

 

 

 

2019年6月15日 (土)

『白仏(はくぶつ)』 辻 仁成  集英社文庫

フランスの文学賞、フェミナ賞・外国小説賞受賞作。

明治から昭和まで、激動の時代を生き抜いた男の一生を描いた長編小説。

(なお、この小説は辻仁成の祖父・鉄砲屋 今村豊がモデルとか)

 

     人は死んだらどこさん行くとやろか

     人は必ず死ぬったいね

     死ぬって、いつや

     死は負けではなか。負けたっと違うぞ。

 

 

幼少の、つまり7歳頃より「死」を語る場面が多い主人公・江口稔。

物語の舞台が筑後川の最下流の、有明海に接する河口の島・大野島ということで、

その地の方言が心地良い。

初恋の相手・緒永久(おとわ)が亡くなったのち、夜こっそりその墓処に行く。

 

    死者の肉体は崩壊しても、死者の記憶はまだ生きている者の中に残っている。

    つまり、緒永久は自分の中に今いるんだ、自分が存在している限りその生は消え去る

    ことはないのだ。

    「おとわしゃん」

 

大正7年12月、稔は徴兵によって東シベリア、ボアラノイスクへ駐屯。極寒の吹雪の中、三八銃を抱えて。

赤軍兵士に対して、引き金を引き、その上瀕死の相手に銃剣で止めの一撃を加える。

 

敗戦が決まり、日本軍が解体し、稔は50歳にして肉類全てを食べることが出来なくなる。

肉を見るとあのシベリアの記憶が蘇るのだ。和尚さんに自分の罪を告白する。

 

      戦争の真っ只中のできごっやけん、仕方んなかこったい

      戦争が一番悪か。そげんせんかったら、おまんが殺されとるかもしれんのやけん

 

 

昭和28年6月の集中豪雨は1000ミリを超え、それは年間降水量の50%強にも及ぶ大雨となった。

大野島は海抜ゼロメートルの地。結局、江口工作所の小型耕運機は、農家から一銭も集金が出来ず

倒産した。娘・倫子が諭すことばに泣いた。

 

      死のうなんて考えたらいかんたい。

      どうせほっといても人間はいつか死ぬったい。

 

晩年の稔は、村の墓地に眠っている遺骨を砕いて、「白仏」を創造することに使命感を抱く。

                          

 

                        解説  山口 昌子

                        2015年8月25日 第1刷

                          640円+税

 

 

☆    ☆    ☆

辻 仁成の小説の中でも、これは断トツに力作だと思う。多分、40歳前の作品だと思うが、

これだけ「死」が、頻出する作品は珍しい?知らなかったなぁ。読んで最高に良かった。

 

 

 

                        

 

 

 

 

 

 

2019年6月11日 (火)

歌集『わたしも森の末端である』松山紀子 角川書店

「りとむ」所属の第一歌集。

帯で今野寿美さんが記しているように、「抜群の力量」である。

帯だから〈惹句〉でしょ、なんて言う勿れ。

読み進めていくうちにこの「抜群の力量」に魅了された。加えて「歌のことばを発するときの

ごく自然な勘どころのよさ」に、たちかえり、振り返り、読み終えた。

 

 

    

    どんぐりと爪の手触り似てをればわたしも森の末端である

    日に添ひて緑濃くなるよき頃を東京に行き阿修羅はゐない

    ひとことがカチンと人を乾反(ひぞ)らせてもう戻れない元の仲には

    パソコンで確定申告する父がなにゆゑ電子レンジ使へぬ

    伝票のめくり方まで指示されてひげ根とらるるもやしなり今

    泣くために泣いてゐる友泣かせつつそろそろついてゆけなくなりぬ

    涙活といふは不遜なことなれど悲しい映画を今日は観に行く

    うたたねができなくなるから死にたくない今の父ならさう言ふだらうか

    朝の雨にまだ濡れてゐる雨傘を夕陽にさして干しつつ帰る

    苦労してないことあなたの弱味にてまつすぐ切れる虎屋の羊羹

 

 

歌集題を巻頭に据えた「どんぐり」の章。この章はこの1首のみで、歌集題を印象付けている。

(タイトルの『わたしも‥‥』と、助詞を「も」にしたところが良い。『わたしは……』だと、ちょっと(笑))

2首目、「阿修羅」は誰かの代替かもしれない。「阿修羅」のような人は東京にはいなかった?のか。

3首目、「乾反(ひぞ)らせて」なんて、なかなかつかえない。「人」の怒りのかたちをうまく言い当てている。

4首目、8首目の父をうたった歌には〈父と娘〉の関係がよく表されている。きっと父大好きな著者であろう。

5首目、自身の只今の状況を「ひげ根とらるるもやし」と譬えたのは面白い。遣る方無い思いを表出。

6首目は、3首目の歌と同様に友人との齟齬をうたっている。仲が良すぎるとこういう喧嘩?も起こり得る。

7首目の「涙活」なることばをはじめて見た。「就活」・「婚活」・「妊活」・「終活」は知ってるけど、

   「涙活」とは。著者の造語かしらん。

9首目、こんなこと、わたしもしたことある。歌の素材になるんだ。

10首目、上の句と下の句の因果関係はないと思うのだけど、なんだろう。この面白さ。

 

 

『わたしも森の末端である』の特徴をひとことで言えば、比喩の巧みさがある。それも新鮮な直喩。

オリジナリティのあるメタファが心地良い。以下、味わってほしい。

 

   瞳孔の開く目薬さして待つ患者のやうに梅の木しづか

   おろしたてのウールのやうな積み雲が樹木(きぎ)をぬらして街を冬にす

   脱水の途中で取り出すシャツのごと呼び出されたり違ふ現場に

   今要らぬ資格幾つか持つ矜持 胡瓜のいぼのごとく削がれぬ

   好かれたいと思ふそのときやはらかいティッシュのやうにほのかに湿る

 

 

著者の年齢? 言わない、言わない。(笑)

兎も角この第一歌集は推します。

 

 

               解説 「端末時代の森の末端」今野 寿美

                  りとむコレクション 108

                                           2019(令和元)年5月1日  初版発行

                     2600円+税

 

 

 

2019年6月10日 (月)

歌集『寒椿』林ひかる 株式会社 GC

「八雁」所属の第一歌集。1994年より2018年までの作品を収める。

25年の歳月は、著者の魂の記録でもあり得よう。

離婚や再婚や死別の人生上の経歴よりも、それらを乗り越えて今の著者があること。

生きてゆくくるしみや悩みの歌もさることながら、わたしは色々な人生上の経験が現在の著者の

精神界を形成していることに興味がある。

従って、そんな歌を個人的には10首選んでみた。

 

   灯のともる窓辺に見えて夕餉する一家族ありひとは哀しも

   病む友に手紙を書きたりわが庭に居眠る猫のことなど記して

   抜け落ちたる猫の乳歯を手のひらに転がしており外は雨降る

   振り向くな泣くな怒るなまだ死ぬな呪文のごとく吾呟けり

   飼い猫のつぎに老人はかわいいと施設に働く息子言いけり

   玄関の狭くて柩の入らぬゆえこころ奮いて日日を働く

   延命のための治療を拒絶すと書きて一枚財布に入れつ

   われに向き汝はバツイチ没イチと嬉しそうなり平井靖治

   もの知りに心のケアなど言うなかれ時の過ぐるに優るもの無し

   爺さんはみな婆さんに付き添われ待合室のソファに坐る

 

 

1首目の作者のまなざしには孤独感が滲む。

2首目の病む友に送る手紙、病のことを労わるよりも著者のさりげないユーモアが良い。

3首目も1首目と同様に所在ないようなさみしさが漂う。

4首目はそのまま自励の歌。自分で自分に気合を入れているのだ。

5首目を読むと、息子さんは精神的に豊かに育っている。(よかったねぇ。)

6首目、笑ってしまったが、そういえば、わがやだって玄関から柩は入らぬことだろう。

7首目、先日つれあいは「日本尊厳死協会」に入会した。じゃあ、わたしもということで、夫婦で入会。

8首目、平井靖治さんが面と向かってこんな軽口が叩けるのも親しいからだろう。一歩間違えばハラスメントに

    なりかねない。著者がこうして歌にするあたり、器が大きいというか、これこそ著者の全人的な表われで

    あろう。(スゴイ、わたしには真似できない。)

9首目、〈一億総評論家〉みたいな世の中、何かあるとよってたかって(笑)訳知り顔で物申す世の中。

10首目、まさに、まさにである。「病院にて」の詞書がある。著者がその様子を見て、羨ましいのかどうかは

    わからない。主観を入れていない所が良い。

 

 

                    跋文 阿木津 英

                    2019年6月15日 第1刷発行

                       2500円+税

                      

 

 

2019年6月 5日 (水)

『えーえんとくちから』笹井宏之 ちくま文庫

『えーえんとくちから』(パルコ出版)が刊行されたのは、笹井宏之さんの

三回忌(2011年1月24日)の折だった。

その『えーえんとくちから』が文庫になり、今わたしの手元にあるのは

すでに第三刷である。

 

「まっすぐでピュアな」笹井さんの歌は若者たちは勿論だが、わたしのような

高齢者でも胸にしっとり入ってくる。もう高名になった歌ばかりなのだが、この文庫には

詩や俳句も収められている。

そこで、本日は笹井さんの俳句を紹介したいと思う。

 

        砂のねむり

     くしゃくしゃにしていた夏をひらきます

     茹でられてあなたはグリンアスパラガス

     (ひまわりが比喩からもどります)どうぞ

     蟷螂はしずかに祈り死後の雨

     燃えている雨もあったでしょうあの日

     ひまわりの首をつかんで泣きました

     トマトだと思っていたら愛でした

     狂おしく咲かない薔薇を叱ります

     死ぬために夜の樹を抱くあぶらぜみ

     眠れないあなたのために鳴くかじか

     砂浜へ砂のねむりを聴きにゆく

     八月の私へそっと置き手紙

 

 

ああ、笹井さんは俳句も作っていたのだと思う。

本書には「文庫版のためのあとがき」を父君の筒井孝司氏が執筆。

解説は穂村弘さん。

           2019年3月25日 第三刷発行

               680円+税

 

 

 

☆   ☆   ☆

今朝、赤く色づいたミニトマトを3個収穫した。

2本のミニトマトにいくつくらい実がついているのだろうかと数えてみた。

Aは136個、Bは131個だった。一つの花の塊りからおおよそ10〜15個くらいの実が

付いている。今年は2本のミニトマトで収穫は150個くらいかしらと思っていたけど、

嬉しい誤算。

ゴーヤ―の黄色の花に蝶々が来ていた。ネットに蔓が上手に(笑)のぼっていってくれている。

 

それにしても今日は暑かった。久留米は33.3℃、だって。

暑さのために?電車の中に忘れ物をしてしまった。

   

2019年6月 1日 (土)

『遅速あり』三枝昻之歌集 砂子屋書房

「現代三十六歌仙 35」。前歌集の『それぞれの桜』と制作時期の重なる著者の第13歌集。

平成22年から30年の作品477首を収めており、290ページに及ぶ大冊。

 

    丘の辺に三十年を重ねたり薬の数を二つ増やして

    風を生むクロスバイクと漕ぐ脚とひかり隈なき河口へ走る

    ペーパーゴミ四つ束ねて捨てに行くそこから土曜の朝がはじまる

    菊名にて乗り換え茂吉に会いに行く少年日記の中の茂吉に

    結核という近代のほのぐらさ子規を盗り啄木を盗り節を盗りぬ

    青春に見ない見えないもの多しああこんなにも銀杏の早稲田

    七草に六つ足りないなずな粥仮のこの世に二人して食む

    非力なる歌と歩みて五十年非力なる力にこだわりながら

    世間からゆっくりゆっくり遠ざかる日の暮れ方をひとり酌むとき

    「たかゆきは間遠だねえ」と病室に嘆きし母をときに思うも

    早過ぎたtake off だよ冬枯れの滑走路には夕日が残る

    青春の、子を抱く日々の、晩年の 届かぬままの青空がある

 

 

読むたびに挙げたい(引用したい)歌が違ってくる。何度も付箋を貼りかえ、ようやく12首に抑えた。それでも恣意的だなと思いつつ、これも個人の感想なのだから……

 

1首目、多摩丘陵を夕日が沈む頃歩く著者。その丘の辺に30年の歳月を重ねている。

 

2首目、風と一体になり、河口へ走るクロスバイク。そのバイクも「二十四年 愛車ルイガノ禁止令が連れ合いから出る」の詞書の付いた歌が後半にある。その歌がなんとも遣る瀬なさを醸している。「息子からのプレゼントだし筋トレにもなるし転倒は一度だけだし」(この駄々っ子ぶりが好き。)

3・ 7・ 9首目は日常の暮らしの歌。3首目、生ゴミでなくて良かった。(何が?)7首目、1月7日の七草粥を食べるしきたりを曲がりなりにも実践している「なずな粥」がいい。9首目、ひとりの豊穣のひととき。

 

4・5首目のような歌がこの歌集の根幹をなすとも思える。そういえば、三枝さんはどこぞの文学館の館長だったか? 

10首目、母の嘆きは重重知りながら、多忙ゆえに見舞うのが「間遠」になるのだろう。


最後の歌は、東日本大震災をうたっている。詞書「死者一〇三三人、関連死一〇八人」。 

 

                           りとむコレクション

                           2019年4月20日

                            3000円+税

 

☆     ☆     ☆

5月がまたたくまに過ぎて、6月。

6月は「夕映忌」、「柘榴忌」、そして近藤芳美先生の忌日が6月21日。

 

    

    

    

2019年5月21日 (火)

『短歌往来』2019年6月号 ながらみ書房

6月号は[特集] 「第十七回 前川佐美雄賞発表」・「第二十七回 ながらみ書房出版賞発表」。その前に今号でわたしが瞠目したのは、島田修三氏の連載1ページエッセイの「遠い人、近い人 30」。今号のタイトルは「正しいおばあちゃん」。これがなかなか面白い。

 

   (略)性同一性症候群ならぬ年齢同一性症候群というのが

    あるらしい。実年齢と折合いがつかない。特に老齢を

    認知受容できない。最近の日本人にはこの類の人が多

    かろう。(略)

物議を醸しそうな文章だが、少なからず心当たりがあるので、そうかぁ、そういうことかぁ、そういうことなんだと、首肯せざるを得ない。「年齢同一性症候群」なんて、初めて知った言葉だ。

そういえば、わたしが子どもの頃は60歳くらいの人は立派な(笑)おばあちゃんだったもの。「おばあちゃん」と呼んでも怒られなかったし、本人も、おばあちゃん然と100%していた。

ところが、時代変われば、さて、どうだろう。(もう、このあとなんにも書けない(笑))

 

「第十七回 前川佐美雄賞」は、小島ゆかりさん。

受賞の言葉の中に「(略)わたし自身は、昭和と平成をほぼ三十年ずつ生きて、本歌集の時期に六十代に入りました。(略)」とある。顔写真が掲載されているが、嘘〜と言いたいくらいに若々しい。還暦を過ぎているとは……

 

     この夏の或る日よりわれは祖母になり祖母というものは巾着に似る

     ゆふぞらの犬の太郎よ君の知る少女はおばあさんになつたよ

     五十肩といふといへどもほのかにも若返るなし六十のわれ

     くりかへしどこへ行くかと聞く母よ大丈夫、銀河までは行かない

     母となり祖母となりあそぶ春の日の結んで開いてもうすぐひぐれ

             『六六魚』50首抄より    小島ゆかり

 

歌は、裏切らない?

歌は、しっかり祖母をしている。

歌は、「おばあさんに」なっている。

歌に、生身の人間が出ている。

2019年5月20日 (月)

歌集『ゆるりと行かな』永島道夫 角川書店

『石うづくまる』に次ぐ第5歌集。1ページ2首組、2行書きの作品、422首を収める。

「朔日」所属。

「仕事を止めての気ままな日常」とあとがきに記す。

 

    逢ふたびに自慢話をする老いを厭ひてゐたるわれがさうなる

    六十五歳以上の人は割引と顔見て言はれ少し傷つく

    真つ直ぐに押せずにいつも苦労する実印を押すこんどこそはと

    潮時と見て相槌を打ちたるに結果の責めを負ふ羽目になる

    金銭の多寡にてこころが変はりさう危ない危ない手前で気づく

    ほどほどのほどがわからず七千歩日ごと続けて膝を痛める

    逆風の吹けばふくほど強くなる妻の背中にわれは隠れる

    思ひ出の品ばかりにて置き場所を変へたるのみの整頓になる

    二泊(ふたはく)の旅行保険に八十二歳(はちじふに)と記入してのち気後れのする

    携帯電話(ケイタイ)は妻とわれとを繋ぐのみ日がな一日鳴らず静もる

 

 

大きな事件や厄災がある訳ではない暮らしの日々。その日々のなかでの著者の感慨は生活者としての足が地に着いたまっとうなもので読み進めながら、共感する部分が多かった。

 

1首目、結句によってわが身を振り返り、わが身のこととして詠んでいるところがいい。「自慢話」ばかりする人、愚痴ばかり零す人、人様の悪口ばかり言う人と、この世の中には様々な人がいる。なるべくそういう人とは距離を置きたいが、兎も角、自分だけはそうなりたくないという自覚が必要なのだ。(自戒、自戒。)

3首目、上の句は、わたしなども常々そう思う。不器用なのか、齢のせいなのか真っ直ぐに押すことができない。まさに「こんどこそは」である。

7首目を読んで笑ってしまった。たのもしい妻の背中であることよ。

8首目、みんな同じようなことをしている。断捨離はなかなかできそうにない。

10首目、いよいよ「妻とわれ」との世界になりつつある。これは考えてみれば良いことかもしれない。

 

 

などと、勝手な感想を綴ったが、著者の生真面目さ、実直さの際立つ一集でもある。

目次の小タイトルを読むと、動詞が並ぶのが特徴的。「魚は泳ぐ」、「時間の止まる」、「立山を行く」、「つよく息吐く」、「ぐいと引き抜く」、「闇を動かす」等々。そして、歌集題の『ゆるりと行かな』。

 

    平均の寿命に至り朧げに見ゆるものありゆるりと行かな

 

              

            朔日叢書 第106篇

            2019年5月25日 初版発行

             2600円+税

 

 

☆   ☆   ☆

昼間の土砂降りが嘘のように晴れ上がり、

午後7:20   夕焼けがことのほか綺麗だった。

 

 

                

    

 

2019年5月19日 (日)

歌集『光のアラベスク』松村由利子 砂子屋書房

「令和三十六歌仙」と銘打たれた歌集。

発行日、2019年5月1日。

今度の「陽だまり歌会」の資料にするため、作品を選ぶ。選んでいるとおのずと著者・松村由利子さんの思惟のほどが窺える。元・新聞記者であった経歴もさることながら、渾沌とした世界の状況、そして日本は‥著者自身が住んでいる石垣は、とその考察が手堅い。

 

   全国紙の配達されぬわが家なり沖縄タイムスも昼ごろ届く

   メディアとは太鼓叩いて笛吹いてその場限りの祭りを好む

   首都の雪ばかり報道するテレビ南の抗議行動続く

   スマートフォンで撮らねば見たことにならず網膜という薄きさみしさ

   アングルを変えれば違うものになる写真も歴史もあなた次第だ

   人乳が臓器が売られ八つ目の大罪として長寿加わる

   どこか摩耗してゆく世界コンビニで働く外国人にも慣れて

   絶滅危惧種なること母に言いたれど鰻重届いてしまう帰省日

   贈与とは文化であった女らも女の子宮もやりとりされて

   

 

恣意的な選歌になってしまったが、いずれの歌も具体的であり、著者の経験や考察が根底にある。

3首目など、首都のちょっとした雪でも大仰に報道しているのを観ると、雪深い東北のことや、南のこの「抗議行動」は、報道の対象にもならないのかと悲憤している。5首目も、アングルによって違うものになってしまう危惧をうたっている。

 

固い(?)歌ばかり引用してまったが、叙情的な歌にも心惹かれる。だが、その叙情質も極めて思索的というか、醒めているように思えるのはなぜだろう。理系女子(笑)みたいな感覚が過る。

 

    逢えばまた深き淵へと沈むから今宵の月は一人で見ます

 

潔いというか、理知的なのだ。かつてわたしは「逢へばさらにふかみゆく愛」などと、うたったことがあるのが恥ずかしい。でも、これも性分かな(笑)そういえば今宵は満月。現在、夜の10時。全天雲が掛かって月は見えない。

 

 

                 かりん叢書第343篇

                  2800円+税

 

   

  

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